東横インの朝食は6:30から、新幹線は6:37発なのでいただくことができずにチェックアウト。
道端には大宮アルディージャ、飲食店ばかりの商店街を通過、マンホールを発見、そして大宮駅東口へ。
E5,E6,E7が勢ぞろい!?
山形新幹線は30年らしい(北陸新幹線は7年)。
車内で朝食。
米沢駅に到着すると米沢牛が迎えてくれました。
さて、限られた午前中の時間を使って「所用」の旅路?へ。
まずは上山市役所へ向かって、マンホールカード取得!
移動途中で目に付いたのがスカイタワー41。
山形県一の高層建築物で134 mとのこと(1999年竣工)。
続いて南陽市水道庁舎を訪問。
そして、今回のメインイベント?と言っても過言でない、長井駅で鉄印取得!
この辺りには早くから縁がありました。
1998年2月に近隣の白鷹町で装置の設置工事があり2週間近く滞在しました。
冬まっさかりで毎日が積雪との戦い、除雪や融雪、氷解作業が業務の大半?だったように記憶しています。
パートナーだったスタッフ氏は作業中に2 m少し上から落下、鉄板の上だったので不幸中の幸いで大事に至らなかったのですが、座るようにして着地した先に運悪く吊りピースが付いたままだったため太ももを裂傷して金沢へ帰ることに。
その代わりは翌々日からの会社スキー慰安旅行を楽しみにしていた日夜ともに酒をこよなく愛する(アル中?)山ちゃんが指名されてやって来ました。
会社から指示された駅は宿泊地近くの長井駅でなく、現場近くの鮎貝駅で当時は携帯電話の所有率は低かったのでお互い有しておらず合流に四苦八苦しました。
そんなこともあって先のスキー旅行と相まり、恨みつらみ言を立て板に水の如く次から次へと吐かれていました。
その当時に逗留していた宿は長井駅前の沢の井旅館でしたが、既に廃業していました。
それから12年あまり、2010年12月に装置のどさ回り調査のため再訪しました。
当時の長井駅は木造駅舎でした(努めて撮影する習慣はなく、夕方に散策したときの写真が残っているのみ)。
(以上、3枚は2010年12月13日)
それが現在では市役所と一体型の駅舎へと変貌していました。
(朝日生命さんは変わっておらず、近いアングルで)
駅舎内には市役所への通路、駅ピアノ、山形鉄道むすめの鮎貝りんごなどなど、盛りだくさん!?
その中、さらっと鉄印を購入しました。
辺りを散策していると列車が到着、走っていって撮影。
過去に訪れたときは散策や撮影にそれほど興味が無い時分だったのであまり比較できませんが、駅舎の変貌を第一に街並みも多少変わっていたように思えます。
米沢へ向かおうと町中を進んでいると旧長井小学校第一校舎なるレトロな建築物に遭遇。
時間があれば館内を散策したかったのですが、さらっと撮影のみで退散。
そして米沢市内に入って時間が少し余ったので米沢城跡も見てきました。
現在は上杉神社の境内となっています。
境内には天地人(大河ドラマ)の記念碑、上杉鷹山の銅像、上杉謙信像、家訓十か条、伊達政宗生誕碑などなど。
折角なので神社で参拝、長女の合格祈願守、次女の学業成就守、ノッポの勝守を購入。
レンタカー返却前に給油したのですが、ここは金沢と比べて20 円/L以上高い?
昼は米沢駅前で目に付いたラーメンの幟に惹かれて松月へ。
米沢牛肉ラーメン一択でいただきました(28杯/年、うち尾道は12/28)。
肉はB級グルメ系のラーメンに似合わない良質なもの、スープはあっさり、面は細めのちぢれと一風変わっており、食べ応え十分でした。
参考
米沢伍麺会
米沢麺業組合
午後からはリアクト米沢のバイオガス施設を見学してきました。
設置を担当された会社の社長さんはじめ技術陣の方々から説明をいただき、大変参考になりました。
暑い中、ありがとうございました!
(Gメンシリーズ?)
見学終了後、米沢駅へ戻り帰りの旅路へ。
米沢駅正面、西口、米沢方言番付、米坂線(米沢と新潟の坂町を結ぶ)車両などを収めました。
大宮駅の乗り換えの際に駅そばで佐野ラーメンを食べました(29杯/年、うち尾道は12/29)。
ここは大宮駅の京浜東北線専用1,2番ホームで新幹線とは端と端で、約20分での移動して待って食べてまた戻るに不安はありましたがひとまず難なく戻ることができました。
今回のお土産。