エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

昭和59(1984)年式トヨタカローラレビン2ドア1600GT(5MT) S59.2〜6

2022-04-08 08:23:00 | 日記
残念ながら、良い写真がなかったです。これは学生時代にバイトしていた行きつけのスタンドでの1枚。

昭和58年、ようやく日本でもドアミラーが解禁になり、その直後にデビューしたのがFFとなったカローラ/スプリンターでした。CMソングは郷ひろみだったかな?

でも、私が目をつけたのはFFじゃなくて、FRのままのFMCとなったレビン/トレノ。
カリーナで存分に楽しんだ2T-Gではなく、新しい4A-Gがどんなエンジンなのかが楽しみでした。メーカーオプションは電動サンルーフとリミテッドスリップデフ。外装色は初期にだけ存在した鼠色っぽいグレー。
しかし、このサンルーフのおかげで納車が遅れに遅れているうちに何とグレーが製廃となり、他の色を選んでくれと言われたのです。
グレーにシルバーのピンストライプを入れて憧れのアルピナっぽく仕立てて乗ってやろうと思っていた私はガッカリ。でも、数万円高かったツートンでも差額不要との申出に頷いてしまいました。

友人たちからは、どうせ買うならGT APEXにしたら良かったのにと言われました。でも、フロントグリルにシビエのオスカーを埋め込むにはAPEXの可動式グリルが邪魔だったし、リヤのディスクブレーキは早期ロックしやすいからラリー車のベースはGTなのだ、というもっともらしい噂が流れていたのでGTにしました。あと、記憶が正しければ2ドアのAPEXだけがパワーステアリング標準だったかな?3ドアにしか設定のないGTVは足が硬く、ステアリングもクイックなレシオでした。

3か月も待たされ、納車は2月の下旬でした。ブリヂストンから発売前の新型スパイクタイヤをモニターする条件で格安提供してもらい、乗ってビックリしたのは、前後バランスの良さとボディーのしっかり感。
圧雪路ならば、しっかりした手ごたえのあるステアリングで曲がるきっかけさえ作ってやれば、あとはアクセルワークで自由自在でしたね。
ラリーに参戦していた知人から、4A-Gはならし運転せずに暖気してから回し気味に走れ、2,000キロ位までは極力エンジンブレーキを使うな、と言われてやってみたら振動が少なく上まできっちりと回るエンジンに仕上がりました。

前車カリーナほどの速さはなかったものの、シティターボⅠとならほぼ横並びの加速でしたし、リッター10を切ることのない低燃費もありがたかったです。長距離だと15から16キロでした。

ただ、私は4.3のデフを選んだので、高速や長距離ではエンジン回転が常に高くて気疲れしました。4.111も無償で選択できたので、そっちにすりゃ良かったと思ったものでした。

この86レビン、同じ86の3ドアトレノほどではないにせよ、大人気なんですね。自分の能力の範囲内で手足のように操れるところが魅力なのでしょう。よく分かります。

とても不思議だったのは、内装色でした。
何とも言えない茶色とベージュのツートン。私のは納車遅れのため偶然にごく小さな変更後のものが来て、シートの質感が改善されていました。
ただ、全く若々しさのないオジンくさい内装でしたね。タコメーターが8,000までしかないのも不満でした。だって、7,500は楽に回るんですから。

カーオーディオはカリーナ時代から選んでいたアルパインで最新の1DINサイズのものを自分で取り付け、スピーカーはパイオニアを純正位置にトレードイン。ステアリングは定番だけどナルディ。当時、北海道では珍しかった電動サンルーフ、大喜びでいつも開けて走り回っていました。
アルミはアルメックスの3ピースメッシュで、事故った友人から無事な3本をもらい、1本だけ買ったという代物。

ところがこのレビン、助手席の天井から雨漏りするんですよ。何度か直してもらってもね。

結局、クルマ自体に不満はなくても雨漏りに悩まされていたところ、友人のいた中古車店に昔から憧れていたクルマが入庫したから見に来いと連絡が。

それは、117クーペでした。


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