6月30日に第8回目の有識者会議が行われ、今月末には、論点整理が示されるという。
この会議の経過を見る限り、皇位継承の在り方を論じるに当たり重要となる事実については、これまでにかなり押さえられたようである。
ただ、筆者として気になるのは、事実を押さえた上で、今後、どのように議論が展開されていくかである。
この点で、非常に気になるのが、「論点整理」という言葉の響きである。
「論点整理」という場合、いかにも価値中立的な立場に立って、様々な問題点を客観的に整理するというニュアンスがないだろうか。
しかし、皇位継承の在り方というものは、数学の問題でも解くように価値中立的というわけにはいかないだろう。
むしろ、皇室継承の在り方について、パターンは限られているのだから、中心的な課題となるのは、結論を導き出すにあたり、どのような価値観に立つかということではないか。
ここで、価値観ということを述べたが、皇室に対する国民の価値観というものは、実に見えにくい。
明確な主張を行う者もいるが、それは少数派であり、大多数の者はどのように考えているのかよく分からない。もしかすると、何も考えていないのかもしれない。
ただ、それではこのような大多数の者については、どうせ何も考えていないのだから無視してよいかと言うと、そういう訳にもいかないのだろう。
というのも、どのような結果になっても受け入れるというような覚悟が、決して、このような者たちにあるわけではないからである。
むしろ、具体的な意見は表明しない一方で、違和感を感じるかどうかについては実に敏感であり、示された結果に対して違和感を感じれば、すぐに心が離れていってしまうというような、厄介きわまりない存在であるに違いないからである。
そこで、皇室制度を安定的なものとするためには、何も考えていないように見える大多数の者から見ても、心にしっくりと来るような答えを出さなければならないことになる。
ただ、これも、新聞の世論調査というものは、あまりあてにはならないだろう。
皇室に対する大多数の者の意識は、きわめて無自覚的であり、しばしば矛盾する要請を内包していると思われるからだ。
女性天皇についてどう思うかと聞かれれば、特に男子に限る必要性もないように思われるので賛成してしまうという人も多いかもしれない。これは、現代社会の変化ということが念頭にあるのだろうか。ただ、一方、皇室ブランドということがテレビなどにて紹介されることがあるが、そこに表れているのは、伝統、格式、確かさという価値である。そうすると、やはりそういった価値が皇室に期待されているのだと伺える。この期待というものは、男系男子ということに親和的であろう。
結局、できるだけ多くの人々の心にしっくりと来るような答えを導き出すためには、皇室に対する様々な価値観を分析し、変わるべきものと変えてはいけないものとを洗い出すしかあるまい。
この価値観の分析ということにおいては、「論点整理」も意味があろう。
そのような「論点整理」が示されるなら、それは専門家的な知識がない人にも参加できる議論となるので、真剣に考える人が増えるのではないかとも思う。
ただ、果たして、そのような「論点整理」になるだろうか。
現在、価値観というと、建前論というか、要するに単なるお題目になってしまうことがしばしばであり、本当に深い思想が述べられるということは、なくなってしまった。
殊に、公的な世界においては。
しかし、皇室の問題についてだけは、それでは通用しないはずである。
この会議の経過を見る限り、皇位継承の在り方を論じるに当たり重要となる事実については、これまでにかなり押さえられたようである。
ただ、筆者として気になるのは、事実を押さえた上で、今後、どのように議論が展開されていくかである。
この点で、非常に気になるのが、「論点整理」という言葉の響きである。
「論点整理」という場合、いかにも価値中立的な立場に立って、様々な問題点を客観的に整理するというニュアンスがないだろうか。
しかし、皇位継承の在り方というものは、数学の問題でも解くように価値中立的というわけにはいかないだろう。
むしろ、皇室継承の在り方について、パターンは限られているのだから、中心的な課題となるのは、結論を導き出すにあたり、どのような価値観に立つかということではないか。
ここで、価値観ということを述べたが、皇室に対する国民の価値観というものは、実に見えにくい。
明確な主張を行う者もいるが、それは少数派であり、大多数の者はどのように考えているのかよく分からない。もしかすると、何も考えていないのかもしれない。
ただ、それではこのような大多数の者については、どうせ何も考えていないのだから無視してよいかと言うと、そういう訳にもいかないのだろう。
というのも、どのような結果になっても受け入れるというような覚悟が、決して、このような者たちにあるわけではないからである。
むしろ、具体的な意見は表明しない一方で、違和感を感じるかどうかについては実に敏感であり、示された結果に対して違和感を感じれば、すぐに心が離れていってしまうというような、厄介きわまりない存在であるに違いないからである。
そこで、皇室制度を安定的なものとするためには、何も考えていないように見える大多数の者から見ても、心にしっくりと来るような答えを出さなければならないことになる。
ただ、これも、新聞の世論調査というものは、あまりあてにはならないだろう。
皇室に対する大多数の者の意識は、きわめて無自覚的であり、しばしば矛盾する要請を内包していると思われるからだ。
女性天皇についてどう思うかと聞かれれば、特に男子に限る必要性もないように思われるので賛成してしまうという人も多いかもしれない。これは、現代社会の変化ということが念頭にあるのだろうか。ただ、一方、皇室ブランドということがテレビなどにて紹介されることがあるが、そこに表れているのは、伝統、格式、確かさという価値である。そうすると、やはりそういった価値が皇室に期待されているのだと伺える。この期待というものは、男系男子ということに親和的であろう。
結局、できるだけ多くの人々の心にしっくりと来るような答えを導き出すためには、皇室に対する様々な価値観を分析し、変わるべきものと変えてはいけないものとを洗い出すしかあるまい。
この価値観の分析ということにおいては、「論点整理」も意味があろう。
そのような「論点整理」が示されるなら、それは専門家的な知識がない人にも参加できる議論となるので、真剣に考える人が増えるのではないかとも思う。
ただ、果たして、そのような「論点整理」になるだろうか。
現在、価値観というと、建前論というか、要するに単なるお題目になってしまうことがしばしばであり、本当に深い思想が述べられるということは、なくなってしまった。
殊に、公的な世界においては。
しかし、皇室の問題についてだけは、それでは通用しないはずである。