帰宅すると家内から「書いてまー」と第一声(金沢(羽咋)弁丸出しで文書化する際は変換に手間がかかるとは余談で)。
長女の宿題の一つらしく、読書感想文が必要のようです。
「私は本を読まんから」(何かと忙しいとのこと)
「お父さんは本を読んどるから」(お父さんは暇で訳の分からない本ばかり読んでいる)
「書いとる暇があるわけ無いがいね」(お父さんは暇を持て余している)
と次から次へと出てくる自己強調と罵詈雑言?の数々、大したものだと最近はお湯を沸かすことなく平然と聞き流せるようになりました(年波?)。
長女からお願いされれば断る理由はないので取りかかることとし、書かれていることを読んでみると、昨秋の読書週間に実施されたこの企画が好評だったらしく、初夏にも実施される運びになったようです(何をもって好評だったのか公表してほしい)。
取り組んだ内容の選択欄があり、
1.家の人が子どもに読み聞かせをする。
2.子どもが家の人に読んで、聞いてもらう。
3.家の人と子どもが、同じ本を読んで感想を話し合う。
4.同じ時間に別々の本を読むような読書タイムをとる。
5.一緒に図書館へ行って本を読んだり、本を借りたりしてくる。
6.その他
選ばれていた欄は6.「違う時間に別々の本を読む」で、父子の断絶?を象徴しているような書き方であり、まさしく企画の目的の対極そのものです。
結局、最近読んだ「終わらざる夏」(浅田次郎)について、戦争の儚さをいくつかばかり感想として記しました。
このような企画の賛否はあるかと思いますが、読書は悪いことではないので学校として読書そのものを推奨してもらうことには賛成です。
そして、本来ならインプット(読書)とアウトプット(感想を記す・伝える、語り合う)が必要なのでこの企画はその面からは良いのかもしれません。
後日談
お願いされて一通り書いた後は居間に置いておきましたが、翌朝にはしっかり回収して提出した様子。
ただ、回収する際もその後も一切合切その話は長女から無し。
あっさりしているのか冷淡なのか忘れやすいのか分かりませんが、家内を彷彿とさせていることは言うまでもありません・・・。
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