イベント翌日、気が抜けましたが課題通知があったのでもうひと踏ん張り。
前々日に記したとおり、基本的にイベント前日は良く言えば「明鏡止水」、悪く言えば「現実逃避」です。
中学時の各種試験、準備万端、解けない問題などあるのかといった根拠の無い自信も相まって、教室の隅であきらめグループと遊んでました。
高校時、中学から一転してあきらめグループに入部?
1年時は2桁番から300番後半へ急降下、2年時は400番台前半(と言っても450人なので前半しかない)の低空飛行をしっかり維持!?
前日もしっかり睡眠、試験当日は解ける問題などあろうはずもなく睡眠、よく寝る子は育ちました!?
大学になるとさらに磨き?がかかり、周囲は勉強派とカンニング派に二分されていましたが、そのどちらにも属さない第3派だったノッポは「明鏡止水」の心境で試験に臨み、その結果は教養課程(2年前期まで)であと1単位が足らずに留年でした。
ちなみに、このときの留年率は1/4~1/3に達し、新聞にも大きく掲載されていたほどで自身正当化の題材としていました(が、半数以上は進級)。
以下は、実しやかに囁かれていた噂、憶測、真相の深層です。
金沢大学の工学部は2年前期までの教養、3年までの専門共通で進級審査があり、その後に4年時の研究室配属となります。
研究室に配属されなかった過年度生が専門共通定員数のある程度を占めているため「空き」が少なくなり、前年からの教養の過年度生数を含めて入学定員を上回っている教養課程の学生を全て進級させる余裕は教室などのハード、先生方のソフト、その両面で余裕が無く、進級者数をある程度「間引き」する必要があったようです。
ノッポは英語とドイツ語のそれぞれ1単位ずつ落第したのですが、授業を全出席すれば最低でも合格するドイツ語のほうに納得がいかず先生を訪問してみると、「合格でしたよ。」とさらっと言われ拍子抜け???
英語は出来に自信が無かったのですが、出席率が悪くない限りは合格するとの話なので此方も問い合わせすべきか迷っているうちに、1年時からともに過ごしてきた友人も留年していることと相まってあきらめの心境に達し、留年が確定しました。
その後、そのときの留年生のほとんどが英語とドイツ語をそれぞれ1単位ずつのみ落としてだけだったことが徐々に分かり、進級数調整のために何らかの「作為」が働いたのでは?との憶測を呼びました。
成績判断基準を厳しくしたと言われればその限りですが、先の単位認定間違いがあるので疑念は拭えません。
後日、数名ばかりほど単位認定違いがあり、改めて進級していたことも分かりました。
当時、あきらめず英語も追及すれば「もしかして」があったかもしれませんが、結局行動を起こさず受け止めたことも「That's Life」。
留年があって、通常進級とは違う巡り合わせが発生して現在に至っています。
そのまま進級していればまだ就職氷河期前だったので東京や大阪の有名企業へ行っていたかも、大学院へ進学していたかも、県内企業だったかも、有名企業に入るもままならずに早々に都落ちして戻ってきているかも、などなど絶対違った人生だったろうと思い巡らせることがたまにあります。
人生の「if」は際限が無く、物理的に時間を取り戻すことはできないので議論してもどうしようもありません。
今をどう生きるか、巡り合ってきた方々との縁を大事にしながら、過去に思いが至りがちですが、それはそれで反省しつつ、未来を見据えて行動できるかどうか。
40代の不惑から50代の知命へ、家庭、業務、交友などなど、これからの自分の立ち位置を認識しつつ行動改善ですかね。
まず今年は「脱キリギリス体質」。