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人が人に対して、いかに無慈悲でいられるか、
どれほどの残虐な行いをできるのか、
歴史には、その証拠ばかりが並んでいる。
だが、加害に周った人間たちは、言葉を駆使してそのことを糊塗してきた。
当事者でなくても、そうした人間の一面に触れたくない人々も、
それを覆い隠すことに手を貸してしまっている。
いま現在の世界の至るところでも、
それは一向に変わっていない。
個人レベルでも、組織レベルでも、国家レベルでも
その無慈悲は、隠れながら又は平然と横行している。
社会はそれをどう抑制できるのか、
世界中の様々な抑制システムが作動はしているが、
その効果が疑われる事態が次々と発生している。
人々は、生まれてからから成長するまで、家族の温もりのなかにいる。
同じく社会からは、長い時間の教育を受けている。
良とする生き方の法則を学び取っているはずである。
だが、ある場面を引き金に無慈悲な人間に変身してしまう。
その多くは自分が優位に立っている時に、それが顕になる。
そんな弱点がどの人間にも潜んでいる。
その弱点を自分の中でいかに抑制できるか、常に問われる。
無慈悲と残虐を支えているのは、生命に対する鈍感さである。
それに陥る根源はなんだろう、優位意識からくる強い差別観に違いない。
その反対に強い被害意識からくる絶叫かもしれない。
その抑制が効かなくなると冷淡さと無感覚が一方的に増幅していく。
それを自分の正義と変じている。いや快哉と思っているのかもしれない。
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