****晩秋道南探訪(1)****
函館空港へ着陸直前に五稜郭が上空からもはっきり確認できました。
新選組副長土方歳三が命を絶った五稜郭公園が最初の訪問地です。
五稜郭公園 (ごりょうかく)は、江戸時代末期に現在の北海道函館市に建造された城郭および当時日本で建造された星形の城郭の通称。長野県佐久市の龍岡城(未完成)も五稜郭として知られていますが、一般的には函館のものを指します。
日米和親条約締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するために江戸幕府13代将軍 ご存知 天璋院篤子の夫 徳川家定の命により築造されました。設計を担当したのは洋式軍学者の武田斐三郎。大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける稜堡式の築城様式を採用し、堡を星型に配置しています。 総面積、74,990坪(約247,466㎡)
公園に到着後早速 2006年12月にオープンした五稜郭タワーで展望台に上がりました。
天気さえよければ眺望は絶景です。
この日は絶好の天候にも恵まれ津軽海峡の28キロ先に本州下北半島がはっきりと浮かび上がって見えています。
五稜郭タワー(ごりょうかくタワー)は、北海道函館市の特別史跡五稜郭に隣接する展望塔。五稜郭にちなみ、断面形状を塔体は星形、展望台は五角形。高さ107m(避雷針高)。
展望台は高さ90m(展望2階)と86m(展望1階)の2層からなり、約500人を収容可能だそうです。
展望2階から 晩秋の公園とそこにくっきりと星形の城郭を一望することができました。 ピークを過ぎたとはいえ目にも鮮やかな 紅葉・黄葉が公園一帯に広がっています。
目を見張る眺望にビジターの歓喜の声が溢れていました。
展望2階には五稜郭に関する展示スペース「五稜郭歴史回廊」が常設されています。 回廊には明治維新最後の戦い「箱館戦争」について詳しく紹介され ビジターを歴史の世界へ誘います。
一見公的施設にみえますが、このタワーは五稜郭タワー株式会社が経営する民間の観光施設です。
五稜郭は明治維新最後の戦いに関する歴史があふれていました。 維新後、大政奉還によって生活の糧を失った徳川の家臣たちは、明治政府による処遇に不満を抱く者達と共に新天地を求めて蝦夷地に渡り、五稜郭を本拠に新政権を樹立しました。
明治政府が新政権を許すはずもなく、討伐軍が派遣されました。 やがて道南・渡島半島全域が戦場となり、ここに明治維新最後の戦い「箱館戦争」が始まりました。
「箱館戦争」では幕末から明治初期にかけて 日本の多くの歴史上の人物が登場しますが、とりわけ新選組 鬼の副長と恐れられた土方歳三が 幕府側の最後のヒーローとして歴史に名を残し人々の記憶に残っています。
土方歳三は近藤勇と京都で新選組を結成し、自らが考案したといわれる「局中法度」で隊士たちの統率を計るなどその才覚を発揮していました。またその処断に至っては冷酷無慈悲なものがあり、鬼の副長と隊士から恐れられてもいました。
しかし鳥羽伏見の戦いで惨敗を喫した土方は刀や槍で戦う時代は終わったと感じ新選組の装備を洋式に改め、自らも断髪、洋装に姿を変え以後の戦いに備えたようです。
新選組は甲州で敗れたのち、局長近藤勇と別れ 副長であった土方隊は北上したのです。土方隊は宇都宮、会津を経て仙台に入り榎本艦隊と合流しました。
さらに北上し蝦夷へたどり着きました。蝦夷では陸軍奉行並という職のかたわら、市中見回りなど京都時代を思い出させる仕事も勤めています。
箱館戦争開戦後はその鬼才を見せ付けるかのように連戦連勝。しかし一箇所の戦場で勝ち続けても他所の戦場が負ければ必然的にその個所は孤立します。土方はやむなく戦場を捨て五稜郭へと退きました。
そして明治2年5月11日新政府軍が市中に総攻撃をかけたとき、京都時代からの新選組隊士の戦う弁天台場が孤立してしまったのです。それを援護するために戦場へ出た土方は、一本木関門で壮絶な戦死をとげました。散り際の見事さ、かっこよさが長く人々の心に残り続けています。
● 新選組副長 土方歳三 蝦夷共和国政府陸軍奉行並
● 天保6年5月5日~明治2年5月11日
幕末に華々しく散った男 享年35歳でした。
NHK大河ドラマでもご存知のように、土方は武州多摩の豪農の家に生まれ、実家の副業である「石田散薬」の行商のかたわら剣術の稽古に励んでいました。
治安が不安定な中を行商に歩いたので護身のため、天然理心流に入門。その頃出稽古に来ていた近藤勇と知り合いました。 この出会いが彼の人生を大きく変えていきます。
文久3年近藤勇と幕府の浪士隊募集に応じ京都へと赴いた時、その35年の生涯が決まったと言えそうですね。
五稜郭タワーから下北半島がクッキリは絶景です。
晩秋の紅葉・黄葉がとても綺麗です。
新選組副長 土方歳三、35歳は余りにも若い。
良く理解できる解説ありがとうございます。
享年35歳
西郷隆盛といい 土方歳三といい
敗れた側にも 逸材はいたのですね。
人生 結局 勝てば官軍ですが・・。
「丼」