前回の平成17年8月7日の記事にて,男系男子論というものがひたすらに過去を志向したものであること,皇位の永続性を願うのであれば未来志向も必要ではないか,ということを述べた。
ただ,それでは,過去への志向ということにつき,男系男子論者の理解は適切であるかとなると,それもどうも怪しげである。
朝日新聞のサイトにおいて,「新書の穴」というコーナーがあり,そこで意外にも八木秀次著「本当に女帝を認めてもいいのか」が紹介されている。
http://book.asahi.com/shinsho/TKY200507120119.html
紹介文の内容は,なぜ女帝がダメなのかを懇切丁寧に説明しているという趣旨であるが,ここでまたしても,「『男子皇族に代々受け継がれてきたY染色体を、女子皇族は持っていないから』であって、『天皇の天皇たるゆえんは、神武天皇の血を今日に至るまで受け継いでいるということに尽きる』」ということが強調されている。
そして,「身もフタもなさを感じる。すがすがしい。」という,評者の感想が示されている。
筆者は,朝日が八木氏の著書を紹介したこと,そして、このような評価をしていることを目の当たりにして,何とも言いようのない危機感を感じてしまった。
それは,八木氏の男系男子論というのは,皇室制度の存続を,つくづく危うくするものであるということである。
将来に向けての問題点については今までも述べてきたが,今回改めて感じたのは,皇室の歴史に対する理解における問題点である。
上記の評者も述べているが,改めて考えてみるといい。
皇室の歴史を,神武天皇のY染色体などという,生物学的骨董品保存の記録という理解で塗りつぶしてしまう意味を。
それは,あまりに「身もフタ」もないではないか。皇室の歴史には、皇位の存続のために人生を捧げてこられた多くの人々の存在があったはずである。様々な思い、深い思いがあったはずである。しかし、このような理解というのは、そのようなドラマを忘れさせ,実に「すがすがしい」くらいに単純な無機質なストーリーにしてしまっているではないか。
仮に,将来,皇位が途絶えたとしても,現時点で125代続いてきたということは変わらぬ事実であり,そこに連綿と続いてきた日本の歴史的な意義を感ずることもできよう。
しかし,その歴史につき,このような理解で塗りつぶしてしまえば,それも台無しである。
朝日について,そこまで戦略的意図があるかどうか,あまり偏見を持つのは良くないが,皇室というご存在の意義を徹底的に破壊し日本から消滅させてしまうには,頑迷な男系男子論の方がむしろ近道であると,反皇室の側としては思うであろう。
皇室の歴史については,やはり一つの簡単な考え方で説明してしまおうというのは無理なのであろう。
その時その時の時代状況に応じた決断と覚悟とがあり,男系継承というのは,その結果として表れたものというのが,真実なのではないか。
そして,その決断と覚悟の中には,皇位の安定ということがあり,さらには,国の平安と国民の幸福ということがあったであろう。
そして,これからの皇位継承の在り方につき考える場合には,過去におけるそのような決断と覚悟の歴史をこそ,土台とするべきであろう。
ただ,それでは,過去への志向ということにつき,男系男子論者の理解は適切であるかとなると,それもどうも怪しげである。
朝日新聞のサイトにおいて,「新書の穴」というコーナーがあり,そこで意外にも八木秀次著「本当に女帝を認めてもいいのか」が紹介されている。
http://book.asahi.com/shinsho/TKY200507120119.html
紹介文の内容は,なぜ女帝がダメなのかを懇切丁寧に説明しているという趣旨であるが,ここでまたしても,「『男子皇族に代々受け継がれてきたY染色体を、女子皇族は持っていないから』であって、『天皇の天皇たるゆえんは、神武天皇の血を今日に至るまで受け継いでいるということに尽きる』」ということが強調されている。
そして,「身もフタもなさを感じる。すがすがしい。」という,評者の感想が示されている。
筆者は,朝日が八木氏の著書を紹介したこと,そして、このような評価をしていることを目の当たりにして,何とも言いようのない危機感を感じてしまった。
