日々感ずることを、徒然に書いています。ご笑覧あれかし。

言葉というもの、非常に興味があります。

惚れる

2023-01-26 07:35:22 | 日記

ある人が、ちょっと面白い質問をしてきた。

 
「あのう、ちょっとお訊きしてもいいですか?」
 
「、、ええっ、??、、、は、はい、、」
 
「XXさん、あなた、ご自分を客観的に見ることができるとして、ご自分に”惚れる”かもしれないということがあると思われますか」
 
あまりに唐突な、また意表をつく質問であったため、私、この時、迂闊にも、「うん、」と答えてしまった。
 
しかし、ここは、「わからない」というのが妥当であるとは、すぐに気がついた。その後、その質問主に訂正した。
 
だって、現実的に、自分を第三者の目で眺めることなど不可能なのである。
 
だから、もし、私のクローン(生き写し)が、私の目の前に忽然と現れたとしても、私がどう反応するかはわからない。
 
「生き写しだから、好き」だというのは、ちょっと解せない。また、逆に「、、、だから、嫌い」とも言えない。
 
要するに、「わからない」。
 
そして、今ある自分を、第一人者としてみる場合であるが、これは、我々が「自分」というものを考えるときの一般的なやり方、「自分とは何か」。
 
その「自分」をどう思うか、ということなら、少しはわかる気がするが、それにもわからないところがある。
 
ところで、ある人が、誰かに初見で「惚れる」というのは、実に特殊な感情で、一生のうちに、一度あるかないか、。
 
私の場合はそういうことが、一度だけであるが、あった。
 
人が、誰かに初めて会うとき、普通は「こんな人だったらいいな」という「理想像」を描いて臨むものだと思う。少なくとも、私の場合はそうである。
 
そして、目の前に現れた人が、その理想像に完全に合致したとき、ある現象が起る。「一眼ぼれ」である。
 
私の場合は、そんな塩梅であったが、この奇異な経験は、私の大事な宝物。今も大事にしている。
 
ただ、私が惚れたのは、あくまで、「第三者」に対してである。
 
というわけで、私、人が「自分自身に惚れる」というのは不可能であると思う。存在しない感情。
 
当然のこと、人間、いろんな困難を克服して研鑽を積み、また業績を上げ、然るのち、「自分に自信ができた」ということなら、よく分る。そして、そういう人は、まあ魅力的である。
 
しかし、そういう人でも、自分の足りないとか、弱いところとかは勿論知っているのであるが、そういうこと、普通、第三者にはわからない。
 
また、いくら仕事もでき、業績も十分上げられて、立派に見える人でも、それを鼻にかけるような人だと、それこそ「鼻持ちならない」。
 
自分のことを”肯定的に”捉えるのはいいけれど、「私、自分が好き」と言う人がおられたら、嫌われるのは目に見えている。
 
映画俳優とかの有名人は、遠くにいて眺めていればこそいいのだと、私は思う。
 
惚れてもいいけれど、「夢の世界」のことだと弁えてくださいね。


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