那覇市泊、「沖縄県立泊高等学校」(那覇市泊3丁目19番地の2)の近くに、「泊外人墓地」があります。古くから、中国人、アメリカ人、イギリス人、フランス人、スウェーデン人などの外国人の墓があった所です。墓以外に、「ペルリ提督の記念碑」などもあります。墓地は現在も利用され、主に米国人が葬られています。墓地の一角には、「ゲットウ」が植栽されていました。…沖縄の歴史とその人類愛を印す記念すべき場所です。 . . . 本文を読む
1959年6月30日、嘉手納空軍所属のジェット戦闘機が、テスト飛行中にエンジントラブルを起こし、石川市立(現うるま市立)宮森小学校に墜落しました。事故当時、私は、隣の城前小学校6年生でした。犠牲者の中には、小学校3年生の級友I君もいました。宮森小学校には、「仲よし地蔵」が設けられ、毎年6月30日に、慰霊集会が行われています。今年は55年目を迎えます。…「うるま市石川会館」の右手に、「石川・宮森小ジェット機事故を語り継ぐ『写真展』主催:石川630会」の展示コーナーがあり、事故当時の「新聞」「写真」「手記」やその後の「慰霊祭」の様子などが展示されています。 . . . 本文を読む
「真玉橋」は、琉球王府時代に、首里と島尻地方を結ぶ交通の要として築かれ、元は木橋の五連橋で、中央を真玉橋といいました。その後、六連橋となり、大きく美しい曲線を持つアーチを連ね、潮切りを設けた、沖縄独特の石造文化を代表する橋でしたが、沖縄戦で破壊されました。 . . . 本文を読む
那覇市若狭の「旭ヶ丘公園」一帯は、古くから信仰の場として崇められ、景勝地としても親しまれており、「波上宮」「護国寺」「波上ビーチ」などがあります。ここにも沖縄戦の爪痕が残され、「小桜の塔」「海鳴りの像」「戦没新聞人の碑」「殉職警察職員慰霊之碑」などがあります。…「対馬丸記念館」には、沈没した学童疎開船「対馬丸」関連資料が展示されています。今年は、撃沈後70年の節目の年にあたります。26日、天皇、皇后両陛下が来県され、27日、「小桜の塔」と対馬丸記念館を訪れました。 . . . 本文を読む
「壺屋大通り」から「壺屋陶芸センター」前あたりの、道路「タイル画」を撮り、集計してみると、「魚(27)」「花(27)」「宝船(4)」「陶器(2)」「その他(4)」となり、「圧倒的に、魚や花をデザインしたものが多い」ことがわかりました。同じデザインを用いたと思われる作品で、微妙に異なっているものがあり、制作過程に想いを馳せると、興味深いものがあります。風景を描いた素敵な作品もありました。 . . . 本文を読む
「壺屋大通り」から「壺屋陶芸センター」前を通り、「壺屋やちむん通り」を散策しました。「南壺屋焼物博物館」を過ぎると、左手丘の上に、「南窯(フェーヌカマ)」が見えます。小さな路地裏に入ると、「ようこそ壺屋の路地裏へ」「壺屋すーじ小」などの表示があり、いくつかの製陶所がありました。…「壺屋町民会自治会」の入口手前に、「ビンジュルグヮー」があります。…「新垣家住宅」は、存修理工事中で、した。「壺屋やちむん通り」から「ひめゆり」通りに出る手前に、「東ヌカー」がありました。「壺屋やちむんの里」の案内もあり、「壺屋やちむんの里」には、数多くの工房(製陶所)があることがわかります。 . . . 本文を読む
「慰霊の日」に、「魂魄之塔」を訪ねた後、夕方7時頃、「平和祈念公園」を訪ねました。目当ては、「平和の光の柱」「とうろう流し」などです。「平和祈念公園案内所」左手で、「ミニライブ」をしてるのを見かけ、しばらく鑑賞しました。何かしら心に響く、メッセージ性のある、いい歌でした。…「平和の礎」に向かい、父方の刻銘板前で手を合わせ、近くに、「花のくすだま」をつるしました。…「修景池」付近で行われている、「とうろう流し」のコーナーに行きました。…池に流された「とうろう」は、それぞれの思いを乗せて、ゆっくり流れていきました。…「平和の火」のコーナーあたりから、にぎやかな音が聞こえました。「喜屋武青年団のエイサー」が始まったのです。場所を移し、「エイサー」を堪能しました。静と動のメリハリの効いた動きが見事です。…「エントランス広場」に戻り、「光の柱」を近くで鑑賞しました。…朝の「魂魄之塔」、夕方からの「平和祈念公園」と、忙しい一日でした。 . . . 本文を読む
