手放しの究極は、なんとなんと自分が一番クリアしなければならないと思っている物事や事象であったという、手品みたいなお話でございますう〜(笑)
50歳を過ぎたくらいになりますと自分の人生のテーマが明瞭に見えるようになるように思います。
物質面での豊かさや人間関係の構築や何か一つの業を達成するとかあるかと思います。
そうしたものは、たくさんの学びの経験をするためのテキストのようなものかもしれません。
そのテキストの内容を学ぶことにより自分と向き合うことになるわけです。
例えば、お金持ちになりたいというテーマを持ちますとそれに対して、様々な手法を駆使して行くことになるわけです、、収入の多い職場に就職するとか、、人よりたくさん働くとか、、倹約するかとか
、、一獲千金を狙うとか、、
様々あるでしょう。
しかし、そうしたことも最終的にはテキストのようなものでありますから本当の自分の人生のテーマは、自己の内観の中にあるわけです。
つまり、そうしたテキストを使い自分の思いやり感謝する心などの愛を培ったり、忍耐力や競争心、他者との比較、
傲慢さ、本音と外面の使い分け、孤独との対面、憎悪や妬み嫉み(ネタミソネミ)など愛と反対のものの対応、真実と虚偽の対応などを学ぶ経験をしているはず、、
そうしますと、なかなかクリアできずに残るもの、それに伴う事象が自分の最大の人生テーマであったというわけです。
手放し作業は、やはり手放しやすい事象から自然と行われて行くはずですから手放しにくく悪戦苦闘する事象がこだわりや執着となっているわけです。
この最後まであるものが、自己の今世だけでなく前世からのテーマでもあるのではないかとと思います。
ですから、永い永い期間何回も何回も挑戦していますから大事に大事に(笑)温存し手放せないのです。
そして、手放せるようになった時に「何でこんなに握りしめていたのだろう?」と夢から醒めたかのように手放せるということになるようなのです。
私のブログで書いて来ています「手放す」という意味は、「気にならなくなる」や「それにより生じる事象も含め難無く乗り越えることができる」とか「その事象が再度、現れてもクリアできる」などです。
分岐したアセンションの道を進んでいる魂達には、最後の手放しがやってきていて、それが一番身近な関係や事象からもたらされているように感じます。
自己を信じて怯まず真正面から元気に手放せたら良いですよね〜
宇宙も天使達もアセンデッドマスター達もご先祖達もそして、一足先にある地球も応援してくれています。
困難な時は、支援のための愛あるエネルギーを求めながら自己が決めて来ている道を進んで行きたいものです。