丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

216. 大正浪漫と英雄上杉謙信も

2008-12-06 11:20:08 | 街角散歩

小江戸川越探訪 その3
 天気快晴 ぽかぽか陽気で風も無く 師走の一日とは思えないほどでした。

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 札の辻の近くにある大沢家旧宅は、寛政4年(1792)に建てられた、川越でもっとも古い蔵造りです。札の辻は、城下町の中心街として、高札が立てられた処です。ここから北を喜多町、南を南町といいます。

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 江戸の昔 川越の町のほぼ中心に、時の鐘の塔が残っています。 時刻を知らせる鐘を打つために松平信綱が設けたものです。

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 また 埼玉りそな銀行はその前身は旧第八十五国立銀行本館です。 建物のレトロな雰囲気をそのまま残し現役の銀行として今も活躍しています。

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 養寿院の門前町として栄えた横丁や 和菓子の老舗「亀屋」では 歴史のありそうな和菓子を買いこみ、大正浪漫夢通に向かいます。 カプリさんも とこさんも いつもと変らずほぼ満足げです。 ほっ

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     三人で 「アッ!○○ちゃんの ニューモデルだ。」

 ◆大正浪漫夢の街づくり

 蔵造りの町並みの一本東側に もうひとつ 大正浪漫夢通りが あります。

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 この通りはかつてはアーケードのある にぎやかな地元商店街でした。

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 昭和30年頃、歴史上もっとも賑やかかりし時代には 銀座商店街とも呼ばれていました。
 平成7年にアーケードが撤去されるとともに、商店街をあげての大正浪漫の街づくりが本格的にスタートしました。

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 町屋造りや洋風看板建築が軒を連ねるレトロな町並み、御影石の石畳、電線を地中化した広い空。ほっとするような、ワクワクするような、忘れかけていた不思議な感覚。 蔵造りの町並みは観光客で溢れ人通りが絶えないのに、こちらは日中も閑散としてのんびりムードです。

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 人通りがまばらでも 歩くにはそれが いいのかもしれません。 のれんの古さだけでなく、大正期に戻したこの商店街は 日常の商いで勝負して 明らかに進化しています。 チャレンジ精神にみちた新しい街づくりは今も着実に進められています。

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           ◆上杉謙信誕生のきっかけ
 
歴史ある町川越は 戦国時代の英雄 あの上杉謙信誕生のきっかけとなった場所でもありました。 時間をさらに遡り 少しだけ戦国時代に戻します。

 戦国時代「河越」と呼ばれていたころ、扇谷上杉家家臣の太田道真・道灌父子は岩槻城(埼玉県さいたま市)を修築し、長禄元年(1457)上杉持朝の命により河越城(埼玉県川越市)を、のちに江戸城(東京都千代田区)も築城するなどして、扇谷上杉家の勢力拡大に貢献していました。

 もともと河越城は扇谷上杉氏の持ち城でしたが、小田原の北条氏綱(早雲の子)に奪い取られていました。 関東管領職にあった山内上杉氏の憲政は、扇谷上杉氏の朝定とともに八万の兵を率いその奪還に挑みます。

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 しかし急報に接して救援に馳せ付けた北条氏康の手勢八千の兵力が一大夜襲を敢行、上杉朝定を討ち取り上杉憲政は敗走、越後へ逃げ込み、長尾景虎(上杉謙信)に上杉の名跡と関東管領職を譲り渡すことになるのです。

 ゆえに長尾景虎が上杉姓を名乗るそもそもの発端は河越(川越)の負け戦であったというわけです。

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 ここが「越後の国主 長尾景虎」を関東各地から小田原へまで雄飛する「英雄 上杉謙信」誕生のきっかけになった地なのです。

 河越城は北条氏の小田原城支城となっていましたが、北条氏も豊臣秀吉によって滅ぼされます。

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 徳川家康の天下となり、北の防御の拠点としてここに川越藩が生まれたのです。 領主松平信綱の就任により、商業都市として生まれ変わり、家康の補佐役であった天海僧正によって、文化水準が大きく引き上げられていきます。 やがて小江戸川越と呼ばれるまでに発展を遂げていくのです。

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 次回は 川越文化の象徴である喜多院を訪ねます。

今日もお立ち寄りいただいて有難うございます。


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2 コメント

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謙信ゆかりの地 (あこ)
2008-12-06 19:42:06
快晴で風もなく暖かく最高の天気でした。
旧第八十五国立銀行本館は重みを感じます。
昭和30年代銀座商店街も納得です。
レトロな町並みに右へ倣いをしたのですね。
大正期に戻した商店街なんですね~

戦国時代「河越」ですか。
上杉謙信に上杉名跡と関東管領職を譲ったのですか。
天海僧正も役割を担ったのですね~
謙信ゆかりの地でもあったとは、、ありがとうございます。
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家康を祭る仙波東照宮があり ()
2008-12-06 20:47:47
あこさん

明日の記事で報告予定の 最終の本門地 喜多院の中に徳川家康を祭る仙波東照宮があり、それは久能山、日光と並ぶ三大東照宮とされています。

 へえ東照宮って三つもあったのか これは新しい発見でした。 

 それほどまでに江戸幕府が川越を重んじた事が伝わってきます。

「丼」
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