去年が僕にとって最悪だったというお話は、このブログで何度も書いてきたが、今年に入り落ち着きを取り戻し、特に大きなトラブルもなく1か月を終えようとしている。
でも、ネットでの色んな方の呟きやコメントを読んでいると、とても殺伐としていて辛くなる。所詮、ネットでは自分の考えを一方的に言い合う事しか出来ないし、表情が見えないため冷酷にもなれるし勝手に激高する事も多い。僕はこの歳になって、そういう「言い合い」に参加する事は面倒で避けるようになった。震災や原発問題、僕の仕事である音楽に対する考えも、勿論、自分の考えを持っており、「それ、違うんじゃんないの?」って思う事も沢山有るけど、それをコメントするつもりはない。読んでるだけで疲れるのだ。なるべくなら読みたくもない。本当は全てCut Offしたいところだが、職業柄、ネットでのお知らせもお仕事には大変重要である。
その代りと言ってはなんだけど、最近はなるべく酒の席に参加する事にしている。やはり酒はいい。腹割って、ちゃんとお互いの目を見て話し合う事が出来る。たとえ喧嘩になって殴り合ったとしても、ネットで冷めたく別れてしまうよりは有機的でマシだな。まぁ、この歳でそんな事にはまずならないけど。(笑)
そういうストレスフルで疲れる生活を皆送っているわけだけど、僕は音楽で癒されたいと思う。
でも、最近、ジャズで癒される事が難しいと感じる。これも職業柄かも知れないけど、昔はジャズっていうと「NYの摩天楼」みたいな景色がイメージできたんだけど、今はどうしても分析的に聴いてしまう。最近の難しいジャズは、どうしても「練習しているミュージシャン」の姿しか見えてこず、そんなものを見ても仕方ないと思ってしまう。
僕は子供の頃から両親に半ば強制的にジャズを聴かされてきたが、本当に好きだったのは映画音楽である。ラジオから流れる映画音楽を映画のあらすじと共に聞くのが大好きだった。そして、面白そうな映画を映画館に観に行き、そこで大音量で流れるテーマ曲を映画の余韻に浸りつつエンドロールと共に全身で受け止める。音楽と映像が一つになって僕の脳に入り込んで来る瞬間である。だから僕にとって音楽は「映像」であり「景色」なのである。それが全く見えないものは聴くに値しない。でも、ジャズの殆どが映像化するにはあまりにも困難だ。
ウェザー・リポートの1stアルバムの1曲目「Milky Way」は、エンジン音のしない宇宙船のコックピットに座って、砕け散った小さな星の間を遊覧してる映像が浮かぶ。たまに星と星がぶつかり合う音や通過して行く数々の星がザビヌルのシンセで、ウェインの息の音とソプラノのパッドの音は宇宙船ではためく星条旗か?(無理が有る設定だけど。笑) のちにウェインがソロでリリースした「ネイティブ・ダンサー」の「Miracle Of The Fishes」のサックスソロはサーフィンが出来そうな大きな波が何度も押し寄せるイメージ。ジャコのアルバム「Word Of Mouth」は1枚で壮大な映画を1本見た気分になる僕の最大のフェバリット・アルバムだ。マイルスの「ネフェルティティ」は都会的でありながら、不思議なイメージをもたらす。まるでビルの谷間で魔術を見ている様な雰囲気だ。
僕にとって良い音楽とはこういう音楽であり、こういうのでなければ癒される事は無い。むしろ「お勉強」になってしまう。こうやって選定していくと、60~70年代のものに自ずと絞り込まれ、僕のコレクションでも聴くものに偏りが出来てしまう。ヴィジュアライズの出来ないジャズを聴くくらいならワールド・ミュージックを聴こう!となってしまう。何故なら、土着の音楽を聴けばその土地に旅行に行ったような気分に簡単になれるからだ。民族音楽によって、その場所の風景がイメージ出来るのだ。(僕にとって海外旅行とは、言わばその「確認作業」であったり、ヴィジュアライズの実体験なのである。)
僕は、所謂「ヒーリング・ミュージック」と言うものは大嫌いで、むしろイライラして聴いてられなくなる。でも「癒されたい」という欲求は有る。「癒し」という言葉に語弊があるとすれば「安らげる」音楽を求めているのかも知れない。でも、沢山CDを買ったところで、安らげる音楽にそうそうは出会えないので、「じゃぁ、自分で作るかぁ」・・となるのである。僕の曲やアドリブのフレーズにも、それぞれタイトル(というかイメージ)が付いていて、それを吹く度にその景色や映像が僕の脳で再現される。聴いてる人にそれが100%伝わるとは思えないけど、僕の音楽を聴いていて、似たような何かがイメージ出来たら素晴らしい事だと思う。大変困難な作業ではあるけど。
何も経験のない子供にしたら楽しい事は日常茶飯事に起こる。だから、彼らの音楽は天真爛漫で眩しさを感じる。子供の頃に辛い経験をしたなら、それはまた違う形で音楽に現れる。大人になってから辛い経験をすると音楽に深みが表れる。他人に対する思い遣りも音楽に表れる。何も経験してない者の音楽にはやはり何も無いし、音楽を音楽としてしか捉えられない者(つまり、技術や知識のみで捉えている者)にはやはり何も感じないだろうし、何もイメージ出来ない。僕は理論ではなく直感でその判別をしてきたが、理論を沢山学んできた今となってもその直感が間違いではなかったと感じる。そう考えると、僕には良い音楽を作るチャンスがまだまだ有るのかもしれない。そのための辛い経験だったのかも。(苦笑)
自分に安らぎを与える音楽が、他人にもそうであれば・・と思う。そういう音楽が作れたらなぁ・・と思う。
