令和6年7月6日9:17、PRESIDENTOnlineより配信の「天皇陛下だけが足を運ぶ「歪な皇室外交」でいいのか…両陛下の「英国訪問成功」を手放しで喜んではいけないワケ」と題する記事がある。
余計なことを言うなボケ
この記事を読む多くの人も、そう思うのではないだろうか。
そもそも、国際親善のための皇室の外国御訪問は、双方の国において、よい御訪問であったと手放しで喜んで、それで良いのである。
良かった良かったと喜んで、お互いの国に対する親近感が生じて高まることとなれば、それこそが国際親善に繋がるのだ。
憲法上の問題、国際儀礼上の問題を生じるようなことがあった場合には、その指摘、批判は大事であろう。
しかし、そうではないところで、印象論でああだこうだとネガティブに評するというのは、そもそもが野暮であるし、この記事によって何らかの影響が生じるとしても、それはマイナスの影響にしかならないであろう。
それにしても、なぜこのタイミングでの記事なのだろうか。
記事中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
■天皇陛下としての訪英が5回続いている
この訪問が「新日英同盟」といわれるほど緊密の度を深めている両国関係や、東西世界を代表する天皇と国王の友情を深化させ絆を深めたとしたら、心強いことである。
ただ、1975年のエリザベス女王のたった1回の訪日の後、日本の天皇陛下(平成年間の上皇陛下の訪英を含む)が5回連続して訪英するという現在の状況は普通では考えにくい。ほかの国の君主は、むしろ日本が受け入れることのほうが多いのと好対照になっている。
-----引用終了-----
エリザベス女王の訪日の後、天皇陛下が5回連続して訪英しているとあり、図表まで付いているのであるが、5回のうち3回は、平成時代の天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)であり、令和時代の訪英も1回はエリザベス女王の葬儀に参列するための訪英である。
令和の時代における訪英について、何か問題があるというわけではないであろう。
相互の御訪問の回数については、お代替わりの前後を通じてカウントするものだという考えに立つのであれば、まずは、平成時代の回数の多さを問題にするべきなのではないだろうか。
また、記事中にこんな記載もある。
-----引用開始-----
■1週間も滞在されたが、内容は薄かった
また、今回は、チャールズ国王、キャサリン皇太子妃、雅子さまの体調面の不安があり、しかも、英国は総選挙の期間だったので、1週間という長い滞在にもかかわらず、内容は薄く、現地の報道でも主要ニュースとしては取り上げられなかった。
私は、『英国王室と日本人 華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館、篠塚隆と共著)という本で日英国際親善の歴史を解説しているが、これまでの皇室外交と比べたとき、いささか内容が希薄で多くの課題を残したと考える。
たとえば、訪英中にランチやディナーの機会は12回あったが、両陛下での参加は国王ご夫妻との内輪の会と公式晩餐会、それに、オックスフォード大学総長との昼食のみ。ほかに陛下単独で歴史的な金融地区であるシティ・オブ・ロンドンで開かれた晩餐会への出席が1回あったものの、8回はホテルで両陛下など身内ですまされた。
-----引用終了-----
「内容は薄かった」なんていうことがあるのだろうか。
この人は何を言っているんだろうという感じしかしない。
ランチやディナーの機会の数を取りあげて批判的に論じているが、回数に着目した議論というのはどれぐらい意味があるのだろうか。
結局のところ、こだわる人にとっては意味がある、というぐらいのことなのではないだろうか。
また、「内容は薄かった」といった論じ方は、そもそもホスト国に対し非礼なのではないだろうか。
八幡氏の記事は、何も問題のないところに自ら問題を作り出し、全てを台無しにしようとする所業のようにしか思えない。
何でこんなことを書くのだろう。
八幡氏は、今回の御訪英について、特に皇后陛下をターゲットにして、これでもかという感じで延々と批判を展開し、最後に以下のように述べる。
-----引用開始-----
いずれにせよ、日本の皇室が英国の王室にすり寄っている印象なのはよろしくない。一方、皇族が英国に留学したりしても、あちらの貴族社会になじんでおられる風でもない。雅子さまのご体調を前提にすればいかなる日程が好ましいのかとか、今後の悠仁さまの留学も含めて、皇室外交について戦略の立て直しが必要だ。
