最近、FBでニール・ヤングの警鐘が話題になっているけど、思いを同じくすると同時に、僕はMP-3の音質云々の問題(つまり、i-podなど新しいメディアが諸悪の根源という考え)だとは思っていない。だって、WAVファイルの時点で既に音質が悪いものだって沢山出回ってるんだもの。それは作り手にもリスナーにも問題が有るのだ。
この様な時代が来ることを僕は10年以上前から恐れていた。興味が有る方はこちらの最下段をお読み頂きたい。要は、音楽がインスタント化され、1曲いくらで販売されるようになり、完全に使い捨てになったのだ。こういう商売のやり方を始めたのが作り手であるレコード会社だし、その結果、リスナーは音質なんてどうでも良いという風に教育されてしまったのだ。ま、最初からそのつもりは無いにしろ、知らず知らず音質に無頓着になってったんだろうね。
正直、MP-3かWAVかなんて、僕にゃ分からない。分かってるそぶりを見せてる人にブラインドフォールド・テストしてみて全員が完璧に答えられるとも思えない。それくらい、元々の音質が悪いのである。これはドンシャリ重視の近年の技術者の問題でしょう。僕が作り手になって、他アーティストのアルバムを参考に音質をいじくり始めて、改めて昔のレコードを聴いてみると「音質がこもってるなぁ。」と感じた事が多々ある。ある特定の周波数を切って、音質をクリアにすると言う作業は、ミキシング作業で最初に学んだことだ。今でも、アナログには温かみを感じるけれど、日々のCDなどの音源リスニングによって、それが「こもった」様に聞こえてしまったのだ。僕も音質の価値観を「教育された」者のうちの一人と言うわけだ。だから、なるべく家ではレコードをかけるようにしている。価値観の修復のために。
ちょっと次元の違う話だけど、元々、ブルーノート・レーベルで有名なヴァン・ゲルダーのレコーディング手法だって独特で、あれを聴き過ぎたリスナーが、ライブ会場で、やれ「ベースの音量が小さい」だの「ピアノのマイキングが悪い」などと言う(実話である)のはお門違いな話である。ライブとレコーディングは全く別の世界なのだ。レコーディングは、そういう意味ではある意味「架空」の世界である。スピーカーから音が出た時に、立体的で臨場感が有り心地良いものを、実際とは違うバランスで聴かせるテクニック。ライブ会場で聴くものがリアルであり、それに架空の音質を求めてはいけないのだ。で、僕はというと両方が好きだ。でも、モーツアルトの時代の人が、もしそれ(ゲルダーが録ったレコード)を聴いたらどう思うんだろ。ニール・ヤングみたいに「史上最悪の音質」って思うかもね。(笑)
ドンシャリや過コンプをニール・ヤングは嘆いてると思うんだけど、それには訳が有って、FMでかけて貰った時にそういう音質じゃないと、他のアルバムよりインパクトに欠けてしまうという実情があるのだ。音の戦争だ。あ~そうそう、以前書いた事が有るけど、渋谷の交差点のあちこちから流れて来る宣伝の音がまさしくそれと同じ。あそこで平気で居られる音楽家って居るのかな。僕は必ず無音の地下道を通って道玄坂を上るし、仕事以外でなるべくあの街には行きたくない。
音質って、時代と共に、メディアと共に、変化するのかも知れない。でも、生音は変わらない。ライブで「音がショボイ」と感じたなら、ミュージシャンの責任かも知れないし、貴方の教育された耳のせいかも知れない。でも、ライブがリアルである事実に変わりはない。時代と関係なく、そこでは音を実際に浴びて楽しむことが出来る。ライブに行こう。生音を聴こう。
でも、僕は同時に「架空」の音の世界も作りたい。役者に例えると、丁度、ライブが「舞台俳優」でアルバム作りが「映画俳優兼監督」という事になる。やっぱ、両方好きな仕事なんだよな。もし仮に後者をするとしても、ニールさんの心配には及ばないと思うけど。(笑)
