日々感ずることを、徒然に書いています。ご笑覧あれかし。

言葉というもの、非常に興味があります。

27日

2021-11-22 09:00:20 | 日記

27日というのは、因縁の日である。

何しろ、この27日という日に、昨年、2回も「ちょっとした」ことが起ったときている。

8月と9月に一回づつ。ただし、両者には因果関係があり、前者がなければ、後者はない。

私、昨年、8月27日に銀行がらみの詐欺に引っかかり、私の普通預金から、その45%ほどの金が、掠め取られた。

ただ、その金は、少額。また遊んでいる金であったので、別にさしたる痛痒を感じたわけではない。現実的には何も困らない。しかし、勿論忌々しい。

即座に、銀行にも警察にも届けた。

それから、何事もなかったかのように、日々が過ぎていった。それにつれて、私がしでかした「不始末」のことは、徐々に忘れていった。いや、忘れようとしていたという方が当たっているかもしれない。

何しろ、単に金銭上だけのことである。具体的に危害を被ったわけではない。私の普通預金の金額が減ったという「数字上のこと」である。自分にそう言い聞かせ続けて、一と月足らず。勿論、まだ忌々しいのは事実である。

そして、9月27日がきた。

朝、自分の銀行口座明細を見て、目を見張った。普通預金の総額が跳ね上がっている。

そのひと月前に掠め取られたお金が、そっくりそのまま返ってきたのである。ちょっと信じられなかった。

銀行から、それに関して何の説明もなかったので、これは、憶測の域を出ないが、当初の非は、勿論私にあるとしても、銀行が、自分たちにも落ち度があったとして、「補填」してくれたのではなかろうか。

ただ、私の預金総額が元に戻ったというだけのこと。嬉しいというより、やれやれといったところである。

これで、お金も戻ってきたし、詐欺に対する免疫もできたというわけで、これからは、もっと用心深い人間になるはずである。

しかし、私、根本的には、今まで通り「開いた」人間で行く。私はどちらかというと、人を信用する方である。その基本姿勢は変えない。そして、私のこういう性格のために、得たものの方が失ったものよりはるかに多かったように思う。私の今の幸せそうな(?)生活環境も、そのお陰ではないだろうか。

ところで、今回の一連の出来事で、ちょっと意外だったことがある。

お金を掠め取られた時も、そして、それが運良く返ってきた時も、私、あるSNSに投稿し、多くの人に知ってもらおうとした。

始め、詐欺に遭った時に書いた日記に寄せられたコメントは、結構多かった。「お気の毒です」。

しかし、後の日記に寄せられたコメントは、ほんのわずか。これは意外であった。

誰かが、宝くじで、巨額の一等賞金を手にされた時に、誰も「良かったですね。おめでとう」とは言わないようなものである。

そして、もう一つ。

これは面白い。

私自身のことである。

私、お金を失ってから、それが返ってくるまでの一と月間、もうほとんど諦めていたとはいうものの、一縷の希望は捨てなかった。

そして、こう思った。

「どうせ、この金は、一度諦めたものなんだし、もし、戻ってきたら、本当にお金を必要としておられる人に、あげよう」

本当に、そう思った。

しかし、しかし、それは「仮想」の話であって、それが「実際に」私の手元に戻ってくると、途端にそんな風には思わなくなった。

それは、分析してみると、こういうことではないであろうか。

正直なところ、そのお金、まさか返ってくるとは思っていなかった。ただ、自分が「馬鹿だったなあ」と思う気持ちは当然ある。そんな気持ちを少しでも軽くするために、考えたのがこの手。

失ったお金は、空想にしろ、慈善的なことに使われたんだからまあいいか。それで、なんとか、自分を慰めようと、。

人間は、根本的に、自己中心的で、欲深いもののようである。



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