早雲公園から歩くこと数分。
早雲寺に到着しました。
早雲寺は大永元年(1521)、北条早雲(伊勢盛時)の遺言で子である北条氏綱が京都大徳寺第83世以天宗清(いてんそうせい)を招き創建されたと伝えられているお寺です。小田原北条家の菩提寺として栄えましたが、天正18年(1590)4月5日、箱根山を越えてきた豊臣秀吉の本陣となり、6月下旬に石垣山一夜城が完成すると火を放たれ、当時関東屈指の禅刹は、一度消失。その後、寛永4年(1627)僧侶 菊径により再興されました。
こんな立派なお寺なのになぜか公式HPがぬゎい!!
まあいっか☆
間違いだらけのレポになりそうな予感がしますが、
ユルーい感じで参りましょー!!
ほい。
手水舎(ちょうずや)・・・なのかな??←
コロナの影響か?使われていませんでした。
さて。こちらは境内図。
今回は早雲寺林からのルートだったので、惣門からではなく庫裡(くり)側から周りました。
早速行ってみましょー。
右側が庫裡、左側の建物が本堂です。
壺中軒(こちゅうけん)
夏季限定のお休み処で、茶道講座やヒメハルゼミの鑑定士講習会など各種イベントが行われるそうです。
(。´・ω・)ん?
火をおこしたあとがある。お焚き上げでもする場所なのかしらん?
いや、それならもっと広い場所か・・・。
良く分かりませんでした(゚∀゚)
どなたかわかる方いらっしゃいましたら教えてくださいませ♪
鐘楼前の梅の木。
歴史を感じる古木です。
こちらも立派な木です。
樹齢何年くらいなのでしょう?
その奥に梵鐘があります。県指定文化財です。
庫裡の唐破風の玄関。
庫裡から本堂へ続く渡り廊下。
風情がありますね(*^_^*)
本堂。
町指定文化財です。
拝観経路に従い進みます。
史跡庭園「北条幻庵作 枯山水香爐峯(かれさんすいこうろほう)」の案内が見えてきました。
枯山水庭園
北条早雲の末っ子である北条幻庵(1493-1589)の作庭とされ「香炉峰」という名があります。
その後、庭園研究家の重森三玲(1896-1975)・完途(1923-1992)氏の調査で、江戸時代前期万治・寛文期(1660年前後)の作庭ではないかと推定されます。以降、戦国時代の庭園を江戸時代の再建期に現在の石庭に整備されたものと考えられるようになりました。
室町時代以降の禅宗式枯山水石庭が東日本では極めて少ない為、貴重な史跡なのだそう。
開山堂の借景となっている自然林は、先の記事で書いた早雲寺林です。
開山堂
開山・以天宗清(いてんそうせい)和尚の木造が安置されています。
今は貴重な茅葺屋根。
10年前に葺き替え工事をしたそうです。
こうした歴史的建造物のメンテナンスは大変そうだなあ。
花頭窓(かとうまど)。
見つけるとついつい撮りたくなってしまうのは何故??(〃▽〃)←花頭窓好き。
さてさて。
ここからはいよいよお墓めぐりです。
宗祇法師之墓(1421-1502年)
宗祇(そうぎ)は西行、松尾芭蕉と並んで 放浪三代詩人と呼ばれる歌人で連歌を大成し、幅広く世に広めた連歌界の巨匠です。駿河・美濃に向かう旅の途中箱根湯本で亡くなり、弟子たちが定輪寺(静岡県裾野市桃園)に埋葬します。早雲寺の墓は、その後終焉の地に建てられた慰霊塔となっています。
稲津祇空之墓(1663-1733)
箱根早雲寺宗祇墓前で柏州和尚の下で仏門に入り、宗祇から一字を取って祇空と名付けられ活動した歌人だそうです。
史跡 北条五代の墓
北條早雲 (1432-1519)俗名、伊勢新九郎長氏。備前生、戦国時代初期を代表する武将。 京都から駿河今川家に身を寄せ伊豆・相模を攻略、戦国時代の幕を開いた。 伊豆韮山で没。享年八十八歳。
北條氏綱(1486-1541)父早雲の遺志を継ぎ武蔵・下総へ進出、小田原北條氏の領国を拡大した。早雲寺の創建者。 享年五十六歳。
北條氏康(1515-1571)扇谷上杉を滅ぼし関東の覇権を握る。領国経営にすぐれた手腕を発揮した。享年五十七歳。
北條氏政(1538-1590)夫人は信玄の娘黄梅院。信玄の西上を後援、その没後は信長と連携して武田勝頼討伐に加担。やがて秀吉に敗れ切腹。享年五十三歳。
北條氏直(1562-1591)夫人は家康の娘督姫。下野宇都宮氏を降し後北條氏最大の領国を形成。上野真田昌幸の名胡桃城を奪取して秀吉と対立して破れる。 家康の助命で高野山に流さる。享年三十歳。
大真院殿秀山俊公居士
北条 氏次(ほうじょう うじつぐ)の戒名だそうです。
後北条氏第5代当主・北条氏直の嫡男とされる人物。
生国は相州小田原、父は北条氏直、母は徳川家康の娘(正室・督姫)で、名は北条善右衛門尉氏次。入道して安清と号し、寛文12年(1672)6月4日に88歳で死去したと書いてありました。
ただしその実在は極めて疑わしいとのこと(;'∀')
氏次の子孫が、早雲寺に慰霊碑を建立したそうです。
氏次の子孫も自称だったりして・・・何だかいろいろわからんちんで不思議な感じの慰霊碑でした☆彡
そして、
中門をくぐり抜け
道路を渡って惣門へ向かいます。
ふと振り向くと、H氏はお庭の整備をされていた男性と心温まる交流をしていました笑
「何話してたの?」と聞いたら、
早雲寺が秀吉の小田原攻めの拠点となったこと、
「金湯山」のその横に「朝鮮国雪峯」と書いてある由来などいろいろ教えていただいていたそうです。
そして、早雲寺林を抜けて来たと伝えたら
「あんな(足場の悪い)ところよく歩いてきたね。」
と言われたそうです。
ドン( ゚д゚)マイ
惣門
山号は金湯山。
「金湯山」のその横に「朝鮮国雪峯」と書いてあります。
雪峯(ソルボン)とは朝鮮通信使*の一行にくわわった金義信(キムウィシン)の号だそうです。
江戸時代に来た朝鮮通信使は、行く先々で日本人と文化交流をし、こうした文字だけでなく、絵や詩が各所で残されているそうです。箱根は江戸時代を通じ、朝鮮半島との交流もあった歴史ある土地だということがわかります。
*朝鮮通信使・・・・足利・豊臣・徳川の武家政権に対して、朝鮮国王が日本に派遣した外交使節団
惣門前の石仏。
・・・誰?
早雲寺・・・北条五代の墓・・・?
もはや読めなくなった石碑すら歴史を感じますね。
門前広間には、お地蔵様と
小さな祠がありました。
お寺の中を移動する途中
順路沿いの石畳や
小路で見つけた地面に埋め込まれた瓦の装飾
マメヅタに覆われた樹木
苔に覆われた水受け
大きな空洞が出来た木
青々と茂ったもみじ
石柵についた苔
ぽつん。と咲くハルジオン
トキワツユクサ
・
・
・
などなど様々な石や木や草花が目を楽しませてくれました(゚∀゚)
楽しいなあ。
庫裡側から入り、門から出てきてちょっと不思議な感じがしましたが
とても楽しかったです♬
ここから宿泊先のホテルへと向かいましたとさ。
つづく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます