皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

にっちもさっちもいかない皇室典範論議

2024-10-24 20:23:44 | 皇室の話(3)
皇位継承の議論について、世論では愛子天皇の実現を期待する人々が多数だが、そのためには法律の改正が必要になるところ、政治家でやる気のある人はあまりいない。

現状のままなら、いずれ悠仁親王殿下の即位となり、「ゆるがせにしてはならない」という保証がなされているようではあるが、どうも秋篠宮家は人気がない。

そうこうしているうちに、愛子内親王殿下が結婚してしまうかもしれない。

このままではどうにもまずいことになりそうなのに、どうすることもできないまま、時が過ぎていく。

このような状況はどうして生まれてしまったのか。

男系固執派の頑迷さか。

紀子妃殿下の上昇志向か。

それらがすぐに思いつくところであるし、要因として大きいと思われるのだが、それだけではないのだろう。

以下は、いつもの筆者の妄想である。

すでに、このブログで、同じようなことを何度か書いているところではあるのだが、改めてまとめ直してみると、以下のようになる。



<フィクション>
まず、そもそもどこまで遡るかとなれば、おそらくは、平成15年の当時の湯浅宮内庁長官による第3子発言となるのではないか。

この第3子発言とは、令和6年10月21日付け「女性宮家」実現に向けた天皇家からのメッセージ 成城大教授 森暢平」において、以下のように説明されている。

-----引用開始(下線は筆者)-----
 おそらく、皇太子ご夫妻(現在の天皇ご夫妻)がなかなか子宝に恵まれず、結婚8年後に授かったお子さまが、現行皇室典範では継承が認められない内親王であったことが、天皇の悩みの源泉にあったのではないか。思い起こすに、羽毛田の前任、湯浅利夫は03年6月10日、皇太子ご夫妻の第2子への期待について「はっきり言って一方ほしい」と発言している。同年12月11日にも、「皇室の繁栄を考えると、(秋篠宮家には)3人目を強く希望したい」と述べた
-----引用終了-----

この第3子発言につき、森暢平氏は「発言が、湯浅個人の考えだとは私には思えない。平成の天皇ご自身の思いが反映されていたのではないか。」と述べているが、筆者も同感である。

そして、そうであるとすると、その前段階として、秋篠宮家に思いが向けられる前に、「皇太子ご夫妻(現在の天皇ご夫妻)」に思いが向けられたという過程があったはずである。

すなわち、平成13年12月1日に愛子内親王殿下が御誕生になったが、その後、次はお世継ぎとなる男子を産んで欲しいといった思いが向けられたのではなかったか。

あり得る話であると思う。

ただ、その思いをめぐって、深刻なトラブルが生じたのであろう。

そのトラブルから、平成の天皇の側としては、「皇太子ご夫妻(現在の天皇ご夫妻)」にはお世継ぎの期待をしないという決断をすることとなり、平成15年の第3子発言につながったのではないか。

また、トラブルに際して「皇太子ご夫妻(現在の天皇ご夫妻)」への制裁的な動きというものも生じ、それが平成16年5月の当時の皇太子殿下の人格否定発言につながったのではないだろうか。

その後は、東宮家バッシングの時期が長く続くこととなり、やがて、小泉政権時における皇室典範論議が展開される。

これは、皇位継承資格を女系・女性に拡大するものであり、実現すれば愛子内親王殿下が皇太子になるというものである。

ただ、もともとの期待は、男子による継承ということであったのだろう。

将来の皇位継承の見通しがつかない状況の中、旧宮家の系統の男系男子よりは現皇室の系統の愛子内親王殿下がよいという考え方であったと思われるが、もちろん現皇室の系統の男子ならなおよいという考え方だったのではないか。

この当時の皇室典範論議においては、守るべき皇室の伝統とは何か、現行憲法上の象徴としての在り方とは何かといった、かなり本質的な議論が展開されたのだが、平成皇室サイドとしては、本気ではなかったということなのだろう。

