黒田晴美の子育てとコーチングと「わたし」

神戸でコーチをしている黒田晴美です。子育て中のママや夢に向かって一歩踏み出したい方のサポートをしています。

心からの感謝の思い

2010年06月05日 | はるの成長日記
あなたの行動を促進するコーチ、黒田晴美です♪

いやぁ、本当にそうなんです、最近。

話し始めた時には、くら~い声だった方が、
みるみる明るく生き生きとしてくるのを体感しているのは、
私にとっても、エネルギー補給☆

これは、無理やりポジティブにさせているのでもなく、
おだてて気分を盛り上げているのでもなく、
本当はやりたくないことをやらなきゃ!と思いこんでいたり、
やるべきだ!と枠にはめて考えていたりしていることに、
気がつくだけでも変わってきます。

あるいは、心の矢印がほんの少しだけずれていたりとかね♪

コーチがそこをフィードバックしたり、
引き出したりしていくだけで、
クライアントさんはご自分の力でどんどん本当の自分の気持ちに気がついて、
本来進みたかった方へシフトされていきます。
そうなると、本当になりたかったことだから、
楽しくって仕方なくなっちゃう♪
あるいは、これでいいんだ!とほっとできちゃいます。

「私はこうなの・・・」
というのをメールでお伝えしただけで、
「はるちゃん、聞いてっ!!あれから、はるちゃんのメール見て考えた!」と
いきなり行動加速の報告メールを送って下さる方もいらっしゃいます。

私は別に、こうしたほうがいいとかこうすべきなんて一言もいってないのですが。

うん。質問すらしていないな(笑)

なのに、受取った私の言葉から、自分の心に問いかけて
「やっぱりやりたい!やってみよう!」
と思われたのだとか。

そんな風に、楽しく明るく前向きに変化していく様子を伝えていただけるのが嬉しくって、
改めて、私のことを応援してくれている家族に感謝の念がじわじわ沸いてきました。

いえ、もちろんいつも感謝はしていました。
だけど、それとは違う何かがじわじわ。


ん?
今までの私、口では「感謝している」っていいつつ、
理解してくれて当然と思っていなかったか?
応援してくれて当然と思っていなかったか?
自分の思い通りになるって思っていなかったか?
「ありがと~」だけで終わらせていなかったか?

今回じわじわ沸いてきた感謝は、
ありがとうの気持ちを、ちゃんとお返ししたいって思い。

それは特別なことではなくって、
美味しい御飯をつくったりだとか、
洗濯をこまめにしたりだとか、
お部屋をきれいいしたりだとか、そういうこと。

以前、クライアントさんとのセッションの中でもでてきたことだけど、
家庭の中で食事を作ることひとつとっても、
毎日必要な栄養素を補給する手段として食事作ることと、
家族に美味しいごはんを食べてもらいたいなぁって作ることは、
同じであって、全然違う。

そう。「そこに愛はあるのかい?」ってことが大事なんです。

いくら料理上手なお母さんでも、
もう、いつも私ばっかり!
少しは手伝ってくれたらいいのに!
今日は疲れてるから、適当でいいっか。
どうせ誰も美味しいなんていってくれないし。
少しは私の大変さをわかってよ!
みんな好き嫌いとか文句ばっかりなんだから!

なんてことを考えながら作っていたら・・・
いくら手の込んだ、豪華なお料理が食卓に並んでも、
なんか美味しくなさそうですよね。

反対にいくら料理が下手でも、
「ママ~、魚こげてるよ~」といわれても、
えへへ♪ごめんね!と笑いあえて、
楽しい食卓を囲めたら、
「ママの納豆ごはん、最高!ママ、お料理上手だね~」
って誉めてもらえます(爆)

(嬉しいけど、よそでいわないでね・・・)


夫への対応も、感謝を伝えようと思ったらちょっと変わりました。
夫がごはんをおかわりしようとしたら、
にっこり笑ってお茶碗を受け取ってごはんをよそい、
「はい、どうぞ♪」
「ありがとう。」
これだけで、なんか違います。

(実は、おかわりをよそったごはんの量にケチをつけられてから、
じゃあ、自分で好きなだけ入れてよ!って感じになっていました・汗)


そんなことを積み重ねているとね・・・
今朝、「昨日の夜、テレビつけっぱなしで寝てたよ」と伝えた時も、
「あれ?はるちゃんが消してくれたん?ありがとう。」
って声が返ってきました。

