新年早々 今日も お立ち寄りいただき 有難うございます。
新春街歩きの第一弾は 東京の「恋みくじのメッカ」という別名もある「東京大神宮」。
女性誌でよく書かれる場所であることから母と娘が初詣に出かけました。
飯田橋駅から徒歩5分くらいの神楽坂にあります。
◆東京大神宮
2010年1月1日(金・祝)7:00、東京大神宮で『歳旦祭』が行なわれました。元旦は0:00~新年祈祷・神楽奉納。三が日は境内で樽酒、伊勢名物の赤福、福しるこの振る舞いもありました。
三が日の各日、8:30~10:30の間に神札や守りを授与された参拝者先着1000名には開運招福の「ミニ干支絵馬」がもらえる特典も。 さらに2010年元日から「幸せ恋守り」も授与されこれが女性に受ける原因のようです。
幸せ結び御神矢、縁結び絵馬のほか、ケータイのストラップにちょうどいい、縁結びお守りも。
それやこれやで 初詣の行列の8割がたが女性だったかも。
◆神楽坂
神楽坂(かぐらざか)とは、東京都新宿区にある早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂のことです。
大久保通りとの交差点が「坂上」、外堀通りとの交差点が「坂下」と呼ばれています。
またこの地名は東京メトロ東西線神楽坂駅や都営大江戸線牛込神楽坂駅など駅名にも使われています。
「神楽坂」の名前の由来について、「江戸名所図会 巻之四」(天保7年)によれば、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれています。
また、「改撰江戸志」(成立年代は不明だが文政以前にすでに存在が確認されている)には、津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されています。
江戸時代には坂ではなく、ほとんどが階段であったそうです。
表通りでは散歩する人の姿が見られ、また坂を自転車で駆け上がる人もいます。
裏通りに入ると閑静な雰囲気。都心においていまだ生活感が残る場所でもあります。
休日やランチタイムに一部区間が歩行者天国となり、界隈の人でにぎわいます。
また、神楽坂は、全国的にも稀な逆転式一方通行となっており、自動車などの進行方向が午前と午後で逆転するのです。午前中は「坂上→坂下」(早稲田側から飯田橋側へ)ですが、午後は「坂上←坂下」となり、通行する際は注意が必要です。
逆転式一方通行となった背景に、その昔田中角栄が目白台の自宅から永田町に出勤し(午前)帰宅する際(午後)に便を図ったからともいわれています。 でも、実際のところは明らかではないのですが・・・・。
さて 神楽坂付近は、大正時代に隆盛を誇った花街で、飯田橋駅を背にした坂の右手に残る花街特有の路地は、日本でもここにしかないといわれています。
また関東大震災以後は、日本橋・銀座方面より商人が流入し、夜店が盛んになったようです。
山の手銀座と言われた時期はこの時で、林芙美子や、矢田津世子の小説にも登場します。
坂沿いには商店街が立ち並び、瀬戸物屋・和菓子屋など和を思わせるお店が中心であったが、2003年以後特にチェーン店やコンビニの進出が目立ち、それとともに、夏目漱石の通った田原屋などの老舗が急速に減少しつつあります。
また周辺の住宅街でも次々にマンションが建設されており、昔からの風情は失われつつあります。2003年に建設された地上26階・高さ86.25mの超高層マンション「神楽坂アインスタワー」を巡っては反対運動も激しかったようです。
新年早々 今日も当ブログにお立ち寄りいただき 有難うございました。
注)ブログ記事のうち東京大神宮と神楽坂についてはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋したものです。