世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

恥部ではない

2017-07-13 | 雑々と過って惑う

 

📌

性欲は世界中に溢れているので安物扱いされる、

若しくは品格の恥部とばかりに気付かないふりをされている。

食事やスポーツのようでもあるし、単に排泄欲求かもしれない。

だが、芸術や思想の発現には性がある。異性愛の原点である。

セックスレスも痴漢行為も、性情の発露を違えてる点では同じである。

 

📌

性の衝動は生命の証であろうから、第一義は良である。

 性交は人が動物の生理にもどる瞬間である。

ここで品性は必要とされない。

人格の保持がもっとも希薄になっていく。

肉体が愉悦感に達するまでの過程は、

思惟のコントロールを放棄した時間である。

その性の衝動はカップル特有の感情表現に変わる。

 

📌

生き物の生理的な欲求は、食、繁殖、休息であって、

本能は、全てそれを充足するために用意されている。

生き物の行動は、ひたすら不足と充足の循環で繁殖が保持される。

何百世代もその基本欲求に忠実である。

 

📌

人間に備わった脳力は、生理的な基本が他の生き物と同じでも、

その欲求が原初のままでいられずに、

多様な派生を繰り返し、膨張し変形する。

学習力や創造力に優れ豊かな感性を生み、その展開は多岐にわたる。

変形や深化で成し得た無形のものを文化と呼んで尊ぶ。

あらゆる道具を作り出す。

自らの生命や宇宙の成り立ちまで解明する欲求に溢れている。

ではあっても幸福欲が満たされているわけではない。

実現した充足より破壊の方が際立っている。

破壊された側が声を発せられないだけだ。

 

📌

色彩はわずか赤、緑、青の三色から合成される。

この三色の微妙な混ざり方であれほどにも多様な色調になる。

混ざり合う事の不思議さに驚く。自然現象の無量無辺である。

誰かの視覚の三原色のひとつが微弱だったらどうだろう、

他の人たちと同じ事象を見ているのに、

その人の視野にある色彩は悉く違って映り、

その印象や思考や反応が、きっと別物になるに違いない。

もしかして、

私たちは同じ事象を同じ色として見ていない可能性がある。

性にまつわる感性が根深くても、同じ水準の行動になることはない。

人の反応にもきっと当てはまる。

何かの不足や過剰が時には犯罪になり、

別には素晴らしい業績になる。

わずかな過不足によって社会的な混乱が誘発される。

であるから、人にも社会にも基準値に戻る復元力が必要だ。

 

📌

衣服を脱いでしまえば、人の姿はわかりやすい。

世界の姿も同じだ、ここでも言葉やモノで巧みに飾られ、

私たちはその幻想に酔いしれる。

だが、修飾を1枚ずつ剥ぐ毎に、社会の動機が見えてくる。

欲望と手法が汗をかいて熱演しているはずだ。


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