◇◇◇ヤマハ・RX50スペシャル◇◇◇
[昭和58年の夏から59年冬まで愛用し60年春頃廃車]
勝手ながら"お別れの儀式"を済ませたような感覚があったので、春先に雪が溶けていく中でRX50の姿が再びあらわになってきても、もはや跨がってスターターをキックしてみようとさえ思わなくなっていた。今から思えば、一時期あれだけ楽しませてくれた"相棒"を、放置して無視し続けられたのか、我ながら冷めきった感情が信じられないくらいなのだが、青年時代の移り気で時に冷淡な心模様というのはそんなものなのかもしれない。
かなりの月日が経ってさび付いた姿の痛々しさが見るに堪えないほどになってきたころになっても、不思議なことに何故かきっぱりと廃車しようとは思えず、それはもしかしたら修理して再生してみようかという気持ちもどこかにあったのかもしれないのだが、ある日、忽然とRX50は駐車場から姿を消してしまった。
この期に及んで狼狽えた私は、アパートの管理会社に原付バイクが盗難されたらしいと通告したが、すると「当方で撤去しました」という。定期的にアパートを見回る中で長い期間放置されている車両はアパート管理の上で支障があるので強制的に処分するというのだ。賃貸契約の約定に明記されているというし、事前に何度か警告の張り紙をしたというのだが、このころ"がさつ"に過ごしていた私は注意散漫で目にとまらなかったのだ。
それでも大学生らしく理屈っぽかった私は、自分の所業は棚に上げて図々しくも、「勝手に私有財産を処分できるのか」といった趣旨で管理会社担当者に電話で食って掛かってみた。相手も学生の戯言には慣れているようで穏やかな声で、「ならば近くのバイク店「ウイング」に行ってみてください。処分の代行を委託しているのだが、まだそこに保管されていると思うので。どうしてもというなら引き取れますよ」との返答だ。「行かいでか」とばかり電話を切ってそのままくだんの店舗に勇んで歩き向かったのだ。
バイク販売修理店「ウイング」を訪れて事情を話すと、廃品と思しきバイクや自転車が雑然と並ぶ屋外スペースへ案内してくれて、そこで"かつて愛した"RX50との面会を果たせた。「引き取りたいならかまわないが、車体は廃車以外にどうしようもないほど傷んでいるので再生は無理だと思いますよ」と丁寧に説明してくれた。さらに「結局廃車するなら手続きと費用は貴方持ちになりますよ。このままアパート管理業者からの委託ということならば負担は業者持ちで手続きを進めますが」とダメ押しのように続けてきた。
再び走らせることが不能であることはもとより廃車費用の負担も金欠気味だった私には結構響いたものだ。勢いよく乗り込んだものの「このまま廃車処理をお願いします」とか細い声でお願いして逃げるように引き上げることになったのだ。RX50との本当のお別れとなった。
それから約6年ほど経過しただろうか。新潟大学を卒業して新潟県職員となった私は、とある用事で新潟大学の近くを久々に訪れた。学生時代と変わらないなあとあちこちを見て歩いていると、あのバイク販売修理店「ウイング」が目にとまった。と同時に視界に飛び込んできたのがあのヤマハRX50スペシャルではないか。なんと店舗の屋根に、バイク店としてのシンボルよろしく、針金か何かで固定されてその勇姿を見せつけていたのだ。
よもや、まさか、と思いつつそれを近寄って見ると、車体のへこみなどの特徴が、見まごうことない私の愛車だったRX50であることが確信できた。当然のことながらナンバープレートは無い。店舗は休業日であったので、ここに至る経緯など尋ねて聞くことはできなかったのだが、廃車にした上でオブジェとして飾られることになったのだろうなあと推測した。原付離れしたデザインとガタイはバイク通の人々を魅了し続けているのだろう。
数年前の"お別れ"の直ぐ後に解体されるかスクラップになったものと思い込んでいたのに、思わぬ再会のサプライズに涙が出そうになった私だった。
かなりの月日が経ってさび付いた姿の痛々しさが見るに堪えないほどになってきたころになっても、不思議なことに何故かきっぱりと廃車しようとは思えず、それはもしかしたら修理して再生してみようかという気持ちもどこかにあったのかもしれないのだが、ある日、忽然とRX50は駐車場から姿を消してしまった。
この期に及んで狼狽えた私は、アパートの管理会社に原付バイクが盗難されたらしいと通告したが、すると「当方で撤去しました」という。定期的にアパートを見回る中で長い期間放置されている車両はアパート管理の上で支障があるので強制的に処分するというのだ。賃貸契約の約定に明記されているというし、事前に何度か警告の張り紙をしたというのだが、このころ"がさつ"に過ごしていた私は注意散漫で目にとまらなかったのだ。
それでも大学生らしく理屈っぽかった私は、自分の所業は棚に上げて図々しくも、「勝手に私有財産を処分できるのか」といった趣旨で管理会社担当者に電話で食って掛かってみた。相手も学生の戯言には慣れているようで穏やかな声で、「ならば近くのバイク店「ウイング」に行ってみてください。処分の代行を委託しているのだが、まだそこに保管されていると思うので。どうしてもというなら引き取れますよ」との返答だ。「行かいでか」とばかり電話を切ってそのままくだんの店舗に勇んで歩き向かったのだ。
バイク販売修理店「ウイング」を訪れて事情を話すと、廃品と思しきバイクや自転車が雑然と並ぶ屋外スペースへ案内してくれて、そこで"かつて愛した"RX50との面会を果たせた。「引き取りたいならかまわないが、車体は廃車以外にどうしようもないほど傷んでいるので再生は無理だと思いますよ」と丁寧に説明してくれた。さらに「結局廃車するなら手続きと費用は貴方持ちになりますよ。このままアパート管理業者からの委託ということならば負担は業者持ちで手続きを進めますが」とダメ押しのように続けてきた。
再び走らせることが不能であることはもとより廃車費用の負担も金欠気味だった私には結構響いたものだ。勢いよく乗り込んだものの「このまま廃車処理をお願いします」とか細い声でお願いして逃げるように引き上げることになったのだ。RX50との本当のお別れとなった。
それから約6年ほど経過しただろうか。新潟大学を卒業して新潟県職員となった私は、とある用事で新潟大学の近くを久々に訪れた。学生時代と変わらないなあとあちこちを見て歩いていると、あのバイク販売修理店「ウイング」が目にとまった。と同時に視界に飛び込んできたのがあのヤマハRX50スペシャルではないか。なんと店舗の屋根に、バイク店としてのシンボルよろしく、針金か何かで固定されてその勇姿を見せつけていたのだ。
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(「ほのぼの愛車遍歴4「ヤマハ・RX50スペシャル」(その2)」終わり。続きは近くupします。)
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☆新潟久紀ブログ版で連載やってます。
①「へたれ県職員の回顧録」の初回はこちら
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