先日、2日間で都合25時間ほどスタジオに籠りNEW4TETのレコーディングを行った。もっとも、その日程以前にもスタジオに何度も通い、「下ごしらえ」の録音もしていたので、合計日数たるやジャズのレコーディングではあまり考えられない数値になっていると思う。
今回の作品は自分の音楽生活の今までの集大成にしたいと思っていたし、CDショップが軒並み売り上げを落とし、ダウンロード販売によって「切り売り」状態となっている現状で、今後「アルバム」というカタチでの表現方法が出来るかどうかという疑問も手伝い、丁寧に作品を練り上げようとそれこそ「最後のアルバム!(苦笑)」の勢いでアルバム制作を開始した。ま、チャンスとご要望が有れば今後も作って行きたいとは思っているのだけれど、ジャズの現状を考えると中々難しい問題が頭をもたげる。だからこそ、今回は録音やミックスに時間をたっぷりかけての制作となった。といってもジャズの一発勝負というフレイバーは保ちつつ・・なのだが。
既に前作「Be Water」でNEW4TETというバンドの音楽性をご存知の方も多いとは思うのだけれど、「NEW」と名が付くとおり僕はこのバンドでは既存のジャズをやるつもりは全くもって無い。かと言って、古いジャズに興味が無いかというとそうではなく、むしろ大好きなのである。ただ、スイングだろうがデキシーだろうがビバップだろうが、それが流行っていた時期は、それらが最先端の音楽で最もヒップで尖がってた音楽だったわけで、僕は単にそういう意識で音楽を「新鮮な気持ち」で演奏したいだけなのである。だから、スタンダードをやるのもオリジナルをやるのも意識的にそう大差は無い。
ただ、曲と言うものには人間同様に「性格」が存在すると考えている。穏やかな人も居れば、気性の荒い人も居る。優しい人も居れば厳格な人も居る。世界に目を向ければ文化の違いだって存在する。僕は1曲1曲にそういう性格を感じ(自分の曲でも他人の曲でも)、それに適合した演奏の仕方、アレンジ、ミキシングを考える。それは僕の中にも様々な感情が存在し、その感情が言葉になった時に様々な語彙なり声色になってしまうのと同様なのである。僕の音楽は「ジャズ」というジャンルを標榜しているものの、ロックやラテンやブラジリアンやイスラム等、世界の民俗音楽にその表現方法を求めているし、それはパーカーやコルトレーンなど過去のジャズ・ジャイアンツ達も同様にやってきた事だと思う。某サイトで僕の音楽は「的が絞れていない」と批評する人が居たのだけど、逆に的が絞られて小さくまとまった音楽をアルバム通して1時間黙って聴いていられる忍耐力を賞賛したいと思う。僕は正直、そういうアルバムはすぐに飽きが来て最後まで聴けないもの。
今回のアルバムのメイン・テーマは「愛」である。な~んつって、ちょっとコッ恥ずかしいのだけど、今まで純粋に自分の音楽だけを見つめてやって来たのだけど、意識が大きく変わったのだ。如何に自分の音楽が斬新かとか、カッコいいだろ?(笑) とか気にしてたんだけど、一昨年の父の死がその意識を大きく変えてしまった。父は昔ながらの人で、表現が非常に下手な人だったと思う。プライドを重んじて自分の正直な気持ちを家族にも中々言えなかったんじゃないかな・・。だから死に方は非常に寂しいものだった。僕がその死に直面して学んだのは「自分に正直に生きよう」と言う事だった。それが例えカッコ悪くても不器用でも。そう考え始めると、今までの自分の音楽がカッコつけた虚飾のモノばかりの様に思えてきて途端につまらなくなってしまった。それからというものは本当に一からの再出発だった。一時期は4小節で一音出すのが精一杯っていうとこまで落ち込んだ事も有ったし。それでも支えてくれたファンの方々、そして、音楽を再構築した事で新たに魅力を感じて下さった新しいファンの方々に感謝しなくてはいけないと強く思うようになったのだ。音楽が自分だけのものから他人様に奉げるものへと大きく変化した瞬間だった。勿論、それは「媚び諂う」というのとは大きく意味が異なる。自分にはこれしか出来ない・・というのがあるのだけれど、その中で人に喜びを与えるにはどうすれば良いか?というのを考えるようになったと言う事なのだ。
