皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

皇位継承の問題について(男系継承にこだわることの有害さ)

2024-05-08 22:07:38 | 皇室の話(3)
前回の記事のタイトルにつき、当初「男系継承に重みはあるのか」としていたが、「男系継承に意味はあるのか」の方が直接的であるので、修正を行った。

今回は、さらに一歩進めて、「男系継承にこだわることの無価値さ」としてみた。

男系派の論客においては、なぜ男系によって継承されてきたのかについて説明できるものではないとか、もはや理屈はどうでもいいといったような、非常に知性的とは言いがたい主張が行われる場合がある。

前回の記事を読んでいただいた方には、こういった主張こそが、男系継承というものが本来固有の原理なのではなく、要するに「影」にすぎないということをよく表しているということが分かるのではないだろうか。

男系継承というのは本来固有の原理ではなく、意味もなく、理屈などない。
あくまでも一夫多妻制、妻の従属性ということの結果としての「影」であるに過ぎない。
そうであるが故に、男系継承の意味、理屈が説明できないのである。



さて、このように意味や理屈のない男系継承にこだわることについては、無価値であるどころか、非常に有害であるとも言い得る。

男系継承でなければならないという考え方というのは、父、母、子の関係において、父から子へはその価値ある資質・資格を継承できるのに対し、母から子へは、何も継承することができない、ということを意味しているのである。

かつて渡部昇一氏は、種と畑のたとえを用いて、非常に上手に説明していた。
すなわち、どのような畑であっても、セイタカアワダチソウの種をまけばセイタカアワダチソウが育つ。
何が育つかは、種によって決まるのであり、畑で決まるのではない、といった話である。
そして、この場合の種とは男子、畑とは女子のことなのである。

あまり品のよくないたとえではあるが、男系継承に考え方というものの本質がよく表れている。

このような考え方は、生物学的にも反しているし、世の中に母親似の男の子がたくさんいることは、誰でもよく知っているのではないか。
その上でなお、このような考え方に立つといのは、「女性」につき、原理レベルで否定する考え方なのである。

男系派においては、民間女性は男系皇族と結婚することで皇族となることができるが、民間男系は女性皇族と結婚しても皇族になることはできないので、むしろ男性を差別しているといった、子どもが言いそうな理屈をこねたりもする。

これは、男性である者、女性である者のそれぞれ個人としての扱いのレベルについて論じたものであり、そのレベルにおいてはその通りであるのかもしれないが、より根源的な原理レベルにおける「女性」について、価値のないものとみなす考え方なのである。

我が国の象徴という地位に即く要件の検討において、このような考え方に立脚するというのは、どう考えても有害なのではないだろうか。
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皇位継承の問題について(男系継承に意味はあるのか)

2024-05-08 21:37:21 | 皇室の話(3)
〇 男系継承は歴史的な確信なのか
皇位継承の在り方の議論につき、国会における政府答弁では「皇位継承の問題を検討するに当たっては、男系承継が古来例外なく維持されてきたことの重みなどを踏まえながら、慎重かつ丁寧に検討を行う必要がある」というのが定例のフレーズとなっている。

ただ、皇位継承の在り方の問題を本当に検討するというのであれば、このフレーズを当然の前提としてよいかについては、もっとちゃんと考えてみる必要があるのではないだろうか。

前回の記事において、法定継承順位ということを述べたが、明治時代になり、ヨーロッパの君主国にならって継承順位を法定しようとする際、歴代天皇の継承の在り方を調べ、そこから男系継承という原則を見出し、そこに重みがあるのではないかと考えること自体は、十分に理解できることではある。

しかしながら、産経新聞とか、安倍系保守の勢力のように、それを最重要の原則と位置付けるというのであれば、その重みとして、日本国、皇室制度にとって、どのような積極的意義があるのかについて、まずは明らかにしなければならないのではないだろうか

また、そもそものところ、歴代天皇の即位について、男系継承でなければならないという確信に基づいて積み重ねられたと言えるものだろうか

そのような確信が歴史上に存在していたのであれば、そのことを示す文書が何らかの形で存在してもよさそうなのに、そういうものは見当たらないというのが現実であろう。

歴史的な確信として代々受け継がれてきたということであれば、積極的意義をあまり解明せずに、とりあえず伝統だからという主張も、一つの主張として成り立つように思えなくもない。

