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1960年代のはじめ、デモによる社会活動が頻繁にあった。
なかでも学生のデモが一番激しかった。
私はいわゆるノンポリ学生であったが、何度かデモ隊の中にいた。
日本社会の隅々まで、社会成熟の途中経過の真っ只中にあるという空気だった。
学生たちは希望が大きい分、不条理に敏感だった。
大戦の残像を踏まえて、政治動向や権力の怖さにデモの強さで反応した。
いま思えば”革命”を叫びながら、その理念と現実の違いは未知であったし、
幻想であることも気づけなかった。
だがアジテーションに呼応するエネルギーは十分にあった。
なにか動くことが義務と思えた。
振り返って、あのころ訴えた事柄で実を結んだものはない。
激高した運動はやがて変容して、偏狭で過激な一団を産み落として終息した。
あれから何十年経って、日本社会は先進国、経済大国と見られるようになった。
人々の関心事も社会の様相も、連帯感がうすれるほど多様になった。
そして今、かつての成功体験が色あせて、経済もすっかり停滞している。
次のステップが何なのか、誰にも見えていない状況なんだと思う。
鋭い人もそうでない人も、皆がダレている状態に思える。
日本社会はどれをとってもtoo little too late でしか進んでいない、と思ってしまう。
他国の先見の後追いがお家芸になっていて、日本からの発信を世界に期待されてない。
日本の共同社会の原型は村社会である。内にあっても外にあっても、
周りの動きを見定めて、恐る恐る腰を上げる習性から抜け出せない。
悪い習性とばかりは言えないが、発信力は極めて劣ることになってしまう。
IT技術が世界の情勢を猛スピードで変革している。
自分に対してさえ発信できてないほど、私も鈍感になっているのではないか。
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