●終わる一人暮らし(その2)
・新築から入居したアパート「グリーンハウス」での生活から2年経って、出先事務所への異動になったわけだが、これに際して申し訳ない事をした思いがある。
・当時の異動ローテーションとしてまことしやかに流通していたのが、「大卒の上級職は新採用から3年間は一律本庁に配置、4年目から3年程度は一律に出先事務所へ配置」というものだった。中には例外も散見されるのだが、私はその他大勢組に違いないので、新採用3年目の年には、翌年は新潟県内のほうぼうに散らばる県の出先機関の一つに配属されるのだろうなあと考えていた。
・新潟市のアパートで自由な一人暮らしの私にとって余計なおせっかいなのだが、柏崎市の実家で親元から通える職場という風に”配慮”される公算が高いように考えていた。先輩たちの事例を見聞きするとそんなパターンが良く見られたからだ。
・てっきり来春は転居するつもりでいたところに、高校から大学時代までの学友が民間からトラバーユ(死語?)して、県庁に来年から勤めるという。住まいの相談を受けたので「いい物件なので僕の後に入れば」と言ってしまったのだ。
・ところが蓋を開けてみると異動内示は新潟市の隣町である巻町(当時)にある西蒲原社会福祉事務所。今のアパートから車で30分程度で通える職場だ。友人には申し訳ないが、部屋を明け渡すのは費用対効果など考えても論外。即座に友人に連絡して謝った。もう3月も半ばという時期なのでどうしたものか。できる限りのことをすると申し入れた。彼は当然ながら困った声を上げたが私を責める訳でもなく仕方ないなと淡々と言って「なんとかするわ」と話した。
・男の一人暮らしなので身軽だし、この時期に異動内示が出てから宿所探しをするのは新潟県庁勤めであれば普通のことでもあるので、淡々と受け止めてくれたようだ。こうした割り切りの速さとグダグダ言わないところが彼の良い所で、付かず離れずの人付き合いを好む私に適うのだ。
・ところが偶然の妙が訪れた。実は同じこのアパートに私と同期採用で県庁の別部署に通う職員が住んでいたのだが、彼も大学時代からの顔なじみだったので、早速、異動内示の結果を聞くと「このアパートを出て自宅から通う事にする」と言う。ならば、その後に私の友人を入れさせてくれないかと頼んでみた。後釜は決めていないし、異動内示を受けて転出することもこれから不動産屋に伝えるところだったので、オーケーだと言ってくれた。
・こうした展開をくだんの友人に伝えると「それはありがたい」ということになり、アパート明け渡し約束反故の問題は一気に決着した。
・そんなわけで、高校時代からの馴染みの友人が隣部屋に越してくることになった。お互いにドライな関係を好むのでつるんでの遊びなどが増えるということはなさそうだが、音楽的に同じ嗜好だったので、CDメディアの貸し借りなどができそうだ。いまだ薄給の身の上で、youtubeなどネット音源も無い時代には、購入やレンタルを抑えて小銭を節約できることが、積み重なると結構な大事になることだったのだ。
(「新潟独り暮らし時代81「終わる一人暮らし(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代82「終わる一人暮らし(その3)」」に続きます。)
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