今年も、お盆が過ぎました。
毎年ですが私、お盆が来るとか過ぎ去って行くと感じるのは灯ろうですね。
前にも書きましたけど、浄土真宗の安芸門徒はお墓に灯ろうをお供えしますから
お盆を、凄く感じる事が出来ます。
私だけではないでしょうが、灯ろうをお供えする時にはお迎えする気持ちとなりますけど
片付ける時には、お別れする気持ちとなりますから何だか哀しい気持ちにもなります。
お迎えするとか帰られるのが、目に見えるわけではないですけど
私は、そんな気持ちとなってしまいますね。
多分、私の父親や御先祖様だけなら違った気持ちになれるでしょうが
娘も?と思えば、何とも言えないですね。
やっぱり、娘とは無言でなく「ただいま」とか「また来るね」と会話出来るのが一番です。
でも自然災害で家屋を失い、家族と哀しい別れをされた方に比べたら
私の哀しみなんて、大したことはないでしょうね。
それに今年も、ちゃんと同じようにお盆を迎えて過ごす事が出来ましたから
その事に感謝する気持ちを、持つのが大切かも知れません。
辛く哀しい想いを持たれる家族、一家族でも少なくなって欲しいと願いますね。
毎年ですが私、お盆が来るとか過ぎ去って行くと感じるのは灯ろうですね。
前にも書きましたけど、浄土真宗の安芸門徒はお墓に灯ろうをお供えしますから
お盆を、凄く感じる事が出来ます。
私だけではないでしょうが、灯ろうをお供えする時にはお迎えする気持ちとなりますけど
片付ける時には、お別れする気持ちとなりますから何だか哀しい気持ちにもなります。
お迎えするとか帰られるのが、目に見えるわけではないですけど
私は、そんな気持ちとなってしまいますね。
多分、私の父親や御先祖様だけなら違った気持ちになれるでしょうが
娘も?と思えば、何とも言えないですね。
やっぱり、娘とは無言でなく「ただいま」とか「また来るね」と会話出来るのが一番です。
でも自然災害で家屋を失い、家族と哀しい別れをされた方に比べたら
私の哀しみなんて、大したことはないでしょうね。
それに今年も、ちゃんと同じようにお盆を迎えて過ごす事が出来ましたから
その事に感謝する気持ちを、持つのが大切かも知れません。
辛く哀しい想いを持たれる家族、一家族でも少なくなって欲しいと願いますね。