10月8日、「世界遺産・勝連城跡」を訪ねました。城は、15世紀中頃、中国などとの交易で繁栄を誇り、琉球統一を企て、滅ぼされた阿麻和利の居城として知られています。
諸々の歴史は、為政者側の記録です。阿麻和利は、クーデターにより城主となり、国家統一を企てた逆臣と記されています。しかし、その地域では、当時、茂知附按司の圧政に苦しんでいた民を、圧政から解放し、外国や他地域との交易により、多くの富をもたらした名君として知られています。人間社会には、いろいろな側面があります。常識と考えられていることを疑い、異なった観点から捉え直すことも必要です。
勝連城(かつれんぐすく・かつれんじょう)は、沖縄県うるま市にあるグスク(城)であたる。阿麻和利の城として知られている。
城は勝連半島の南の付け根部にある丘陵に位置する。南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成されている。北城は石垣で仕切られた一から三の郭が階段状に連なり、一の郭が最も高く標高約100mの丘陵上にある。
13世紀-14世紀に茂知附按司により築城されたという。この城の最後の城主が阿麻和利である。阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球王府によって滅ぼされた。
城内からは中国、元代の陶磁器(染付)が出土しており、『おもろさうし』からも当時の繁栄をみることができる。
城壁の石は道路工事の石材などとして持ち去られたが、現在は復元工事により往時の姿を取り戻しつつある。
1972年(昭和47年)5月15日、国の史跡に指定された。2000年(平成12年)11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている(登録名称は勝連城跡)。登録されたグスクの中では最も築城年代が古いグスクとされている。
勝連城 – Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E9%80%A3%E5%9F%8E)
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