今日は10月30日、土曜日。外は曇天、小雨模様。
明日から、当地では冬時間が始まり、陽が、すぐに落ちます。
特にこれといった予定はなく、こうしてPCの前に座っていますと、ついつい「易きに流れ」、長編のユーチューブを、2本も観てしまいました。いずれも、日本がらみです。
下に行って、穴の空いたセーターの繕い物をしたほうが、いいということはわかっていましたが、この歳になりますと、そういう面倒臭いことは、後回しになるんですね。
私、非常に気の小さいおとこでして、「ああ、今日は何もしなかったな」と思うような日があるのは嫌なんです。散歩をするとか、本を読むとか、人様をおもてなしするとか、そういう、努力を伴う「何か」を、日に一つはしないと、気持ちが悪いんです。
どうです、気の小さい男だとお思いになるでしょう。
ですから、せめてもの罪滅ぼしに、こうして、文章を書いているというわけです。まあ、これだと、ある種の努力が要りますのでね。尤も、物を書くというのは、私の「好きな」分野。努力が要るといっても、大してことはありません。
観たユーチューブの1本目は、1988年10月19日の、川崎球場でのプロ野球パリーグ、因縁の「近鉄:ロッテ」ダブルヘッダーです。
これを観たのは、初めてではありませんが、何度観ても面白い。近鉄には、このリーグ最終戦2試合に優勝がかかっています。ただ、それには連勝しなければなりません。連勝して初めて、西武を抜いて、8年ぶりのリーグ優勝というわけです。
2試合とも、手に汗握る接戦でした。第一試合、近鉄が僅差で勝ち、次の試合も、この分だと勢いに乗り、勝つかなと期待していたのですが、惜しいところで、引き分け。仰木監督率いる近鉄バッファローズ、涙を飲みました。
こういう状況ですから、難しいことを言わずに、最後決着の付くまで、やらしてあげればいいのにと、素人の私は思いました。しかし、結局、延長10回「時間切れ」の引き分け。何か浪花節を聴いているみたいでしたね、最後は。
2本目は、戦後を代表する2大流行歌手、春日八郎と三橋美智也の業績の系譜を描いたものでした。お二人とも、キングレコードいうレコード会社に属され、「仲の良いライバル」であったそうです。
私が小学校低学年の頃、お二人ともデビューされ(春日さんの方が少し先輩)、私が日本を離れる頃まで、歌っておられましたから、今日聴いた曲は、だいたい全て知っているものばかりでした。お二人の、初めてのヒット曲、「赤いランプの終列車」1952年(春日)、そして「おんな船頭歌」1955年(三橋)は、共にいい曲です。
流行歌というのは、それを聴いていると、その時の日本の様子とか、自分がどんな生活をしていたかというようなことが如実に蘇ってくるんですね。お二人は、日本が、戦後貧しかった頃から、昭和30年を境に復興と繁栄に向かう頃に活躍しておられました。
ですから、まだまだ、私の脳裏に浮かぶ光景は、そんなに豊かなものではありませんでしたが、それでも、その時の自分から、今ある自分への変遷を考えることができ、感慨深いものがありました。
また、このユーチュブでは、歌手のご苦労はもちろんですが、その背後にある、作曲家、作詞家の、どのようにすれば、レコードが売れるだろうかとのご腐心がよくわかりました。とにかく時流に乗らなくてはなりませんのでね。
日本人は、とかく「過去を偲ぶ」というのが、好きみたいですね。尤も、それは「いいこと」に限っての話。逆に、「嫌なこと」は、「水に流す」そしてできるだけ「忘れる」。
今日は、怠惰な一日でしたが、おかげで、こんな文章が書けました。例によって、古いことですみません。
明日は、繕い物をしますね。
PS: 今年は、オリックスがパリーグの覇者になりましたね。おめでとう。私の好きな球団。かつての阪急ブレーブスと近鉄バッファローズの流れを汲んでいます。このまま日本一になってほしい。