6月23日は「慰霊の日」で、沖縄県内各地の「慰霊塔」で慰霊祭や追悼式が行われます。私は、家族で、「魂魄之塔」を訪ねました。8時頃首里を出発。この時間帯だと、渋滞もなく、スムーズに行くことができます。…「魂魄之塔」で、持参の「キクの花」「花のくすだま」を供え、祈りを捧げました。帰り道も、交差点ごとに、警察官が立っています。車中のラジオは、「6月23日、慰霊の日に、摩文仁の『平和祈念公園』で開催される『沖縄全戦没者追悼式』に安部総理が出席する」と伝えています。…そのような事とはかかわりなく、街路樹の「ホウオウボク」がきれいな花をつけていました。 . . . 本文を読む
沖縄県では、6月23日は「慰霊の日」(県の休日条例で定めた休日)で、糸満市摩文仁の平和祈念公園で、「沖縄全戦没者追悼式」が行なわれます。私は、この日、家族で、「魂魄の塔」をお参りすることにしています。…「慰霊の日」の前日、「平和祈念公園」を訪ね、「沖縄平和祈念館」で開催されている、企画展「沖縄戦への道」を見ました。その後、「平和の礎」などを回りました。この日は、ガイドさんに誘導されている修学旅行の生徒が多く見られました。礎の前では、お年寄りが、刻銘の文字を撫でながら語りかけている様子が見られました。 . . . 本文を読む
「壺屋うふシーサー」と「さいおん・うふシーサー」は、壺屋焼で作られた「兄弟の巨大シーサー」です。今回は、那覇市壺屋、「壺屋うふシーサー」前から、「ゆいレール牧志駅」近く、「さいおんスクェア」の「さいおん・うふシーサー」までのコースを、散策しました。…「さいおんスクェア」では、「フリーマーケット」が開かれていました、「さいおん・うふシーサー」の説明板に、「楽シーサー★さいおん物語」「今日、あなたにお会いできて、本当に、嬉シーサー」と書いてありました。 . . . 本文を読む
「浜崎の寺」は、健康、子宝に恵まれることの祈願所で、女シー、男シーがあります。…「クトジ御嶽」は、琉球国由来記に記されている、旅果報、航海安全を願う拝所です。…「浜川ガー」は、絶世の美女真鍋樽の頭髪を、洗髪したことで知られています。彼女の黒髪は身長の1.5倍もあり、竿にかけて洗ったという伝説があります。 . . . 本文を読む
南風原集落は、勝連城南側傾斜地の元島原にあったのですが、前浜三良(カッチンバーマー)の努力によって、現在の肥沃な地に移動したといわれています。…「親田家」の庭の隣家境に、梵字や漢字、絵文字で文字が刻まれた「刻紋石柱」が立てられています。…石垣にはめ込まれた「石敢當」に惹かれました。…南風原の人々は、「報恩社」を建てて、「カッチンバーマー」を祀っています。…「マンナカガー」の近くに、「南風原ノロ殿内」がありました。…いかにも勝連らしい名の「きむたか保育所」がありました。…南風原地区から「勝連城跡」に向かう道の両端には、「希の会」と書かれた「プランター」や「花壇」があり、きれいな花を咲かせていました。 . . . 本文を読む
「若松公園」には、「ちびっこ広場」「砂場」「テニス場」「ゲートボール場」「中央広場」「多目的広場」「展望台」などがあり、小高い丘の上に、「若松の墓」があります。…「火の神は3箇所あるが、安谷屋の人がよく行くのは、ゲートボール場の向こう側にある火の神だ。若松の母と夫人の墓は、若松の墓の側を回った箇所にあるが、危険防止のため、立ち入りが制限されている。」ということでした。 …打者の近くに棒が固定され、その上にボールを乗せ、バットでボールを打ち、ベースにかけ込んでいました。動かないボールをたたくのですから、男女・年齢にかかわりなく、誰でも楽しめそうです。……これは、野球やソフトボールの入門スポーツとして注目を浴びている、「ティーボール」と呼ばれスポーツで、全国の小学校でも体育の授業で行われているものだそうです。ティーボールは、幼児からお年寄りまで、プレーする人全員が楽しむことができるスポーツです。 . . . 本文を読む
うるま市勝連南風原集落は、かつて、勝連城南側傾斜地の元島原に発祥し、浜掟という役職にあった前浜三良の努力により、現在の肥沃な地に移動したといわれています。南風原の人々は、村づくりの大恩人として感謝し、報恩社を建てて、「カッチンバーマー」を祀っています。 . . . 本文を読む
北中城村字安谷屋の「若松公園」を訪ねました。…園内は広く、「若松の墓」がどこにあるのか見当がつかないので、公園管理室に行き、場所を尋ねると、警備の男性が、「遊具にそって右方向にどんどん行くと階段がある。その階段を上った所に若松の墓がある。道が滑りやすいので、気を付けてください」と、話してくれました。…小雨がぱらついてきたので、今回は、「若松の墓」の訪問だけにしました。 . . . 本文を読む