この様な時代が来ることを僕は10年以上前から恐れていた。興味が有る方はこちらの最下段をお読み頂きたい。要は、音楽がインスタント化され、1曲いくらで販売されるようになり、完全に使い捨てになったのだ。こういう商売のやり方を始めたのが作り手であるレコード会社だし、その結果、リスナーは音質なんてどうでも良いという風に教育されてしまったのだ。ま、最初からそのつもりは無いにしろ、知らず知らず音質に無頓着になってったんだろうね。
正直、MP-3かWAVかなんて、僕にゃ分からない。分かってるそぶりを見せてる人にブラインドフォールド・テストしてみて全員が完璧に答えられるとも思えない。それくらい、元々の音質が悪いのである。これはドンシャリ重視の近年の技術者の問題でしょう。僕が作り手になって、他アーティストのアルバムを参考に音質をいじくり始めて、改めて昔のレコードを聴いてみると「音質がこもってるなぁ。」と感じた事が多々ある。ある特定の周波数を切って、音質をクリアにすると言う作業は、ミキシング作業で最初に学んだことだ。今でも、アナログには温かみを感じるけれど、日々のCDなどの音源リスニングによって、それが「こもった」様に聞こえてしまったのだ。僕も音質の価値観を「教育された」者のうちの一人と言うわけだ。だから、なるべく家ではレコードをかけるようにしている。価値観の修復のために。
ちょっと次元の違う話だけど、元々、ブルーノート・レーベルで有名なヴァン・ゲルダーのレコーディング手法だって独特で、あれを聴き過ぎたリスナーが、ライブ会場で、やれ「ベースの音量が小さい」だの「ピアノのマイキングが悪い」などと言う(実話である)のはお門違いな話である。ライブとレコーディングは全く別の世界なのだ。レコーディングは、そういう意味ではある意味「架空」の世界である。スピーカーから音が出た時に、立体的で臨場感が有り心地良いものを、実際とは違うバランスで聴かせるテクニック。ライブ会場で聴くものがリアルであり、それに架空の音質を求めてはいけないのだ。で、僕はというと両方が好きだ。でも、モーツアルトの時代の人が、もしそれ(ゲルダーが録ったレコード)を聴いたらどう思うんだろ。ニール・ヤングみたいに「史上最悪の音質」って思うかもね。(笑)
ドンシャリや過コンプをニール・ヤングは嘆いてると思うんだけど、それには訳が有って、FMでかけて貰った時にそういう音質じゃないと、他のアルバムよりインパクトに欠けてしまうという実情があるのだ。音の戦争だ。あ~そうそう、以前書いた事が有るけど、渋谷の交差点のあちこちから流れて来る宣伝の音がまさしくそれと同じ。あそこで平気で居られる音楽家って居るのかな。僕は必ず無音の地下道を通って道玄坂を上るし、仕事以外でなるべくあの街には行きたくない。
音質って、時代と共に、メディアと共に、変化するのかも知れない。でも、生音は変わらない。ライブで「音がショボイ」と感じたなら、ミュージシャンの責任かも知れないし、貴方の教育された耳のせいかも知れない。でも、ライブがリアルである事実に変わりはない。時代と関係なく、そこでは音を実際に浴びて楽しむことが出来る。ライブに行こう。生音を聴こう。
でも、僕は同時に「架空」の音の世界も作りたい。役者に例えると、丁度、ライブが「舞台俳優」でアルバム作りが「映画俳優兼監督」という事になる。やっぱ、両方好きな仕事なんだよな。もし仮に後者をするとしても、ニールさんの心配には及ばないと思うけど。(笑)
田舎者の私は、人工的な音が流れ続ける環境は拷問に近いです。
リフレッシュするにはスグルさんのライヴへ出かけるのが、適切な方法ですね(^-^)
一昨日、良いジャズ・フェスが都内で有った様なのですが、見逃して残念です。。
そんなこともあり、iPodでも音楽を聴く小生は取り込み方法をカスタマイズします。それで例えばフルートのソロでも音がつぶれずに取り込む事が可能です。
そんな僕はやはりライヴに行くのが三度の飯より大好きです。特に一番前の席で管楽器の生音やミュージシャン達のやりとりを聴くのはたまりません。
エンコード方法によって変わるのですか!知りませんでした。なるほど!
いやぁ、ご意見、凄く嬉しいです。これからも、ライブ・ウォッチャー、続けてくださいね!!僕もなるべく他の人のライブに行こうと思います。