平成17年6月30日付けの朝日新聞の夕刊に,鈴木邦男氏の「限度超す皇室への期待」と題する記事が掲載されている。
この記事には,筆者が最近強く感じている問題意識が,ずばりと指摘されている。
それは,皇位継承の在り方をめぐる議論において,特に一部保守派の男系男子維持を主張する議論において、どうしても感じざるを得ない違和感の問題である。
そのような議論においては,しばしば,「自分こそは,皇室というものを最もよく理解しているのだ」「自分の説こそが,絶対に正しいのだ」という傲りの臭いを強く感じるのである。
そのような傾向になってしまう原因としては,世間に於けるいわゆる女帝論というものにつき,きわめて浅はかで表層的な議論のように見えることによる,反発ということがあろう。
伝統的な価値というものを相対化させ,消滅させようとするような勢力も確かにあったであろうし,そのような勢力に対する憎悪というのも,分からないでもない。
また,筆者自身も,かつてそのような態度をとっていたことがあり,反省しなければならないところでもある。
ただ,改めて考えてみるに,そのような傾向のある主張というものは,反発や憎悪ということ以外に、果たして、皇室の方々のお立場や,皇室と国民との関係ということを,十分に突き詰めた上で発せられたものであろうかと,疑問に行うことがしばしばある。
なぜ,そのような疑問を感じるかと言えば,筆者としては,皇位継承の在り方を論ずる者は,ひたすらに謙虚であるべきだと思うからである。
皇位継承の在り方というものは,皇室の方々のご境遇に大きな影響を与えるものであるにもかかわらず,法律事項である故に皇室が関与できないが,これは何とも切ない話ではないか。
皇位継承の在り方についてどのような結論を出すにせよ,皇室というのは人権の制約されたお立場であり,そのようなお立場にある皇室が関与できないプロセスにおいて,皇室の方々の境遇に大きな影響を与えるようなことを考えようというのだから,これは,ただただ申し訳ない話ではないか。
そうなれば,当然,皇位継承の在り方を論じる際には,どこまでも謙虚でなければならないのではないだろうかと思うのである。
しかし,上記に述べたような,一部の男系男子論者については,そのような謙虚さが感じられないのである。
守るべきは制度であり,個々の皇室の方々ではないという考え方もあるのかもしれないが,皇室の制度については,生身の人間によって担われているものであり,その連続の上に成り立つものである。
個々の方々はどうでもいいとして,謙虚さを忘れて問題なしとする態度については,筆者としては理解できない。
幾つかの考え方があるとして,そのうちどの考え方が適切であるかについての論者ごとの判断というものは,当然あり得るところであろうが,ただ,それでも,皇室に対しては,やはり申し訳ないという気持ちを抱くべきではないかと思うのである。
このように思う筆者としては,強硬にして攻撃的な男系男子論者に対しては,その主張の内容の当否とは別なところで反感を抱かざるを得ないし,雑誌等でそのような者の論文を見るにつけ,何やら新たな皇室創設者たらんとする野望のようなものさえ,感じてしまうのである。
この記事には,筆者が最近強く感じている問題意識が,ずばりと指摘されている。
それは,皇位継承の在り方をめぐる議論において,特に一部保守派の男系男子維持を主張する議論において、どうしても感じざるを得ない違和感の問題である。
そのような議論においては,しばしば,「自分こそは,皇室というものを最もよく理解しているのだ」「自分の説こそが,絶対に正しいのだ」という傲りの臭いを強く感じるのである。
そのような傾向になってしまう原因としては,世間に於けるいわゆる女帝論というものにつき,きわめて浅はかで表層的な議論のように見えることによる,反発ということがあろう。
伝統的な価値というものを相対化させ,消滅させようとするような勢力も確かにあったであろうし,そのような勢力に対する憎悪というのも,分からないでもない。
また,筆者自身も,かつてそのような態度をとっていたことがあり,反省しなければならないところでもある。
ただ,改めて考えてみるに,そのような傾向のある主張というものは,反発や憎悪ということ以外に、果たして、皇室の方々のお立場や,皇室と国民との関係ということを,十分に突き詰めた上で発せられたものであろうかと,疑問に行うことがしばしばある。
なぜ,そのような疑問を感じるかと言えば,筆者としては,皇位継承の在り方を論ずる者は,ひたすらに謙虚であるべきだと思うからである。
皇位継承の在り方というものは,皇室の方々のご境遇に大きな影響を与えるものであるにもかかわらず,法律事項である故に皇室が関与できないが,これは何とも切ない話ではないか。
皇位継承の在り方についてどのような結論を出すにせよ,皇室というのは人権の制約されたお立場であり,そのようなお立場にある皇室が関与できないプロセスにおいて,皇室の方々の境遇に大きな影響を与えるようなことを考えようというのだから,これは,ただただ申し訳ない話ではないか。
そうなれば,当然,皇位継承の在り方を論じる際には,どこまでも謙虚でなければならないのではないだろうかと思うのである。
しかし,上記に述べたような,一部の男系男子論者については,そのような謙虚さが感じられないのである。
守るべきは制度であり,個々の皇室の方々ではないという考え方もあるのかもしれないが,皇室の制度については,生身の人間によって担われているものであり,その連続の上に成り立つものである。
個々の方々はどうでもいいとして,謙虚さを忘れて問題なしとする態度については,筆者としては理解できない。
幾つかの考え方があるとして,そのうちどの考え方が適切であるかについての論者ごとの判断というものは,当然あり得るところであろうが,ただ,それでも,皇室に対しては,やはり申し訳ないという気持ちを抱くべきではないかと思うのである。
このように思う筆者としては,強硬にして攻撃的な男系男子論者に対しては,その主張の内容の当否とは別なところで反感を抱かざるを得ないし,雑誌等でそのような者の論文を見るにつけ,何やら新たな皇室創設者たらんとする野望のようなものさえ,感じてしまうのである。