この「ありがとう。」っていう言い方が、すっごく優しかったんです♪
(えぇ、のろけです、のろけ)

明らかに今までと違う「ありがとう。」


ちょっと前だったら、「テレビつけっぱなしだったよ」といわれただけで、
夫は責められている、文句をいわれていると感じていたのかもしれません。
だから、消したのが私だとわかって「ありがとう。」といっても、
どこか、いわされているような、
「ありがとう。」っていわなきゃいけないんだろ!
いっときゃとりあえずいいんだろ!
いわなきゃ、また機嫌悪くなるんだろ!
みたいなニュアンスがあったのかも。

だけど、今朝の「ありがとう。」は本当にやわらかくって、全然違った。


心が伝わるって、
感謝が伝わるってこういうことなんだ。

今まで私がいっていた「ありがとう。」も
もしかしてカチコチの「ありがとう。」じゃなかった?


そんな風に思えて来ると、
部屋の掃除も、家族が気持ちよく快適に過ごせるためにできることのひとつって思えて、
そんなに嫌じゃなくなってくる。
むしろ、幸せの行い。

私ばっかり掃除してる!
みんなすぐにちらかして!
じゃなくなって、くるのよね~。


心からの感謝の気持ちを持ち続けると、
実は自分が一番楽になるのかもしれない。

「無理」という言葉には、他責と自己肯定感の低さが隠れている

2010年06月05日 | はるの成長日記
先日の記事「どうせ無理、きっと無理、たぶん無理」について、
ツイッターでコメントをいただきました。
ありがとうございます。

『どうせ無理というフレームを捨てるのが無理。
 たぶん無理なら一歩前進かな?』



どうせ無理、という言葉から伝わってくるのは「あきらめ」

わたし、今までたくさんのことをあきらめてきていました。
それを仕方ないと思ってた。
だって・・・って理由(いいわけ?)は人間いくらでも考え付くから。

このことで、真っ先に頭に浮かんだのが、学生時代の進学のこと。

自分の進みたい道に進めなかったのは、親のせいにしていました。
(箱に入っていますね)

ずっと、ずっと、親のせいにしてある意味恨んでいたかも。

だけど、あるとき気がついたんです。

本当に自分が何とかしたかったら、もっと方法はあったって。
私は、それをしなかった。
「あきらめ」たのは、私の責任。
だけど、それを認めたくなくて、親のせいにしてた。
自分を被害者にしていた。
自分の足りなかったところから目をそらしていた。


前に同級生と飲んだ時に聞いた話。
「俺、大学にいかれへんと思っとって。だけど、どうしても大学いきたくて、
『どうしても大学にいって勉強したいから、行かせてくれ』って話ししてん。
そしたら、親が100万円用意してくれた。
今思っても、そのときの100万円って,
うちの家からしたらどんだけ大変やったんやろうって。
それでも、奨学金もらっても大変でさ。
お昼とかみんな同級生は、お店にごはん食べにいってたけど、
俺、お金ないから、公園でカロリーメイト食べとった。あれ、のど渇くねん(笑)」

彼のことは、学生時代のあるエピソードから、一目おいていたのだけれど、
(彼自身は覚えてるかな~?)
この話を聞いて、ますますすごい奴だと思いました。

あきらめないことが未来を変える。

ちなみに彼は今、弁護士をしています。

元々頭もよかったし、人間的にもとても魅力のある人です。


ニュースで不景気から、高校の授業料を払えず中退したり、
進学をあきらめたりという話を聞くと、とても胸が痛みます。
と同時に、そういう子どもたちにあきらめずに
自分で道を切り拓いていけることに気づかせてあげたい。
自分がいるところ以外にも、
もっと世界は広がっているんだということを教えてあげたい。

現実問題、高校生ならば自分の家庭か学校での価値観が、
その世界のほとんどを占めていると思います。

そこで関わってくれる大人がどんな人かによって、
世界が構成されているように感じます。

これが当たり前って思ってるかもしれないけど、
そうでもないかもしれないよ?
こんな世界もあるんだよ。

そういうことが、私、やりたいんですよね。
子育てコーチングもそこにつながっています。

どうしたらやれる?を考えられる子どもを育てる。

親子の関係は深いかもしれないけれど、
結局は別々の人間。
別々の人生を歩んでいきます。

自分がいなくなっても、しっかりと生きていける力をつけてあげるのが、
親が子どもに残せる一番の財産だと思います。