でも、ネットでの色んな方の呟きやコメントを読んでいると、とても殺伐としていて辛くなる。所詮、ネットでは自分の考えを一方的に言い合う事しか出来ないし、表情が見えないため冷酷にもなれるし勝手に激高する事も多い。僕はこの歳になって、そういう「言い合い」に参加する事は面倒で避けるようになった。震災や原発問題、僕の仕事である音楽に対する考えも、勿論、自分の考えを持っており、「それ、違うんじゃんないの?」って思う事も沢山有るけど、それをコメントするつもりはない。読んでるだけで疲れるのだ。なるべくなら読みたくもない。本当は全てCut Offしたいところだが、職業柄、ネットでのお知らせもお仕事には大変重要である。
その代りと言ってはなんだけど、最近はなるべく酒の席に参加する事にしている。やはり酒はいい。腹割って、ちゃんとお互いの目を見て話し合う事が出来る。たとえ喧嘩になって殴り合ったとしても、ネットで冷めたく別れてしまうよりは有機的でマシだな。まぁ、この歳でそんな事にはまずならないけど。(笑)
そういうストレスフルで疲れる生活を皆送っているわけだけど、僕は音楽で癒されたいと思う。
でも、最近、ジャズで癒される事が難しいと感じる。これも職業柄かも知れないけど、昔はジャズっていうと「NYの摩天楼」みたいな景色がイメージできたんだけど、今はどうしても分析的に聴いてしまう。最近の難しいジャズは、どうしても「練習しているミュージシャン」の姿しか見えてこず、そんなものを見ても仕方ないと思ってしまう。
僕は子供の頃から両親に半ば強制的にジャズを聴かされてきたが、本当に好きだったのは映画音楽である。ラジオから流れる映画音楽を映画のあらすじと共に聞くのが大好きだった。そして、面白そうな映画を映画館に観に行き、そこで大音量で流れるテーマ曲を映画の余韻に浸りつつエンドロールと共に全身で受け止める。音楽と映像が一つになって僕の脳に入り込んで来る瞬間である。だから僕にとって音楽は「映像」であり「景色」なのである。それが全く見えないものは聴くに値しない。でも、ジャズの殆どが映像化するにはあまりにも困難だ。
ウェザー・リポートの1stアルバムの1曲目「Milky Way」は、エンジン音のしない宇宙船のコックピットに座って、砕け散った小さな星の間を遊覧してる映像が浮かぶ。たまに星と星がぶつかり合う音や通過して行く数々の星がザビヌルのシンセで、ウェインの息の音とソプラノのパッドの音は宇宙船ではためく星条旗か?(無理が有る設定だけど。笑) のちにウェインがソロでリリースした「ネイティブ・ダンサー」の「Miracle Of The Fishes」のサックスソロはサーフィンが出来そうな大きな波が何度も押し寄せるイメージ。ジャコのアルバム「Word Of Mouth」は1枚で壮大な映画を1本見た気分になる僕の最大のフェバリット・アルバムだ。マイルスの「ネフェルティティ」は都会的でありながら、不思議なイメージをもたらす。まるでビルの谷間で魔術を見ている様な雰囲気だ。
僕にとって良い音楽とはこういう音楽であり、こういうのでなければ癒される事は無い。むしろ「お勉強」になってしまう。こうやって選定していくと、60~70年代のものに自ずと絞り込まれ、僕のコレクションでも聴くものに偏りが出来てしまう。ヴィジュアライズの出来ないジャズを聴くくらいならワールド・ミュージックを聴こう!となってしまう。何故なら、土着の音楽を聴けばその土地に旅行に行ったような気分に簡単になれるからだ。民族音楽によって、その場所の風景がイメージ出来るのだ。(僕にとって海外旅行とは、言わばその「確認作業」であったり、ヴィジュアライズの実体験なのである。)
僕は、所謂「ヒーリング・ミュージック」と言うものは大嫌いで、むしろイライラして聴いてられなくなる。でも「癒されたい」という欲求は有る。「癒し」という言葉に語弊があるとすれば「安らげる」音楽を求めているのかも知れない。でも、沢山CDを買ったところで、安らげる音楽にそうそうは出会えないので、「じゃぁ、自分で作るかぁ」・・となるのである。僕の曲やアドリブのフレーズにも、それぞれタイトル(というかイメージ)が付いていて、それを吹く度にその景色や映像が僕の脳で再現される。聴いてる人にそれが100%伝わるとは思えないけど、僕の音楽を聴いていて、似たような何かがイメージ出来たら素晴らしい事だと思う。大変困難な作業ではあるけど。
何も経験のない子供にしたら楽しい事は日常茶飯事に起こる。だから、彼らの音楽は天真爛漫で眩しさを感じる。子供の頃に辛い経験をしたなら、それはまた違う形で音楽に現れる。大人になってから辛い経験をすると音楽に深みが表れる。他人に対する思い遣りも音楽に表れる。何も経験してない者の音楽にはやはり何も無いし、音楽を音楽としてしか捉えられない者(つまり、技術や知識のみで捉えている者)にはやはり何も感じないだろうし、何もイメージ出来ない。僕は理論ではなく直感でその判別をしてきたが、理論を沢山学んできた今となってもその直感が間違いではなかったと感じる。そう考えると、僕には良い音楽を作るチャンスがまだまだ有るのかもしれない。そのための辛い経験だったのかも。(苦笑)
自分に安らぎを与える音楽が、他人にもそうであれば・・と思う。そういう音楽が作れたらなぁ・・と思う。
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