-----引用終了-----
「日本の皇室が英国の王室にすり寄っている印象」とある。
「印象」という言い方であれば、それが如何におかしいものであろうとも、それが私の印象なんですと言われれば、それまでとなってしまう。
ただ、八幡氏の記事でおかしいと感じるのは、皇室の外国御訪問は、政府において相手国と調整して決定するという仕組みになっていることへの言及が全く無いことである。
外国御訪問に対する皇室側の思い、お気持ちというものはあるであろう。
しかし、仕組みとしては、皇室には外交権はないのであって、そもそも「皇室外交」という言葉は間違ったものであり、政府において調整した中で、皇室は国際親善に務められるのだ。
回数の問題を取りあげたいのであれば、まずは、批判の対象とするべきは政府(外務省)ということになるであろう。
天皇皇后両陛下においては、それぞれの外国御訪問の機会において、最大限、国際親善に資するようにお務めになられるのである。
今回の英国御訪問にしてもそうであろう。
八幡氏は、「英国の王室にすり寄っている印象」などと言うが、それなら、訪英が連続で5回目となっておりおかしいですよということで、不満そうな表情でもしていればよかったというのであろうか。
ばかげている。
この八幡氏の記事というのは、誰に向けて書いたものなのだろうか。
どうも筆者には、今回の英国御訪問の成功に嫉妬している誰か、皇后陛下の華やかな姿に嫉妬している誰かの気持ちをなだめ、その誰かに取り入ろうとしている意図のようなものを感じてしまう。
この八幡氏というのは、令和6年7月2日の皇室の伝統を守る国民の会でスピーチをした人物の一人である。
このアゴラの記事を読んでも明らかだが、要するに、秋篠宮家を持ち上げるために天皇御一家をおとしめたい派ということのようだ。
秋篠宮家のお立場に詳しいということであれば、秋篠宮殿下の摂政待遇については、どのように理解しているのだろうか。
このブログの令和6年6月4日の「八幡和郎氏の記事を切っ掛けに確認(皇嗣殿下の摂政待遇と暗い未来)」という記事でも書いたのだが、
八幡氏は、プレジデントオンライン配信の「愛子さま、佳子さまの「将来の年収」を左右する…「女性皇族は結婚後も皇族残留案」の抜群のメリット」と題する記事において、以下のように書いていた。
-----引用開始-----
ただし、常陸宮・三笠宮・高円宮各宮家の当主には3050万円なのを、従来の皇太子殿下の費用とほぼ同額ということで、秋篠宮皇嗣殿下には3倍の9150万円が支払われるようにした。
-----引用終了-----
「従来の皇太子殿下の費用とほぼ同額」という箇所につき、筆者は皇太子殿下の費用の額というものを聞いたことが無かったので変だと思い、改めて、平成29年4月21日付け天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議最終報告を確認すると、その18ページに、以下のように記載されていた。
-----引用開始(下線は筆者)-----
3 皇室経済法上の経費区分
文仁親王殿下を皇太子としない場合、皇室経済法上の位置付けは、御家族を含め、引き続き内廷外皇族であり、皇族費の対象となる。
ただし、この場合であっても、皇位継承順位第一位というお立場の重要性や御活動の拡大等に鑑み、皇族費の額を増額することが必要である。具体的には、皇室経済法において、摂政たる皇族に対する皇族費の支給について、その在任中は定額の3倍に相当する額の金額とする旨が規定されていることも参考とし、これに相当する程度に増額することが適当である。
-----引用開始-----
要するに、秋篠宮殿下を摂政待遇とするべく皇族費を3倍(3050万円×3)にしていたのである。
さて、摂政というのは、「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」に置かれるもの(皇室典範第16条第2項)で、国事行為を常時代行するのが任務である。
したがって、国事行為の常時代行をするからこその皇族費3倍なのであるが、皇嗣殿下は臨時代行として、今年度は御訪問の間しか臨時代行をしていない。
皇族費3倍の摂政待遇者として果たしている役割として、十分と言えるのだろうか。
英国御訪問の間、代行を務めたのは、
これだけである。
「1週間も滞在されたが、内容は薄かった」どころではないのではないだろうか。
余計なことを言うなボケ