しかし、男系派の主張を見ていると、男系継承を2000年以上も守ってきたというような言い方をしており、男系継承でなければならないという確信が歴史上存在していたかのように述べているのだが、根拠なくして述べているのだとしたら、それは欺瞞というべきなのではないだろうか。



〇 男系継承の生じた背景
歴代天皇の即位についての状況を見ていくと、その時々の関係者が最も心を砕いていたのは、どの家系の女性と結婚させるかということであり、その際に、念頭にあったのは一夫多妻制ということである。

后妃の在り方については歴史上の変遷もありなかなか複雑であるが、夫と妻の関係が1対1ではなく、1対複数という非対称性があり、その帰結として、今の時代、こういうことを言うと怒られるかもしれないが、妻は夫に従属するという観念があったのではないか

妻の夫に対する従属性という観念があったが故に、女性皇族が即位して天皇になると、最高位であるはずの天皇が誰かに従属するというわけにはいかないので、即位の後は結婚できなくなったということなのではないだろうか。

歴史上の(特に上位階級における)結婚の在り方としての一夫多妻制、妻の夫に対する従属性ということの方が、歴史上の確信という点で、筆者には遥かにリアリティが感じられるのである。

そして、一夫多妻制、妻の夫に対する従属性ということから継承が行われれば、結果としては男系継承と同じような継承の流れとなるのである。

すなわち、筆者に言わせれば、一夫多妻制、妻の夫に対する従属性ということが歴史上の実体であり、そのことを法定継承順位という平面に投射してできた影のようなものが男系継承なのではないかということである。

〇男系継承に重みはあるのか
皇位継承資格の女系拡大支持派の主張において、「双系」ということが述べられる場合がある。

母方の血筋も重視されたという点では筆者も異論はないけれども、歴史的に「双系」であったとまでは言えず、やはり夫と妻の非対称性ということは否定できないのではないかと思う。

ただ、男系派が思い込んでいるかのように、天皇としての必須の資質が男系継承でなければ受け継がれないというのは、歴史的な確信としては存在していなかったのではないかと思う。

その最大の証拠は、皇室の祖先神が天照大御神であり、天照大御神は女性神であるということである。

このことを持ち出すと、男系派の人たちは、それは神話の話であるだとか、天照大御神は実は男性だったといった主張を展開する。

このブログでも以前、天照大御神について男性神っぽい場面があること(素戔嗚尊との誓約)を述べたことはあるが、それにしても、神話が歴史上の事実ではないということで、要するに創作物であるというならば、なぜ男性神として創作しなかったのだろうか。

天皇としての必須の資質は男系継承でなければ受け継がれないという確信が、歴史上の確信であったとすれば、皇室の祖先神は当然に男性神とするのが一貫するであろう。

男系派の人たちは、この議論を避けるために、初代神武天皇から男系で一貫していると主張し、天照大御神との関係は脇においてしまうのであるが、それでいて、男系派の多くは天皇の役割として最も重要なのは宮中祭祀だと言ったりしており、筆者からすれば、支離滅裂としか言いようがない。

皇位継承の在り方が重大な問題であること、歴史上の皇位継承の在り方を観察すると男系継承ということが読み取れることから、それを変えることについては慎重であるべきということは、筆者としても理解できる。

ただ、現在の状況は、愛子天皇という大きな選択肢を排除するかどうかという分かれ目にあるわけなのである。

男系派の主張に基づく施策を実施し、愛子天皇という選択肢の排除という決断をするのであれば、
・天皇としての必須の資質は男系継承でなければ受け継がれないと言えるのか
・男系継承を維持することにつき、我が国、皇室にとっての積極的な意義は何か
・これらが説明できなければ、一夫多妻制、妻の夫に対する従属性の影を、将来にわたって日本の象徴の必須の要件と位置付けることになるが、それでもいいのか

といった点について、何らかの説明が必須ではないかと思う。

補足
男系継承について、それを維持するためには側室制度が必要といった言い方がされることがあり、そこでは男系継承が目的で側室制度が手段という関係であるかのようである。
しかしながら、側室制度、すなわち、一夫多妻制による継承の結果が男系継承となるのであり、このような目的と手段の関係という捉え方は適切ではないのではないか。

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