昭和の終わり近くの頃、新潟大学経済学部在学中に経営経済学のゼミナールの担当教授をされて、お世話になったのが鈴木辰治先生です。
ドイツで客員教授をこなし、著作も精力的に取り組むなどの学術的な実力に比して、対外的には控え目でしたが、現代社会で見ることの減った戦前生まれらしい豪快さと人情味に惹かれたものです。
酒やタバコまでも豪快が過ぎたのか…10年前に突然お亡くなりになられました。
社会人として仕事の経験をある程度重ねてから、酒でもご一緒させていただきながら大いに話し、改めて教えを請いたいと思う人ほど、早々とこの世を去っていってしまいます。
思い出のほんの僅かですが、ツイッターでつぶやいたものをまとめたのでご覧いただければ幸いです。
●真冬の試験前夜の命令
30年前の記述を読んで大学恩師の鈴木辰治先生を思い出す。雪積もる真冬の試験前夜に電話で酒の買出しを命じられ、研究室に持込むと「一緒に飲みたいけど君は車なので残念だねぇ」とおにぎりの様な顔で大笑いする無茶苦茶な豪放磊落。どんなに忙しくとも煩わしい細事を請け負う度量を教えてくれたなあ。
●破天荒に驚き
35年前に新潟大学で鈴木辰治先生のゼミを選択。古典的経済論が多い教授陣の中で当時珍しい経営論を扱う魅力と、ドイツの大学に客員で一年赴任したため上級生が居ないゼミと聞き、好き放題できそうだとの思惑で。初回の顔合わせ早々「次はソフトボールでもやるか」との教授の破天荒は嬉しい驚きだった。
●有難い助け船
34年前。生活費と学費のためのバイトは4年生時にはフルタイムになっていて、夜は安アパート故の騒々しさで就活勉強ができない。ゼミの鈴木辰治教授は著書校正の手伝いを条件に研究室を空き時間に貸してくれたので、松林の向こうに漁り火が並び浮かぶ日本海を見渡す静寂の中で作業できて有難かった。
●就職報告で大笑い。
世はバブル前の円高不況で就職は容易とはいえない時代。ゼミの鈴木辰治教授から他大学の修士課程に推そうかとも言われたが、早く仕事したかったので突貫工事的な試験勉強を経て辛うじて県職員に合格。教授に報告すると喜ぶどころか「公務員なんてつまらないなぁ」。自分も国家公務員のくせに!!ワロタ。
●任せて育てるタイプ?
35年前。新潟大学では内向的先生が多い中、国際派の我がゼミ鈴木辰治教授がブラジルのエリート留学生を招いたは良いが対応は私に丸投げ。日本語が通じて助かったが、バイト等にかまけて新潟らしいもてなしが不十分なまま帰国させた事を今も後悔。国への土産は「沢口靖子を希望」と面白がらせてくれた。
(新潟大学時代の恩師、鈴木辰治先生の思い出はひとまず終わります。いつかまた数多あるエピソードをupしたいです。大学卒業2年後に鈴木先生の声掛けもあって書き起こした「新潟大学を砂漠の中に目指した頃を思ふ」もご笑覧ください。)