皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

だけど、雅子様にはかなわない

2024-10-30 00:49:12 | 筆者のつぶやき
令和6年10月25日7:05、現代ビジネスより配信の「上皇から美智子さまへの「思慮にみちたプロポーズの言葉」をご存知ですか? その言葉が、美智子さまを動かした」と題する記事がある。  

岩波書店から「比翼の象徴 明仁・美智子伝」という本が出版されていて、大きな話題になっているという。
著者は井上亮氏で、検索すると日経新聞の記者とある。

また、平成の物語かぁ。
というのが最初の印象である。

全3巻とのことで、なかなか読むのも大変そうだ。

今回の現代ビジネスの記事は、この本の内容紹介といった趣旨のもので、以下の記載がある。この記事では、以下の紹介がメインということなのだろう。

-----引用開始(下線は筆者)-----
そして話の最後に「公的なことが最優先であり、私事はそれに次ぐもの」と話した。公的な立場を守らなければならないので、あなたのことを守り切れない場合もある。皇太子の正直な言葉に美智子は心を動かされ、「自分が行かねばならない」と思った。「YESと言ってほしい」と強く言われて、そう答えた──。美智子は織田にそう説明したという。のちに東宮侍従の黒木従達も美智子から聞いた言葉として、次のように書いている。

「度重なる長いお電話のお話しの間、殿下はただの一度もご自身のお立場への苦情をお述べになったことはおありになりませんでした。またどんな時にも皇太子と遊ばしての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐものとはっきり仰せでした」
-----引用開始-----

今まで聞いたことのあるような話なのだが、改めて読んでみて、あっ、そういうことだったのかと、納得してしまった。

徳仁皇太子殿下のプロポーズの言葉との際立つコントラスト。
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」

これは、平成5年1月19日、婚約が内定したときに小和田雅子様が紹介された言葉である。

明仁皇太子の言葉は、最優先は皇太子の立場であり公務であり、あなたのことはあくまで2番目。
徳仁皇太子の言葉は、そういった留保なし。あなたのことが最優先。

言われた女性としては、天地の差だろう。

天地の差だなんて、そんな風には全然思わないよ、という人もいるかもしれないが。

だからこれは、勝手な想像なのだけれども。

仮に、勝ち負けのような発想をするような人であれば、

負けた・・・悔しい

と感じてしまうかもしれない。

筆者は、そういう考え方をしてしまう側の人間である。

そんな風には思いたくはない、認めたくはないと考えても、心の中にはうずきがある。

そんな言葉、わたしはもらえなかった。
記者会見の場で得意に紹介しやがって。
気に入らない。

人は人、自分は自分と、全く気にしない方もいるだろう。
しかし、気にする者もいる。

筆者は普段、こんなことを考えたりはしないのだが、今回の現代ビジネスの記事を読んで、
そんな妄想が次々に膨らんでしまう。

仮に、筆者がそのような悔しさを抱いたらどうするかを考えると、徳仁皇太子に『自覚が足りないぞ、公務が最優先であると認識しろ』と責め立てる。皇太子妃に対しては『喜んでいるあなたも自覚が足りない。皇太子妃としての務めを果たせ』と責め立てる。

そういう中で、平成16年5月10日の人格否定発言
「それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」

このような言葉を聞かされたら、どうなってしまうだろうか。

また負けた、悔しい


いやいや、それはないですよ、という人もいるだろう。
あくまで、筆者がもし当事者だったらという仮定、ファンタジーの話である。

さて、明仁皇太子のプロポーズの言葉は、留保付きのものであって、そこに誠実さがあると言えば、そうなのだろう。
そこに着目して素晴らしいと思えるのは、聡明さと度量の大きさの証明であると言える。
「美智子さま」は、ひがみっぽい筆者とは比べものにならない偉大な方なのだ。


さて、その後、平成21年4月8日、天皇皇后両陛下御結婚満50年に際しての記者会見
当時の天皇陛下(明仁皇太子)の言葉
-----引用開始(下線は筆者)-----
皇后は結婚以来,常に私の立場と務めを重んじ,また私生活においては,昭和天皇を始め,私の家族を大切にしつつ私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています。不幸にも若くして未亡人となった私の姉の鷹司神宮祭主のことはいつも心に掛け,那須,軽井沢,浜名湖でよく夏を一緒に過ごしました。姉は自分の気持ちを外に表さない性格でしたが,あるとき,昭和天皇から私どもと大変楽しく過ごしたと聞いたがどのように過ごしたのかというお話があったことがありました。皇后は兄弟の中で姉だけを持たず,私との結婚で姉ができたことがうれしく,誘ってくれていたようなのですが,このときの昭和天皇が大変喜ばれた様子が今でも思い出されます。私ども二人は育った環境も違い,特に私は家庭生活をしてこなかったので,皇后の立場を十分に思いやることができず,加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います。しかし,何事も静かに受け入れ,私が皇太子として,また天皇として務めを果たしていく上に,大きな支えとなってくれました
-----引用終了-----

最大限の感謝の言葉。

ただ、徳仁皇太子のプロポーズの言葉を意識すると、
浮き上がってくるのは、立場としての評価だということ。

正しい。あまりにも正しすぎる。


「比翼の象徴 明仁・美智子伝」はまだ読んでいないのだが、いろいろなヒントを与えてくれそうな気はする。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「新しい日本」というならさ | トップ | 女子差別撤廃条約の問題を契... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

筆者のつぶやき」カテゴリの最新記事