令和6年7月12日、PRESIDENTonlineより配信の「この国には「愛子天皇」が必要だ…私が「天皇陛下のスピーチ」で感じた昭和・平成の皇室との決定的な差」と題する記事がある。
ストレートなタイトルがいい感じである。
ただ、「この国には「愛子天皇」が必要だ」という主張について、記事の書き手である矢部氏の考え方は、いろいろな考え方があっていいとは思うのだが、筆者にはちょっと不思議な感じがした。
この記事における矢部氏の基本的な考え方は、以下の箇所に表れていると思う。
-----引用開始-----
だからこのままでいいかと言われると、やはりそうとは言えない。今のうちに令和の「テーマ」を打ち出すことだと思う。次代を担う男子が秋篠宮家の悠仁さまだけという待ったなしの皇室が続いていくためには、「ほのぼの」に加え迫力が必要に思う。現実とつながる問題意識、それを感じさせてほしいのだ。
-----引用終了-----
そして、矢部氏が期待するテーマとして出てくるのが、「突然だが、それは「愛子天皇」だと思う。」という話で、論理の展開具合がちょっと分かりにくい。
「平成が積み残したものは、「ジェンダー平等」だ」、「特効薬は「愛子天皇」だと思うのだ。」とも書いてあるので、天皇皇后両陛下に対し、「ジェンダー平等」をテーマとして取り組むことを求めたいという趣旨なのだろうか。
両陛下がジェンダー平等に取り組み、それが世の中に浸透し、その結果として「愛子天皇」が実現するということか。
いや、「特効薬は「愛子天皇」」とあるので、愛子天皇の実現に取り組んで欲しいということ?
両陛下に?
せっかく、愛子天皇実現に肯定的な記事が出たのであるから、揚げ足取りのようなことはしたくないのであるが、肝心なところの論理がよく分からなかったのである。
また、「「テーマ」を打ち出すこと」「現実とつながる問題意識、それを感じさせてほしい」という箇所につき、そういう思いを抱くというのは、筆者にはよく理解はできる。
本心からの善意に基づく提言なのであろう。
ただ、公の存在に対して、そういったものを感じさせてほしいというのは、当然の前提にしてよいのだろうか、という思いが筆者にはある。
いわば観客のような立場で、「それを感じさせてほしい」というのは、大衆天皇制的であるように感じる。
週刊誌、テレビ、さらにネットとなれば、その傾向は更に強まっていくのであろうか。
それが必然的な傾向であろうとしても、両陛下の側において、それに応じようと意図されることとなれば、短期的には美談が増えるのかもしれないが、結局は値打ちが下がってしまうような気もするのである。
分かりやすい弱者への寄り添いを意図して打ち出そうとしたとき、それは点数稼ぎ的な御公務となってしまうのではないか。
そして、両陛下としても、この辺りの問題意識はお持ちなのではないかと、筆者としては、想像する。
「ほのぼの」と、計りがたい叡慮。
打ち出し方が異なるのは、当然と言えば当然であろう。
筆者としては、計りがたい叡慮に思いを巡らすことにこそ、楽しみがあると思っている。
もちろん、両陛下におかれては、分かりやすい弱者のみでなく、分かりにくい弱者、気づかれにくい不幸にも、光を当てようとされることは間違いない。
そこに愛子内親王殿下も加わることとなるのであろう。
非常に楽しみなことであり、「この国には「愛子天皇」が必要だ」には全く同意である。
ストレートなタイトルがいい感じである。
ただ、「この国には「愛子天皇」が必要だ」という主張について、記事の書き手である矢部氏の考え方は、いろいろな考え方があっていいとは思うのだが、筆者にはちょっと不思議な感じがした。
この記事における矢部氏の基本的な考え方は、以下の箇所に表れていると思う。
-----引用開始-----
だからこのままでいいかと言われると、やはりそうとは言えない。今のうちに令和の「テーマ」を打ち出すことだと思う。次代を担う男子が秋篠宮家の悠仁さまだけという待ったなしの皇室が続いていくためには、「ほのぼの」に加え迫力が必要に思う。現実とつながる問題意識、それを感じさせてほしいのだ。
-----引用終了-----
そして、矢部氏が期待するテーマとして出てくるのが、「突然だが、それは「愛子天皇」だと思う。」という話で、論理の展開具合がちょっと分かりにくい。
「平成が積み残したものは、「ジェンダー平等」だ」、「特効薬は「愛子天皇」だと思うのだ。」とも書いてあるので、天皇皇后両陛下に対し、「ジェンダー平等」をテーマとして取り組むことを求めたいという趣旨なのだろうか。
両陛下がジェンダー平等に取り組み、それが世の中に浸透し、その結果として「愛子天皇」が実現するということか。
いや、「特効薬は「愛子天皇」」とあるので、愛子天皇の実現に取り組んで欲しいということ?
両陛下に?
せっかく、愛子天皇実現に肯定的な記事が出たのであるから、揚げ足取りのようなことはしたくないのであるが、肝心なところの論理がよく分からなかったのである。
また、「「テーマ」を打ち出すこと」「現実とつながる問題意識、それを感じさせてほしい」という箇所につき、そういう思いを抱くというのは、筆者にはよく理解はできる。
本心からの善意に基づく提言なのであろう。
ただ、公の存在に対して、そういったものを感じさせてほしいというのは、当然の前提にしてよいのだろうか、という思いが筆者にはある。
いわば観客のような立場で、「それを感じさせてほしい」というのは、大衆天皇制的であるように感じる。
週刊誌、テレビ、さらにネットとなれば、その傾向は更に強まっていくのであろうか。
それが必然的な傾向であろうとしても、両陛下の側において、それに応じようと意図されることとなれば、短期的には美談が増えるのかもしれないが、結局は値打ちが下がってしまうような気もするのである。
分かりやすい弱者への寄り添いを意図して打ち出そうとしたとき、それは点数稼ぎ的な御公務となってしまうのではないか。
そして、両陛下としても、この辺りの問題意識はお持ちなのではないかと、筆者としては、想像する。
「ほのぼの」と、計りがたい叡慮。
打ち出し方が異なるのは、当然と言えば当然であろう。
筆者としては、計りがたい叡慮に思いを巡らすことにこそ、楽しみがあると思っている。
もちろん、両陛下におかれては、分かりやすい弱者のみでなく、分かりにくい弱者、気づかれにくい不幸にも、光を当てようとされることは間違いない。
そこに愛子内親王殿下も加わることとなるのであろう。
非常に楽しみなことであり、「この国には「愛子天皇」が必要だ」には全く同意である。