そう思い始めると、今の自分という人間を形成するに至るまでに影響を与えてくれた人達にも感謝しなくては・・という気持ちになってきたのだ。更にそれが進むと、電車で居合わせた汗かいて一生懸命仕事のため移動している知らないオッサンまでが愛しくなってきたりしてね。(笑) 「愛」という言葉には色んな意味が含まれているかもしれない。恋人を思う気持ちであったり家族愛であったりと非常にドメスティックな意味での愛もあれば、「人類愛」のような範囲の非常に広いものもある。でも、僕はそれらは結局同じモノの様な気がしてならない。否、同じでなくてはならないと思う。自分の大切な人だけの幸せを祈っても何処かに必ずしわ寄せが来るような気がする。バランスが肝要なのだ。かといって、「愛」というものを半ば商売の様にしてる宗教には僕は全く興味が無い。自分のインナーボイスに正直であれば何かに頼る必要は無いと信じている。最近、道徳の欠如した大人が問題視されているけれど、僕だって最近までそんな大人だった様な気もするし、今の自分にだって自信があるわけじゃない。ただ、インナーボイスには正直ではいるつもりだ。それは自分に甘い・・というのとはわけが違うんだけどね。甘い時はそういった心の声に耳を閉ざすものだから。おっと、話が脱線したけれど、先日亡くなったマイケル・ブレッカーも僕にとってはそういう大切な人の一人だ。彼に奉げた曲も1曲吹き込んだ。アルバムを通してそういった感謝や大切な人を思う愛情が伝われば・・と願っている。
もうこの歳になると、このアルバムで一発当ててやろう!みたいな野望(爆)など全く無く、とにかくひたすら良いものを遺そうという気持ちだけだ。リリースして頂くホワッツニュー・レコードの社長とも話したのだけど、ジャズというジャンルには「アルバム」というパッケージが必要だし、今後も残るんじゃないかという少し楽観的な話も出た。勿論、ジャズには「CDはライブには敵わない」という決まり文句が有るけれど、僕は逆にライブでは出来ない事をスタジオという利点を活かしてやってやろう!という気概の元でいつもアルバムを制作している。CD制作をライブの縮小記録として考える今までのやり方には疑問を感じているのだ。だから、ライブとは別物としてご自宅でもNEW4TETを楽しんで頂けると自負している。
リリースまでまだ5ヶ月ほど・・。この間も、あぁでもない、こうでもない・・をきっと繰り返す事であろう。
今回の作品は自分の音楽生活の今までの集大成にしたいと思っていたし、CDショップが軒並み売り上げを落とし、ダウンロード販売によって「切り売り」状態となっている現状で、今後「アルバム」というカタチでの表現方法が出来るかどうかという疑問も手伝い、丁寧に作品を練り上げようとそれこそ「最後のアルバム!(苦笑)」の勢いでアルバム制作を開始した。ま、チャンスとご要望が有れば今後も作って行きたいとは思っているのだけれど、ジャズの現状を考えると中々難しい問題が頭をもたげる。だからこそ、今回は録音やミックスに時間をたっぷりかけての制作となった。といってもジャズの一発勝負というフレイバーは保ちつつ・・なのだが。
既に前作「Be Water」でNEW4TETというバンドの音楽性をご存知の方も多いとは思うのだけれど、「NEW」と名が付くとおり僕はこのバンドでは既存のジャズをやるつもりは全くもって無い。かと言って、古いジャズに興味が無いかというとそうではなく、むしろ大好きなのである。ただ、スイングだろうがデキシーだろうがビバップだろうが、それが流行っていた時期は、それらが最先端の音楽で最もヒップで尖がってた音楽だったわけで、僕は単にそういう意識で音楽を「新鮮な気持ち」で演奏したいだけなのである。だから、スタンダードをやるのもオリジナルをやるのも意識的にそう大差は無い。
ただ、曲と言うものには人間同様に「性格」が存在すると考えている。穏やかな人も居れば、気性の荒い人も居る。優しい人も居れば厳格な人も居る。世界に目を向ければ文化の違いだって存在する。僕は1曲1曲にそういう性格を感じ(自分の曲でも他人の曲でも)、それに適合した演奏の仕方、アレンジ、ミキシングを考える。それは僕の中にも様々な感情が存在し、その感情が言葉になった時に様々な語彙なり声色になってしまうのと同様なのである。僕の音楽は「ジャズ」というジャンルを標榜しているものの、ロックやラテンやブラジリアンやイスラム等、世界の民俗音楽にその表現方法を求めているし、それはパーカーやコルトレーンなど過去のジャズ・ジャイアンツ達も同様にやってきた事だと思う。某サイトで僕の音楽は「的が絞れていない」と批評する人が居たのだけど、逆に的が絞られて小さくまとまった音楽をアルバム通して1時間黙って聴いていられる忍耐力を賞賛したいと思う。僕は正直、そういうアルバムはすぐに飽きが来て最後まで聴けないもの。
