新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代34「大学生の中古車乗り始めの頃(その1)」

●大学生の中古車乗り始めの頃(その1)

 昭和59年の春先。前年の大学1年生の時に夏休みから半年ほどかけた難産の末に、普通乗用車の運転免許証を取得した私が春休みで実家に帰省すると、車庫に見知らぬ車の陰があった。中古車も含め自動車の販売修理を請け負う家族経営の地元零細企業に勤める父が調達してくれた中古のトヨタ・カリーナ1400DXだった。
 4ドア3ボックスのスタンダードなスタイルのセダンで、どちらかというと学生より家族持ち向けというか少しおじさん向けの車種であったが、いかにも大衆向けのカローラなどよりは少し重厚感というか訳知り感を漂わせていて、加えてこの車の代表色だったカーキ色の落ち着きが、自分でも意外にも好印象だった。
 日曜の夕方に帰宅して、いつものように早風呂に入って父と酒宴となったので、車の取り扱い方など詳しくはよく日の朝一にでも父から聞き、場合によっては父に同乗してもらって練習がてらの慣らし運転をしたいと思っていた。自動車教習所での仮免許運転の以降、半年以上も車の運転をしていなかったので、少々自信がなかったのだ。
 しかし、男子の父親というのは厳しいというか頓着しないもので、翌朝目覚めると父は既に出勤してしまっていた。高校卒業して自衛隊に数年間在籍するなどスパルタンな青年時代を過ごしてきた私の父は、免許証持っているんだから即座にフルに車を乗りこなせて当然だろうと考えていたのだ。
 ところが父の意に反して身心共にひ弱な私は困ったものだ。田舎の柏崎であっても私の実家の近くは大きな工場の近くでもあったので、月曜の朝は車の往来も多く、慣らし運転に都合の良いような広くて車通りの少ない道路に行くまでにあたふたしてしまいそうだ。それに新潟市での用事を考えると柏崎市でのんびりもしていられなかった。
 そんな訳で、自動車教習所の教習車の運転以来半年ぶりに、しかも全く初めての車体を運転するのが、柏崎の実家から新潟市五十嵐のアパートまでの約80kmのロングドライブということになった。道程そのものは原付バイクの愛車ヤマハRX50スペシャルで何往復もした馴染みのものであったが、やはり四輪ともなれば車幅感覚など事情が全く違ってくる。私は大いにビビったのだ。
 おっかなびっくりでエンジンをかけて、クラッチを切ってシフトを1速に入れて少しずつクラッチをあげていく。クラッチを繋ぐときのアクセルの踏み加減はこんなだったかなど、教習車で体が憶えているだろうと考えていたが、車種が違うとやはり勝手が違う。クラッチ盤がすべる不機嫌な音にビクつきながらではあったが、何とかカリーナ号は車庫から顔を出せた。
 マニュアル車なので、せっかく繋がったこのままの勢いで軽やかに道路に出たいと思いきや、左右から車の接近があり、クラクションも鳴らされる始末。即座にクラッチを切ってエンストは免れたものの、直ぐには慣れないクラッチ接続にあたふたしながら、なんとか実家の車庫を後にできた。それにしてもこの先約80km。不安しかなかった。

(「新潟独り暮らし時代34「大学生の中古車乗り始めの頃(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代35「大学生の中古車乗り始めの頃(その2)」」に続きます。)
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