それは,八木氏の男系男子論というのは,皇室制度の存続を,つくづく危うくするものであるということである。
将来に向けての問題点については今までも述べてきたが,今回改めて感じたのは,皇室の歴史に対する理解における問題点である。
上記の評者も述べているが,改めて考えてみるといい。
皇室の歴史を,神武天皇のY染色体などという,生物学的骨董品保存の記録という理解で塗りつぶしてしまう意味を。
それは,あまりに「身もフタ」もないではないか。皇室の歴史には、皇位の存続のために人生を捧げてこられた多くの人々の存在があったはずである。様々な思い、深い思いがあったはずである。しかし、このような理解というのは、そのようなドラマを忘れさせ,実に「すがすがしい」くらいに単純な無機質なストーリーにしてしまっているではないか。
仮に,将来,皇位が途絶えたとしても,現時点で125代続いてきたということは変わらぬ事実であり,そこに連綿と続いてきた日本の歴史的な意義を感ずることもできよう。
しかし,その歴史につき,このような理解で塗りつぶしてしまえば,それも台無しである。
朝日について,そこまで戦略的意図があるかどうか,あまり偏見を持つのは良くないが,皇室というご存在の意義を徹底的に破壊し日本から消滅させてしまうには,頑迷な男系男子論の方がむしろ近道であると,反皇室の側としては思うであろう。
皇室の歴史については,やはり一つの簡単な考え方で説明してしまおうというのは無理なのであろう。
その時その時の時代状況に応じた決断と覚悟とがあり,男系継承というのは,その結果として表れたものというのが,真実なのではないか。
そして,その決断と覚悟の中には,皇位の安定ということがあり,さらには,国の平安と国民の幸福ということがあったであろう。
そして,これからの皇位継承の在り方につき考える場合には,過去におけるそのような決断と覚悟の歴史をこそ,土台とするべきであろう。
けれども、最近、新聞で読んだ元衆院議員の山本譲司氏の以下のような文章には、強い印象を受けました。
彼は、秘書給与詐欺で懲役1年6カ月の判決を受けて、服役し、知的や身体の障害を抱えた受刑者の世話係に当たりました。彼らの多くは福祉から見放され、ホームレスに近い生活を送ったあげく、無銭飲食や置き引きといった微罪で服役せざるを得なくなった人たちでした。
そうしたハンディを抱えた人たちとの付き合いを通して、彼は、代議士のころ唱えていた「セーフティーネットの構築によって安心して暮らせる社会を」といった言葉の虚しさに気づき、次のように述べています。
「我が国のセーフティーネットは非常に脆いものでした。毎日たくさんの人が福祉とつながることもなくネットからこぼれ落ちています」
私は、グローバリズムの中にあって、市場原理の導入に基づく構造改革は、手法の是非はともかくやむを得ないと思います。イラクへの自衛隊派兵も心情的には反対しますし、別な国際貢献を主張すべきだと考えていますが、国際秩序の再編の中では避けられなかった側面があったことも認めなければならないと思います。
つまり、正解は零か百かには求められません。しかも、国内的にも国際的にも、弱肉強食の論理を超えた具体的な問題提起は、理念としては成立し得ても、誰も有効な代案を出し得ていませんから、こうした混迷は、今後ますます深まっていくばかりでしょう。そのことも国民の多くは、身近なリストラ対象者や負け組になった人たちを通して、実感しつつあるように思います。
つまり、新聞や野党が唱える「セーフティーネット」なる言葉も、空手形でしかありません。
このような混乱は今に始った話ではないと思います。私から言わせれば、皇室こそ、「セーフティネット」の根拠たり得るはずです。たぶん、皇室は古代から日本が日本であり続けるため、日本人が日本人であり続けるための究極的な知恵だったから、最古の王朝として存在し続けてきたのでしょう。
小泉首相は、郵政改革是か非か、大きな政府か小さな政府かを争点に選挙戦を戦おうとしていますが、仮に小さな政府を志向するのであれば、何を担保とするのか明示しなければなりません。このままでは、「国民統合」はバラバラになりかねませんから。
まあ、小泉首相の歴史認識の有無はともかく、根室典範の改正に向けての有識者会議をスタートさせただけでも、ましだとは思っていますが。
