琉球王府時代、王府からの令達を伝え、貢租のために使う宿道を整備し(道に石畳を敷き、川に石橋を架け)ました。「中頭方西街道」は、首里城から浦添を経て読谷に至るルートです。今回は、中頭方西街道の「経塚の碑」「安波茶橋」を訪ねました。…… . . . 本文を読む
浦添市西原の「西原東ガー」と「洗濯ガー」を訪ねました。「西原トンネル」の上に、「うがんやま公園」があり、その入口近くに、「西原東ガー」「西原洗濯ガー」があります。「西原トンネル」は、バイパスを作る際、「うがんやま公園」内の史跡等を保護するために、道を切り開かず、トンネルにしたものと思われます。…「西原東ガー」の場合は、スペースが狭いので、「聖水」として用いる「西原東ガー」と、「洗濯」などに用いる「洗濯ガー」を使い分けるように工夫したものと思います。…… . . . 本文を読む
浦添市仲間の「仲間樋川」と「仲間ンティラ」を尋ねました。当日は、樋川上の桜がきれいでした。「仲間樋川」は「仲間の拝所群」の一つで、仲間集落の「村ガー」として大切にされてきました。地域の人々と水との関わりを知る上で大切な文化財です。…… . . . 本文を読む
マチュピチュ「発見」100年「インカ帝国展」に行きました。(2月2日(土)まで、「沖縄県立博物館・美術館」で開催)。」 展示は、「第1部インカ帝国の始まりとその性質」「第2部インカ帝国の統治」「第3部滅びるインカ、よみがえるインカ」「第4部マチュピチュへの旅」「マチュピチュを3Dで完全再現!」となっており、約160点が展示されています。…… . . . 本文を読む
1月26日(日)曇りときどき霧雨。首里城公園に行きました。同公園で、新たに「黄金御殿・寄満・近習詰所、奥書院」が開館し、記念の「首里城公園 百人御物参(再現儀式)」が行われたのです。木曳門を通り「下の御庭」に着いたのは、午後2時45分頃でした。雨のため、午前中の催しは中止されたそうです。午後は、3時開始予定です。…スタッフの話では、「正殿」前広場の「御庭」から始まり、「下の御庭」に来るのは3時20分頃だそうです。…… . . . 本文を読む
読谷村旧伊良皆村落にある「第一尚氏王統三代の陵墓」を訪ねました。1429年、当時、「北山・中山・南山」の三山に分かれていた琉球を、「尚巴志」が統一し、第一尚氏王統による琉球王国最初の統一王朝が成立しました。…第二尚氏王統に替わったとき、尚徳ゆかりの「平田子」や「屋比久子」が、第一尚氏王統の陵墓「天山陵」から遺骨を運び出し、読谷村伊良皆の「佐敷森」の岩陰に、第一尚氏の三王の遺骨を埋葬したといわれています。埋葬した平田子、屋比久子の墓も、三王の墓の近くに建てられています。…… . . . 本文を読む
南城市の通称「つきしろの街」にある、「佐敷ようどれ」を訪ねました。…「佐敷ようどれ」は、「航空自衛隊知念分屯基地」内にあります。基地入口で参拝したい旨を伝え、手続き(住所・氏名等を記入)をすると、基地内に入り、参拝することができます。体育館向かいに、小高い丘があり、その背後にあります。…「佐敷ようどれ」には、琉球王国第一尚氏、尚巴志の父である思紹(ししょう)とその家族が葬られていると伝えられており、「『ようどれ』とは夕凪(ゆうなぎ)を指す琉球語と伝えられていますが、極楽を意味するともいわれます。…… . . . 本文を読む
浦添市当山の「当山の石畳道」を訪ねました。「浦添大公園」のわきに、「当山の石畳道」の表示があります。。「首里城から浦添間切り番所をとおって宜野湾間切り番所にいたる」いわゆる、普天間街道です。浦添大公園の「憩いの広場ゾーン」から、「当山の石畳道」へ繋がっています。近くには、当山小学校があります。…… . . . 本文を読む
