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人は良いことを考えるし、良いことをする。
優しいし、他人の立場を理解するし、尊重する。
だれも親切であるし、周りに配慮するし、協力し合う。
と、夢のようなことを、少年時代は心底信じていた。
ところが成長するにつれ、
そのどれもが、実はそうではないと気づかされる。
少年が信じていた、人の心と振る舞いの像が定まらなくなり始める。
何事か異変を感じた時、人の反応にとてもばらつきがあることを知る。
少年はそれをどう受け止めていいのか判らない。
そのころから長く、少年のものの見方が彷徨い始める。
なぜ、あんなひどいことを人は出来るのか、
どんな心の動きであんな恐ろしいことが出来るのか。
人の振る舞いの源を想像できなくなっていく。
考え始める。
良いこととはなにか、悪いこととはなにか、
何故良いことなのか、なぜ悪いことなのか。
そんな素朴で、誰にも等しくあると信じていた事柄の内側には、
実は他者から見えにくい野望や攻撃性が潜んでいる。
それが時の事情に応じて、ぬっと現れるものだということを、
知りたくないけど知るようになっていく。
それらの事情や潜んでいる欲望を、
他者が透視することなど出来るわけがない。
であるから、良いことは必ずしも良いことではなく、
悪いことも実は悪いことではないかもしれないと思い始める。
ものの見方や捉え方は、全く状況に相対的なもので、
絶対的基準というものが、人の考えのなかには、
ほんのわずかしか存在しないことがはっきりしてくる。
昨日も今日も、さまざまな社会的な事象は、どれをとっても、
人を破壊しないという価値の順位は、後方においていかれる。
そう意図してないにしても、現実は具体的な実利が最優先される。
人間から人間を守るために、人間集団から人間集団を守るために
様々に戦略というものが編み出されている。
かつての少年は、
重層的な社会の現実の課題や状況をとても解きほぐせない、
人間の営みに正解などあるのだろうか。
たくさんの正義と正解が・・・、だから人は”悪いこと”をする。
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