今から34年前、初めての北海道は、スキーでした。
1983年、JALのスキーツアーで、ニセコにやってきました。
3月の後半でしたが、ものすごい雪でした。
別に、スキーをしに来たという話ではなく、このスキーで知り合った人との楽しくもあり、悲しくもある思い出話です。
最初のきっかけは、ホテルの洗面所で声をかけたところから始まりました。
「関西人でしょ、大阪とちゃう?」と言ってきて、「なんでわかったん?」と尋ねると、
「なんとなくわかるよ」といいあったところからところから始まりました。
相手の2人組も同じ大阪で、同じツアーで来ていました。 ただ、こちらと違うコース(2日多い?)でした。
こちらも2人、相手側も2人、すぐに意気投合したので、それからはずっと4人で遊んでました。
ただ、向こうはスキーの上級者だったので、スキーのときだけは「俺らは初心者コースで滑るから」と別行動にしてました。
事実、我々2人は初心者同然だったので、変な姿は見せられないというのはありました。
そんな楽しい時間もあっという間に終わり、お別れのときが。
我々2人は、ツアーの最終日を札幌にしていたので、札幌に移動しないといけませんでした。
移動する手段はなぜか鉄道を選んでいて(確か自由にできるのは鉄道だけだったと思う)、
バスで「倶知安」まで移動し、そこから鉄道で「札幌」まで移動することになっていました。
2人はバス停まで見送りにきてくれて、最後に「また、逢おうね」と言われたことが、
今も心に残っております。 もちろん、あの時の顔とか、バスが見えなくなるぐらいまで、手を振ってくれたりとか・・・
これは現在の「倶知安駅」ですが、昔とあんまり変わっていないようです。
ただあの時は、ものすごい雪と別れた悲しさだけが、この駅の思い出になっています。
「倶知安駅」は北海道で初めて利用した駅で、34年ぶりにやってきました。
佇んだだけで、昔のことが蘇ってきます。 34年経ちましたが、やっぱりこの駅は悲しいです。
このホームのこの部分だけ、昔のまま残っていました。
乗り換えるため、小樽駅でしばらく過ごす時間がありました。
大雪の小樽駅、到着した汽車の煙・・・この看板を見た瞬間に思い出しました。 悲しい思い出も。
その時は、私があまりにも辛そうにするので、先輩(いっしょにスキーに行った人です)が、
「ニセコに戻って、もう一度、**ちゃんたちに会いに行こうや。 宿や飛行機なんてなんとでもなるやろ」
と言ってくれました。 逢いたいのはやまやまなんですが、「いえ、大丈夫です」なんていってしまいました。
なんであんなこと言ったんでしょうか。 会いたいくせに。
結局、札幌では宿にはほとんど泊らず、夜通し飲んでました。
また、大阪に帰ってきてからも、2度と会うことはありませんでした。
「小樽」には4度目になるのかな。 来るたびに思い出してましたが、
この「小樽」という古びた駅名標は34年ぶりに見ました。
懐かしいというよりも、あの日流した涙しか出てきませんでした。
あの日に戻れるのなら、先輩の言葉に「戻りましょう」と答えたでしょう。