男系男子にこだわる八木、大原、中川氏らに共通しているのは、弱肉強食という近代の競争原理を是としながら、「伝統」の保持という矛盾を抱えていることです。そのことの「ねじれ」に気付かれてきたのが、現皇族であることをなぜ、忖度できないのか、不思議でなりません。
また、彼らは、そうした逆説を理解されていないから、かつての皇国史観、戦後はその裏返しの天皇制否定史観と同様な落とし穴にはまってしまっているように思われます。つまりは、右か左かの論理が、左が自壊することによって右が強くなっただけですね。
八木氏による性染色体のXYの論理は、最初は吹き出してしまいましたが、有識者会議の一員である奥田経団連会長も支持されているようですから、ペテンにかかる人たちも多いだなあ、と感心していまいました。
西田さんが言われる通り、未来志向、将来の日本まで見通す視野がなくて、どうして伝統が守れましょうか。
なお、八木氏の朝日が本を紹介したのは、ほんの気まぐれでしょう。西田さんらが思われているほど、朝日は高度な戦略を抱えてはいません。今後の皇室のあり方については、思考停止状態にあります。まあ、世論もそうですから、それに追随する単なる商業紙を余り買いかぶらないで下さい。
なぜなら、朝日新聞記者の殆どは、建前は別として「強者」に所属していますから。
福祉に関する制度は様々あるにしても,所詮,制度は制度に過ぎませんし,運用する側の限界もあると思います。
また,恵まれた生活水準にあるはずの者による犯罪,自殺等も多いことを考えますと,いよいよ深刻となっているのは,心の問題であるかもしれません。
これからの時代,生存競争は厳しくなる一方であり,それでいて,人と人との結び付きは希薄化しておりますから,ますます殺伐とした社会になってしまうのではないか,そのようにも感じます。
そこで,疲れ切った現代人としては,個人的な趣味の中で癒しを得るしかないことになるのかもしれませんが,一人一人が個人の世界に没頭するということは,社会の殺伐さの解消には,つながらないように思います。
やはり,今必要なのは,共同体の一員として生きる意味の再確認であり,共同体というものに対する尊重の意識,そしてその上に立った,他者への思いやりの気持ちであると思われます。
これは,競争社会で四苦八苦している人間には,まったくの綺麗事のように聞こえるのででしょうけれども,一転,目を皇室に向けてみますと,そのような在り方に,実に,真っ正直に取り組まれているわけです。
そういう目で皇室を見てみた場合,それは,おそらく,多くの人にとって新鮮な体験であるでしょうし,安らぎに満ちた畏敬の念を感じる機会となるのではないでしょうか。
もちろん,皇室というご存在のみによってより良い社会が実現できるわけではないでしょうし,皇室というご存在に過剰に依存するべきではないと思いますが,皇室には,このような,かけがえのない心の拠り所としての意味があるのだと思います。
男系男子に固執する方々というのは,皇室の歴史にこだわるあまり,現実の社会における皇室というご存在の意味について,思いを致すことを忘れてしまっているのかもしれません。
ところで,8月5日付けの朝日新聞にて,有識者会議の委員である奥田氏の私見が紹介されていましたが,なかなか不思議な感じがしました。
「奥田氏は私見と断ったうえで『女性天皇を支持する人が8割いるというが、天皇家は男系で来た血筋。世界で唯一男系でつないできた珍しい家系と言っていい』と天皇が男系で継承されてきた歴史を説明。そのうえで、『女系にすることは世界で唯一の家系を切ってしまうことになる。祖先からのバトンをここで落とすのかどうか。天皇家の血筋を切って良いのかという重みのある話』と指摘。」
とあるのですが,これは完全に過去にのみ志向した考え方ですね。
しかし,過去を大切にしながらも,それ以上に,現在そして将来を見据え,必要な改革を進めていくというのが,本来,経済を担う者の基本的な姿勢であるべきでしょうに,実に意外でした。
経済の問題と皇室の問題は違うのだということかもしれませんが,それにしても,こんなものかと思いましたね。
朝日については,またしても,偏見・思い込みが強すぎましたね。自分の文章を見てみまして,何だか間抜けなことを書いてしまったかなと感じました。