このような状況の中で、平成18年2月の秋篠宮妃殿下のご懐妊報道である。

この報道で皇室典範論議が頓挫し、一番ほっとしていたのは、実は安倍晋三氏ではなく平成皇室だったのかもしれない。

そう考えなければ、この報道に際し、平成皇室サイドより、「今回のご懐妊に影響を受けることなく議論を進めて欲しい」旨のコメントが一切なかったことの説明がつかない。

コメントが一切なかったことにつき、誰か合理的な説明ができるだろうか。

そして、予定通りに秋篠宮家に男子(悠仁親王殿下)が誕生し、小泉政権が終わって皇室典範論議が忘れられた頃、平成皇室内において、おそらく以下のような合意が形成されたのではないだろうか。
1 皇位継承は、次は皇太子となるが、その次は皇太子の系統とはしない。皇太子が即位してもそれは「中継ぎ天皇」としてである。
2 皇太子の次は秋篠宮殿下であり、その次は悠仁親王殿下とする。
3 皇位継承は、悠仁親王殿下に至る系統を軸とし、女性皇族は補佐役として頑張ってもらう。

平成24年の野田政権時の女性宮家の議論というのも、結局はこの枠の中での議論だったのだろう。
女性宮家の議論は、男系固執派の反発、その後の政権交代で頓挫してしまったが、もともと皇位継承の在り方に影響を与えるものではなかった。

皇位継承の在り方、すなわち、悠仁親王殿下の即位実現に影響を与え得るのは、愛子内親王殿下の存在である。

愛子内親王殿下の即位の可能性を潰すためには、皇太子の次が秋篠宮殿下となるということを確実なものとしなければならない。

そのために最も効果的なのは、平成の天皇が退位し、皇太子を即位させるのとセットで秋篠宮殿下を新たな皇太子的立場に位置付けるという方法である。

ここで、皇太子的立場というのがポイントで、皇太子とはしない。
歴史上、天皇の弟が「皇太子」となる例はいくつか見られ、秋篠宮殿下を「皇太子」に位置付ける、制度上擬制するといったことはできなくはないが、それはしない。

というのは、秋篠宮殿下を「皇太子」に位置付けると、平成の皇太子を「中継ぎ天皇」とすることからズレてしまうからだ。

悠仁親王殿下の即位につき、傍系継承の上での即位ではなく、平成の天皇、その実子である秋篠宮殿下の即位、その実子である悠仁親王殿下の即位という直系継承としての即位であることを強調するためには、秋篠宮殿下を次の天皇(平成の皇太子)の皇太子とするわけにはいかないのである。

これらを実現することとなったのが、平成29年に成立した「天皇の退位等に伴う皇室典範特例法」である。
同法によって、平成の天皇の退位、皇太子の即位とセットで秋篠宮殿下を皇太子とすることなく皇太子的立場に位置付けることが実現した。
秋篠宮殿下は、平成の天皇から賜った秋篠宮の称号を保持したまま、「皇太子の例による」(同法第5条)という特別な立場も獲得することとなったのである。

残る課題は、女性皇族を将来の秋篠宮家、悠仁天皇の補佐役として確保するということであるが、もとより、女性皇族及びその子孫に皇位継承資格を持たせることは望んでおらず、そうであれば政治家の多くの男系固執派とも合意できる。

「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない。」というのが、その合意の核心である。

額賀前衆議院議長も、そのように早合点したのだろう。

ところが、世の中の愛子内親王殿下の人気があまりに高い。
反面、秋篠宮家の人気があまりに低い。

皇室制度に手をつければ、ゆるがせになってしまう恐れがある。

にっちもさっちもいかない。



以上は、あくまで妄想である、

実は、筆者としては、酷いこじつけだ、根も葉もない話だ、真相は違うということであれば、むしろその方がうれしい。

この妄想ではあまりに救いがない。

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