この記事を読む多くの人も、そう思うのではないだろうか。
そもそも、国際親善のための皇室の外国御訪問は、双方の国において、よい御訪問であったと手放しで喜んで、それで良いのである。
良かった良かったと喜んで、お互いの国に対する親近感が生じて高まることとなれば、それこそが国際親善に繋がるのだ。
憲法上の問題、国際儀礼上の問題を生じるようなことがあった場合には、その指摘、批判は大事であろう。
しかし、そうではないところで、印象論でああだこうだとネガティブに評するというのは、そもそもが野暮であるし、この記事によって何らかの影響が生じるとしても、それはマイナスの影響にしかならないであろう。
それにしても、なぜこのタイミングでの記事なのだろうか。
記事中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
■天皇陛下としての訪英が5回続いている
この訪問が「新日英同盟」といわれるほど緊密の度を深めている両国関係や、東西世界を代表する天皇と国王の友情を深化させ絆を深めたとしたら、心強いことである。
ただ、1975年のエリザベス女王のたった1回の訪日の後、日本の天皇陛下(平成年間の上皇陛下の訪英を含む)が5回連続して訪英するという現在の状況は普通では考えにくい。ほかの国の君主は、むしろ日本が受け入れることのほうが多いのと好対照になっている。
-----引用終了-----
エリザベス女王の訪日の後、天皇陛下が5回連続して訪英しているとあり、図表まで付いているのであるが、5回のうち3回は、平成時代の天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)であり、令和時代の訪英も1回はエリザベス女王の葬儀に参列するための訪英である。
令和の時代における訪英について、何か問題があるというわけではないであろう。
相互の御訪問の回数については、お代替わりの前後を通じてカウントするものだという考えに立つのであれば、まずは、平成時代の回数の多さを問題にするべきなのではないだろうか。
また、記事中にこんな記載もある。
-----引用開始-----
■1週間も滞在されたが、内容は薄かった
また、今回は、チャールズ国王、キャサリン皇太子妃、雅子さまの体調面の不安があり、しかも、英国は総選挙の期間だったので、1週間という長い滞在にもかかわらず、内容は薄く、現地の報道でも主要ニュースとしては取り上げられなかった。
私は、『英国王室と日本人 華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館、篠塚隆と共著)という本で日英国際親善の歴史を解説しているが、これまでの皇室外交と比べたとき、いささか内容が希薄で多くの課題を残したと考える。
たとえば、訪英中にランチやディナーの機会は12回あったが、両陛下での参加は国王ご夫妻との内輪の会と公式晩餐会、それに、オックスフォード大学総長との昼食のみ。ほかに陛下単独で歴史的な金融地区であるシティ・オブ・ロンドンで開かれた晩餐会への出席が1回あったものの、8回はホテルで両陛下など身内ですまされた。
-----引用終了-----
「内容は薄かった」なんていうことがあるのだろうか。
この人は何を言っているんだろうという感じしかしない。
ランチやディナーの機会の数を取りあげて批判的に論じているが、回数に着目した議論というのはどれぐらい意味があるのだろうか。
結局のところ、こだわる人にとっては意味がある、というぐらいのことなのではないだろうか。
また、「内容は薄かった」といった論じ方は、そもそもホスト国に対し非礼なのではないだろうか。
八幡氏の記事は、何も問題のないところに自ら問題を作り出し、全てを台無しにしようとする所業のようにしか思えない。
何でこんなことを書くのだろう。
八幡氏は、今回の御訪英について、特に皇后陛下をターゲットにして、これでもかという感じで延々と批判を展開し、最後に以下のように述べる。
-----引用開始-----
いずれにせよ、日本の皇室が英国の王室にすり寄っている印象なのはよろしくない。一方、皇族が英国に留学したりしても、あちらの貴族社会になじんでおられる風でもない。雅子さまのご体調を前提にすればいかなる日程が好ましいのかとか、今後の悠仁さまの留学も含めて、皇室外交について戦略の立て直しが必要だ。
-----引用終了-----
「日本の皇室が英国の王室にすり寄っている印象」とある。
