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性欲は世界中に溢れているので安物扱いされる、
若しくは品格の恥部とばかりに気付かないふりをされている。
食事やスポーツのようでもあるし、単に排泄欲求かもしれない。
だが、芸術や思想の発現には性がある。異性愛の原点である。
セックスレスも痴漢行為も、性情の発露を違えてる点では同じである。
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性の衝動は生命の証であろうから、第一義は良である。
性交は人が動物の生理にもどる瞬間である。
ここで品性は必要とされない。
人格の保持がもっとも希薄になっていく。
肉体が愉悦感に達するまでの過程は、
思惟のコントロールを放棄した時間である。
その性の衝動はカップル特有の感情表現に変わる。
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生き物の生理的な欲求は、食、繁殖、休息であって、
本能は、全てそれを充足するために用意されている。
生き物の行動は、ひたすら不足と充足の循環で繁殖が保持される。
何百世代もその基本欲求に忠実である。
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人間に備わった脳力は、生理的な基本が他の生き物と同じでも、
その欲求が原初のままでいられずに、
多様な派生を繰り返し、膨張し変形する。
学習力や創造力に優れ豊かな感性を生み、その展開は多岐にわたる。
変形や深化で成し得た無形のものを文化と呼んで尊ぶ。
あらゆる道具を作り出す。
自らの生命や宇宙の成り立ちまで解明する欲求に溢れている。
ではあっても幸福欲が満たされているわけではない。
実現した充足より破壊の方が際立っている。
破壊された側が声を発せられないだけだ。
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色彩はわずか赤、緑、青の三色から合成される。
この三色の微妙な混ざり方であれほどにも多様な色調になる。
混ざり合う事の不思議さに驚く。自然現象の無量無辺である。
誰かの視覚の三原色のひとつが微弱だったらどうだろう、
他の人たちと同じ事象を見ているのに、
その人の視野にある色彩は悉く違って映り、
その印象や思考や反応が、きっと別物になるに違いない。
もしかして、
私たちは同じ事象を同じ色として見ていない可能性がある。
性にまつわる感性が根深くても、同じ水準の行動になることはない。
人の反応にもきっと当てはまる。
何かの不足や過剰が時には犯罪になり、
別には素晴らしい業績になる。
わずかな過不足によって社会的な混乱が誘発される。
であるから、人にも社会にも基準値に戻る復元力が必要だ。
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衣服を脱いでしまえば、人の姿はわかりやすい。
世界の姿も同じだ、ここでも言葉やモノで巧みに飾られ、
私たちはその幻想に酔いしれる。
だが、修飾を1枚ずつ剥ぐ毎に、社会の動機が見えてくる。
欲望と手法が汗をかいて熱演しているはずだ。
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