今回のアルバムのメイン・テーマは「愛」である。な~んつって、ちょっとコッ恥ずかしいのだけど、今まで純粋に自分の音楽だけを見つめてやって来たのだけど、意識が大きく変わったのだ。如何に自分の音楽が斬新かとか、カッコいいだろ?(笑) とか気にしてたんだけど、一昨年の父の死がその意識を大きく変えてしまった。父は昔ながらの人で、表現が非常に下手な人だったと思う。プライドを重んじて自分の正直な気持ちを家族にも中々言えなかったんじゃないかな・・。だから死に方は非常に寂しいものだった。僕がその死に直面して学んだのは「自分に正直に生きよう」と言う事だった。それが例えカッコ悪くても不器用でも。そう考え始めると、今までの自分の音楽がカッコつけた虚飾のモノばかりの様に思えてきて途端につまらなくなってしまった。それからというものは本当に一からの再出発だった。一時期は4小節で一音出すのが精一杯っていうとこまで落ち込んだ事も有ったし。それでも支えてくれたファンの方々、そして、音楽を再構築した事で新たに魅力を感じて下さった新しいファンの方々に感謝しなくてはいけないと強く思うようになったのだ。音楽が自分だけのものから他人様に奉げるものへと大きく変化した瞬間だった。勿論、それは「媚び諂う」というのとは大きく意味が異なる。自分にはこれしか出来ない・・というのがあるのだけれど、その中で人に喜びを与えるにはどうすれば良いか?というのを考えるようになったと言う事なのだ。
そう思い始めると、今の自分という人間を形成するに至るまでに影響を与えてくれた人達にも感謝しなくては・・という気持ちになってきたのだ。更にそれが進むと、電車で居合わせた汗かいて一生懸命仕事のため移動している知らないオッサンまでが愛しくなってきたりしてね。(笑) 「愛」という言葉には色んな意味が含まれているかもしれない。恋人を思う気持ちであったり家族愛であったりと非常にドメスティックな意味での愛もあれば、「人類愛」のような範囲の非常に広いものもある。でも、僕はそれらは結局同じモノの様な気がしてならない。否、同じでなくてはならないと思う。自分の大切な人だけの幸せを祈っても何処かに必ずしわ寄せが来るような気がする。バランスが肝要なのだ。かといって、「愛」というものを半ば商売の様にしてる宗教には僕は全く興味が無い。自分のインナーボイスに正直であれば何かに頼る必要は無いと信じている。最近、道徳の欠如した大人が問題視されているけれど、僕だって最近までそんな大人だった様な気もするし、今の自分にだって自信があるわけじゃない。ただ、インナーボイスには正直ではいるつもりだ。それは自分に甘い・・というのとはわけが違うんだけどね。甘い時はそういった心の声に耳を閉ざすものだから。おっと、話が脱線したけれど、先日亡くなったマイケル・ブレッカーも僕にとってはそういう大切な人の一人だ。彼に奉げた曲も1曲吹き込んだ。アルバムを通してそういった感謝や大切な人を思う愛情が伝われば・・と願っている。
もうこの歳になると、このアルバムで一発当ててやろう!みたいな野望(爆)など全く無く、とにかくひたすら良いものを遺そうという気持ちだけだ。リリースして頂くホワッツニュー・レコードの社長とも話したのだけど、ジャズというジャンルには「アルバム」というパッケージが必要だし、今後も残るんじゃないかという少し楽観的な話も出た。勿論、ジャズには「CDはライブには敵わない」という決まり文句が有るけれど、僕は逆にライブでは出来ない事をスタジオという利点を活かしてやってやろう!という気概の元でいつもアルバムを制作している。CD制作をライブの縮小記録として考える今までのやり方には疑問を感じているのだ。だから、ライブとは別物としてご自宅でもNEW4TETを楽しんで頂けると自負している。
リリースまでまだ5ヶ月ほど・・。この間も、あぁでもない、こうでもない・・をきっと繰り返す事であろう。
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