夏休みに入って、10代の方々もこのブログにお越しいただいているとのことです。
ありがとうございます。
とてもうれしいです。
さて、今日8月15日は終戦記念日です。
中高生の方々は、太平洋戦争について学んでいると思います。
広島や長崎、沖縄に修学旅行などで訪れて衝撃を受けた方もいるでしょう。
祖父母や両親から聞いた方もいるでしょう。
まして今年は大震災もあり、命の尊さを身近に感じていることでしょう。
知り合いのあおいさんが、以前ご自身のブログで沖縄のひめゆり学徒隊について素晴らしい投稿をされていました。
ご本人の承諾をいただいたので、ここで抜粋して紹介します。
【あおいの森】(gooブログ)
2006.04.05(沖縄県誕生の日の翌日)
”沖縄県誕生の日に「ひめゆりの塔」を思う”
※ひめゆりの塔の入り口ににある石碑に刻まれている文章です。
「ひめゆりの塔の記」
昭和20年3月24日島尻郡玉城村港川方面へ米軍の艦砲射撃が始まった。
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員生徒297名は、軍命によって、看護要員として、ただちに南風原(はえばる)陸軍病院の勤務についた。
戦闘がはげしくなるにつれて、前線から運ばれる負傷兵の数は激増し、病院の壕(ごう)はたちまち超満員となり、南風原村一日橋・玉城(たまぐすく)村糸数(いとかず)にも分室が設けられた。
看護婦・生徒たちは、夜昼となく力のかぎりをつくして傷病兵の看護をつづけた。
日本軍の首里(しゅり)撤退もせまった5月25日の夜、南風原陸軍病院は、重傷患者は壕に残し、歩ける患者だけをつれて、手を引き肩をかし、砲弾をくぐり、繃帯(ほうたい)をちぎって道しるべとして、ここ摩文仁(まぶに)に移動した。
南に下がって後は、病院は本部・第一外科・糸数分室・第二外科・第三外科に分かれて業務をつづけた。
第三外科は現在のひめゆりの塔の壕にあった。
6月18日いよいよ米軍がま近にせまり、看護隊は陸軍病院から解散を命ぜられた。
翌19日、第三外科は敵襲を受け、ガス弾を投げこまれて、地獄図絵と化し奇蹟的に生き残った5名をのぞき、職員生徒40名は岩に枕を並べた。
軍医・兵・看護婦・炊事婦等29名民間人6名も運命をともにした。
その他の壕にいた職員生徒たちは、壕脱出後弾雨の中をさまよい、沖縄最南端の断崖に追いつめられて多く消息をたった。
南風原陸軍病院に勤務した看護要員の全生徒の3分の2が、こうして最期をとげたのである。
戦争がすんで二人の娘の行方をたずねていた金城和信夫妻によって第三外科壕がさがしあてられた。
真和志(まわし)村民の協力により、昭和21年4月7日、最初のひめゆりの塔が建ち、次第に整備された。
ここに沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の職員16名、生徒208名(訂正210名)の戦没者を合祀(ごうし)して、白百合のかおりをほこったみ霊(たま)の心をうけ平和の原点とする。
乙女らは、涙と血とを流してえた体験を地下に埋めたくないと、平和へのさけびを岩肌に刻みながらついに永遠に黙した。
いはまくらかたくもあらむやすらかに
ねむれとぞいのるまなびのともは
仲宗根政善
※戦没者の人数は正確には職員16名、生徒211名、合わせて227名だそうです。
生き残った方は職員5名と生徒99名です。
※この後、あおいさんのコメントです。
「16歳から20歳までの少女たちは、両親と離れて、恋もオシャレもできず、志も半ばで死の恐怖に怯えながら亡くなっていきました。
そして沖縄では全県民の三人に一人が戦争で亡くなったそうです。」
<参考文献>
「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」仲宗根政善著・角川文庫
「ひめゆりの塔」石野径一郎著・講談社文庫
「生贄の島ー沖縄女生徒の記録ー」曽野綾子著・文春文庫
「ひめゆりたちの祈りー沖縄のメッセージー」香川京子著・朝日文庫
「20世紀 太平洋戦争」読売新聞20世紀取材班編・中公文庫
以上、あおいさんのブログからの抜粋です。
16~20才といえば、まだ両親のもとで生活したかったことでしょう。
目の前で軍人や友人の死を見せられた上、銃弾の飛び交う戦場に投げ出されたのですから、その恐怖は想像を絶することです。
生き残った方々は、戦争の悲惨さを後世に語り継ぐため、後に「ひめゆり平和祈念資料館」を設立しました。
太平洋戦争では、沖縄に限らず、広島・長崎の原爆投下をはじめ、全国の都市が空襲や艦砲射撃により、多くの民間人が亡くなりました。
謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
太平洋戦争のことは中高生の方々には衝撃的だと思います。
でも、歴史を学んで同じ悲劇を繰り返さない世の中を作っていく気持ちを持って下さい。
太平洋戦争を風化させてはいけないと僕は思います。
今日の投稿のため、読み直した本があります。
中高生の皆さんにおすすめです。
「ひめゆりの沖縄戦」
伊波園子著・岩波ジュニア文庫
作者は米軍の銃弾によって負傷しながらも命をとりとめたひめゆり学徒隊の一人です。
絶版になっていませんように…。
冒頭にも申し上げましたが、今年3月には東日本大震災がありました。
不自由な生活に耐えている方は、多数いらっしゃいます。
僕自身、母の実家の福島県の原発事故の現状を聞いて胸を痛めています。
終戦直後と現在を重ねるつもりはありませんが、いかに戦後復興してきたかを知れば、震災からの復興に活かされることもあるかも知れませんね。
でも、皆さんの若さと概念にとらわれない発想も大切です。
現にツイッターやSNSを有効活用していますよね。
僕は、若い方々に負けないよう自分なりに復興支援を続けて行きたいと思います。
最後に今日の投稿に快諾してくださったあおいさんに感謝の意を表します。