
先日、ウィーン少年合唱団のコンサートを観る機会が有った。予想以上に透明感のある歌声に魅了された。ノン・ビブラートでのびやかなロング・ノートが、その透明感を際立たせていたのだと思う。音楽をやる者として、ワン・フレーズごとの「終わり方」というものは注意が必要だ。カット・アウトするのか、伸ばすのか、伸ばした場合にビブラートを掛けるのか掛けないのか…。ビブラートが無いと冷たくぶっきらぼうに聴こえ、歌心が無いように感じさせる恐れもあるから、非常に勇気が要るのだが、少年たちの迷いのないノン・ビブラートには清々しさを感じた。自分も、こういう透明感のあるサックスが吹けたらなぁ…と。w
もう一つ気が付いたのが、アンサンブルは当然の如くピッタリ合ってて、子供ながらそこのプロ意識は流石だと思ったのだけど、歌ってる時の身体の動きがてんでバラバラで自由なのである。僕はここに、日本人にはない海外の感覚、いや、ジャズを感じた。
なんで日本人はなんでもかんでも「揃えよう」とするのか。
中央ヨーロッパを旅した時に、むさぼる様にクラシック・コンサートを観たけど、どのプレーヤーも音がのびやかで、ゆったりしている。これはジャズにも共通する事である。というか、クラシック・アーティスト達が、ジャズ・ミュージシャン同様に自由に演奏しているのだ。一方、日本人の多くは「縦を揃える」事にばかりとらわれ過ぎていて、のびやかさを感じない。日本人である自分にとって物凄い反省点となった。
アメリカ人はグルーヴについて「ポケット」という表現をする。時系列に均等に並んだポケットに音を放り込んで行く…という感覚なんだろう。日本人のリズムを「点」で捉える方式よりはかなり緩く幅を感じる。
話は飛ぶけど、以前、ジャズ・フェスに吹奏楽部の中高生を集めて、ビッグ・バンドのアンサンブル・コーチをするという仕事をした事が有る。僕は勿論、サックス・パートのコーチングをしたのだけど、それぞれのパート別のレクチャーが終わり合奏となった時に、別のパートの子供達が一斉にダンスをするように楽器を振りながら演奏を始めた。恐らくコーチングをした先生が「ジャズのノリ」を身体で表現する様に指導したのだと思う。これを見た瞬間、僕は違和感と嫌悪感を強烈に感じてしまった。
人間の身体はそれぞれ違う個性を持っており、運指上、筋を動かす為の腕の角度、足の置き方は三者三様、様々であって然るべきである。やり易い身体の動かし方は違っていて当たり前なのに、それをダンスをさせて限定させてしまい、動かし辛くするってどういう事??…と。何より観ててダサいし。
そういや、子供の頃、運動会でのマーチングとか大嫌いだったなぁ。その昔はオリンピックの入場行進も日本は北朝鮮の軍隊のように整列して行進していた。あれが嫌で嫌で仕方なかった。それに比べてアメリカ・チームの自由な入場。こうあって欲しいな…と。学校の運動会の行進でもトラックを回る時にでさえ、内側のヤツが足踏みして外側のヤツが早歩きしてっていう「揃える」って行為に何の意味が有るのか??ってずっと疑問に思いながら、指導してる体育教官を睨み付けてたのを覚えている。マス・ゲームとか嫌いなものは運動会に山ほど有ったな。
「揃えるって、そんなに大事?」って。
音楽をやり始めて、フュージョンだのビッグ・バンドだのをやり始めると、流石にその感覚では何も成立せずに「揃える」って事を学び始めたので、これでも揃った時の喜びは理解したつもりである。でも、今やアンサンブルを揃える事は打ち込みでいくらでも出来るし、機械の様に揃ってる没個性的な人間の演奏に全く魅力を感じない。自分が打ち込みで音楽を作る時は、サックスはレイド・バックさせたりしてワザとズラすし、ドラムとベースでさえズラす事は多い。大好きなブレッカーを聴いても最近はタイトなフュージョンをやってるのはあまり興味が持てなく、晩年にアコースティック・ジャズでアーシーな演奏してる方が好きになってしまった。タイトで有名なスティーリー・ダンの「Aja」のメイキング動画で、トラック別に再生するシーンが有るけど、それでさえ、それぞれの演奏が人間味溢れている。これなんだよな。
最近、ビッグ・バンドのアンサンブル・コーチを頼まれたりすると、よく言う事が、「縦を揃えるより先に、自分自身のパートが心地良くスイングしてるかを一人で確認しなさい。」というものだ。一人一人がグルーヴしてれば、おのずと縦はそろい始めるし、微妙に揃ってなかったとしても、そのビートの幅が逆に心地良さを生む場合が有る。大学時代にヤマノ・ビッグ・バンド・コンテストに出場した時に、縦が異常に揃ってるのに全くスイングを感じなかったバンドがあってその時も違和感を感じた。まぁ、でもそこがウチより成績が良かったんだから、それが日本人の共感覚なんだとも言える。
プロになって、勿論アンサンブルの話し合いに至る事は多いけど、流石にそれぞれの個性を殺すような意見に至る事はない。嗚呼、ジャズ・ミュージシャンで良かったなぁ…と思える瞬間である。