「印象」という言い方であれば、それが如何におかしいものであろうとも、それが私の印象なんですと言われれば、それまでとなってしまう。
ただ、八幡氏の記事でおかしいと感じるのは、皇室の外国御訪問は、政府において相手国と調整して決定するという仕組みになっていることへの言及が全く無いことである。
外国御訪問に対する皇室側の思い、お気持ちというものはあるであろう。
しかし、仕組みとしては、皇室には外交権はないのであって、そもそも「皇室外交」という言葉は間違ったものであり、政府において調整した中で、皇室は国際親善に務められるのだ。
回数の問題を取りあげたいのであれば、まずは、批判の対象とするべきは政府(外務省)ということになるであろう。
天皇皇后両陛下においては、それぞれの外国御訪問の機会において、最大限、国際親善に資するようにお務めになられるのである。
今回の英国御訪問にしてもそうであろう。
八幡氏は、「英国の王室にすり寄っている印象」などと言うが、それなら、訪英が連続で5回目となっておりおかしいですよということで、不満そうな表情でもしていればよかったというのであろうか。
ばかげている。
この八幡氏の記事というのは、誰に向けて書いたものなのだろうか。
どうも筆者には、今回の英国御訪問の成功に嫉妬している誰か、皇后陛下の華やかな姿に嫉妬している誰かの気持ちをなだめ、その誰かに取り入ろうとしている意図のようなものを感じてしまう。
この八幡氏というのは、令和6年7月2日の皇室の伝統を守る国民の会でスピーチをした人物の一人である。
このアゴラの記事を読んでも明らかだが、要するに、秋篠宮家を持ち上げるために天皇御一家をおとしめたい派ということのようだ。
秋篠宮家のお立場に詳しいということであれば、秋篠宮殿下の摂政待遇については、どのように理解しているのだろうか。
このブログの令和6年6月4日の「八幡和郎氏の記事を切っ掛けに確認(皇嗣殿下の摂政待遇と暗い未来)」という記事でも書いたのだが、
八幡氏は、プレジデントオンライン配信の「愛子さま、佳子さまの「将来の年収」を左右する…「女性皇族は結婚後も皇族残留案」の抜群のメリット」と題する記事において、以下のように書いていた。
-----引用開始-----
ただし、常陸宮・三笠宮・高円宮各宮家の当主には3050万円なのを、従来の皇太子殿下の費用とほぼ同額ということで、秋篠宮皇嗣殿下には3倍の9150万円が支払われるようにした。
-----引用終了-----
「従来の皇太子殿下の費用とほぼ同額」という箇所につき、筆者は皇太子殿下の費用の額というものを聞いたことが無かったので変だと思い、改めて、平成29年4月21日付け天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議最終報告を確認すると、その18ページに、以下のように記載されていた。
-----引用開始(下線は筆者)-----
3 皇室経済法上の経費区分
文仁親王殿下を皇太子としない場合、皇室経済法上の位置付けは、御家族を含め、引き続き内廷外皇族であり、皇族費の対象となる。
ただし、この場合であっても、皇位継承順位第一位というお立場の重要性や御活動の拡大等に鑑み、皇族費の額を増額することが必要である。具体的には、皇室経済法において、摂政たる皇族に対する皇族費の支給について、その在任中は定額の3倍に相当する額の金額とする旨が規定されていることも参考とし、これに相当する程度に増額することが適当である。
-----引用開始-----
要するに、秋篠宮殿下を摂政待遇とするべく皇族費を3倍(3050万円×3)にしていたのである。
さて、摂政というのは、「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」に置かれるもの(皇室典範第16条第2項)で、国事行為を常時代行するのが任務である。
したがって、国事行為の常時代行をするからこその皇族費3倍なのであるが、皇嗣殿下は臨時代行として、今年度は御訪問の間しか臨時代行をしていない。
皇族費3倍の摂政待遇者として果たしている役割として、十分と言えるのだろうか。
英国御訪問の間、代行を務めたのは、
令和6年6月25日(火)国事行為臨時代行(ご執務)(秋篠宮邸/東京都港区)
令和6年6月28日(金)国事行為臨時代行(ご執務)(秋篠宮邸/東京都港区)
令和6年6月28日(金)国事行為臨時代行(ご執務)(秋篠宮邸/東京都港区)
これだけである。
「1週間も滞在されたが、内容は薄かった」どころではないのではないだろうか。