金武町伊芸地区のコスモス畑(水田)を訪ねました。2月末の「コスモス畑」に向けて、コスモスの生育状況を知るためです。…コスモスは、周りの草たちと競って生い茂り、つぼみをつけた株が増えています。かよわいイメージとは異なり、「たくましさ」を感じます。つぼみはだいぶふくらみ、ポツポツと、咲き出しました。…… . . . 本文を読む
本部町並里の八重岳を訪ねました。「日本一早咲き」「ひとあし、お咲きに」をキャッチフレーズに、「本部八重岳桜まつり」が開催されており、1月18日~2月2日の花見期間中、土・日に、「八重岳桜の森公園」で各種イベントが催されます。…「八重岳桜大明神」と書かれた社が設置され、「開運」と書かれたひな壇には、「良縁成就」「身体健全・病気平癒」「請願成就」「家内安全・商売繁盛」「学業成就」の五体のシーサーが鎮座しています。…八合目付近に、「三中学徒の碑」がありました。…「サクラの森公園」の案内板によると、桜開花状況は、「頂上八分、中腹七分、ふもと六分」だそうです。桜・さくら・サクラ……サクラを思いっきり堪能した一日となりました。…… . . . 本文を読む
浦添市前田にある、「玉城朝薫の墓(辺土名家)の墓」を訪ねました。「前田トンネル」のすぐ近くで、道向かいに、「沖縄国際センター JICA沖縄」があります。道路を作る際、丘陵上に文化財などがあると、トンネルを作り、文化財を保護するのです。以前から、「前田で、道を開くのに、丘を切り取らず、トンネルにしているのはなぜだろう?」と思っていましたが、「玉城朝薫の墓の墓」を訪ねることにより、「そうだったのか」と納得しました。…… . . . 本文を読む
浦添市仲間の「浦添城跡」を訪ねました。「浦添城跡」は国指定史跡で、城内の数カ所で発掘調査が行われ、城壁などの復元工事が進められています。…「浦添城跡」の手前にある「浦添グスク・ようどれ館」には、城の古写真や発掘調査成果のパネル、出土遺物などが展示され、浦添グスクと浦添ようどれの歴史を学ぶことができます。…… . . . 本文を読む
北中城村字喜舎場の「北中城中学校」裏畑で開催されている、『第5回ひまわりIN北中城』に行きました。…途中、歩道側には、「ひまわりIN北中城」の黄色の幟が立てられています。あちこちに、会場整理の人が立っていました。小学生らしい子どもたちが走っています。「ちびっこマラソン」です。…ひまわりの開花状況は6割程度です。1万平方メートルの畑に、40万本のひまわりが植えられています。畑により、開花の程度がかなり異なり、全体としては、一週間後あたりが見頃だろうと思いました。…… . . . 本文を読む
浦添市仲間の「浦添ようどれ」を訪ねました。浦添ようどれは「極楽寺」ともいわれ、英祖王が築いた琉球国中山王の陵墓です。「浦添グスク・ようどれ館」には、「浦添城跡」や「浦添ようどれ」に関する資料を展示してあり、墓室の様子を再現した一室もあるので、立ち寄って予備知識を得ると、理解が深まります。…… . . . 本文を読む
沖縄本島は、天願断層を境に、北部と中南部で、地質・植生が異なります。本島北部は、「名護層」「嘉陽層」と「今帰仁層」からなり、中南部は「島尻層」と「琉球石灰岩」からできています。北部の土壌は、「国頭マージ(酸性)」と呼ばれ、中南部の土壌は、「島尻マージ(中性から弱酸性)」と「クチャ(弱アルカリ性)」と呼ばれます。…「知花城跡」は、沖縄本島北部と中南部を区分する断層上にあるため地質学や植物学的に重要な地域です。また、勝連按司の阿麻和を討伐した鬼大城(大城賢雄)の最後の地との伝承があlり、グスクの南側斜面に、「鬼大城の墓」があります。…… . . . 本文を読む