で、冒頭のお話。ウイーン少年合唱団の先生のコーチングは素晴らしい。少年それぞれの個性や性格を見抜きながら、そして自由にのびやかに歌わせてるんだろなぁ。もちろん、才能が無ければこのグループに入ってこのステージに上がる事さえ出来ないわけだけど。
もう一つ気が付いたのが、アンサンブルは当然の如くピッタリ合ってて、子供ながらそこのプロ意識は流石だと思ったのだけど、歌ってる時の身体の動きがてんでバラバラで自由なのである。僕はここに、日本人にはない海外の感覚、いや、ジャズを感じた。
なんで日本人はなんでもかんでも「揃えよう」とするのか。
中央ヨーロッパを旅した時に、むさぼる様にクラシック・コンサートを観たけど、どのプレーヤーも音がのびやかで、ゆったりしている。これはジャズにも共通する事である。というか、クラシック・アーティスト達が、ジャズ・ミュージシャン同様に自由に演奏しているのだ。一方、日本人の多くは「縦を揃える」事にばかりとらわれ過ぎていて、のびやかさを感じない。日本人である自分にとって物凄い反省点となった。
アメリカ人はグルーヴについて「ポケット」という表現をする。時系列に均等に並んだポケットに音を放り込んで行く…という感覚なんだろう。日本人のリズムを「点」で捉える方式よりはかなり緩く幅を感じる。
話は飛ぶけど、以前、ジャズ・フェスに吹奏楽部の中高生を集めて、ビッグ・バンドのアンサンブル・コーチをするという仕事をした事が有る。僕は勿論、サックス・パートのコーチングをしたのだけど、それぞれのパート別のレクチャーが終わり合奏となった時に、別のパートの子供達が一斉にダンスをするように楽器を振りながら演奏を始めた。恐らくコーチングをした先生が「ジャズのノリ」を身体で表現する様に指導したのだと思う。これを見た瞬間、僕は違和感と嫌悪感を強烈に感じてしまった。
人間の身体はそれぞれ違う個性を持っており、運指上、筋を動かす為の腕の角度、足の置き方は三者三様、様々であって然るべきである。やり易い身体の動かし方は違っていて当たり前なのに、それをダンスをさせて限定させてしまい、動かし辛くするってどういう事??…と。何より観ててダサいし。
そういや、子供の頃、運動会でのマーチングとか大嫌いだったなぁ。その昔はオリンピックの入場行進も日本は北朝鮮の軍隊のように整列して行進していた。あれが嫌で嫌で仕方なかった。それに比べてアメリカ・チームの自由な入場。こうあって欲しいな…と。学校の運動会の行進でもトラックを回る時にでさえ、内側のヤツが足踏みして外側のヤツが早歩きしてっていう「揃える」って行為に何の意味が有るのか??ってずっと疑問に思いながら、指導してる体育教官を睨み付けてたのを覚えている。マス・ゲームとか嫌いなものは運動会に山ほど有ったな。
「揃えるって、そんなに大事?」って。
音楽をやり始めて、フュージョンだのビッグ・バンドだのをやり始めると、流石にその感覚では何も成立せずに「揃える」って事を学び始めたので、これでも揃った時の喜びは理解したつもりである。でも、今やアンサンブルを揃える事は打ち込みでいくらでも出来るし、機械の様に揃ってる没個性的な人間の演奏に全く魅力を感じない。自分が打ち込みで音楽を作る時は、サックスはレイド・バックさせたりしてワザとズラすし、ドラムとベースでさえズラす事は多い。大好きなブレッカーを聴いても最近はタイトなフュージョンをやってるのはあまり興味が持てなく、晩年にアコースティック・ジャズでアーシーな演奏してる方が好きになってしまった。タイトで有名なスティーリー・ダンの「Aja」のメイキング動画で、トラック別に再生するシーンが有るけど、それでさえ、それぞれの演奏が人間味溢れている。これなんだよな。
最近、ビッグ・バンドのアンサンブル・コーチを頼まれたりすると、よく言う事が、「縦を揃えるより先に、自分自身のパートが心地良くスイングしてるかを一人で確認しなさい。」というものだ。一人一人がグルーヴしてれば、おのずと縦はそろい始めるし、微妙に揃ってなかったとしても、そのビートの幅が逆に心地良さを生む場合が有る。大学時代にヤマノ・ビッグ・バンド・コンテストに出場した時に、縦が異常に揃ってるのに全くスイングを感じなかったバンドがあってその時も違和感を感じた。まぁ、でもそこがウチより成績が良かったんだから、それが日本人の共感覚なんだとも言える。
プロになって、勿論アンサンブルの話し合いに至る事は多いけど、流石にそれぞれの個性を殺すような意見に至る事はない。嗚呼、ジャズ・ミュージシャンで良かったなぁ…と思える瞬間である。
で、冒頭のお話。ウイーン少年合唱団の先生のコーチングは素晴らしい。少年それぞれの個性や性格を見抜きながら、そして自由にのびやかに歌わせてるんだろなぁ。もちろん、才能が無ければこのグループに入ってこのステージに上がる事さえ出来ないわけだけど。

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