東御廻りのコースの一部、「ヤハラヅカサ」「浜川御嶽」「受水走水」(南城市玉城百名)を訪ねました。
01-0102-1732
ヤハラヅカサ
02-0103-1211
「ヤハラヅカサ…琉球開びゃくの神アマミキヨが、ニライカナイから上陸した際の第一歩を印した場所と伝えられます。ヤハラヅカサ(碑)は満潮時に水没し、干潮時にはその全体が現れます。浜川御嶽(はまがわうたき)とともに、国王や聞得大君(きこえおおきみ)が4月の稲穂祭に参拝したところです。南城市指定有形民俗文化財。」
03-0102-17:39
04-0103-12:13
06-0105-14:44
潮の干満により姿を変えるヤハラヅカサ。琉球開びゃくの神アマミキヨが降り立った場所といわれます。
参照(ヤハラヅカサ+浜川御嶽[ 「はまがわうたき」 南城市公式Webサイト
http://www.city.nanjo.okinawa.jp/about-nanjo/movie_ja/2012/02/post-36.html)
砂浜で憩う
砂に描いた絵と夕暮れ時の海の様子です。砂浜で、海を眺めながら、いろいろ思いにふけりました。…命を生み育ててきた海、打ち寄せて返す波、日が昇り、沈んでいく自然の営み。…富を求めた争いの耐えない社会で、人々は心の拠り所を定め、祈り、日々の生活を営み、命を繋いできました。拝所廻りをしながら、沖縄には、身近に無数の拝所があり、節目ごとに祈りを捧げながら、心の平安を得てきたことがわかりました。一神教の神とは異なるものです。…
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浜川御嶽
17-0105-1436
「市指定史跡 浜川御嶽(はまがわうたき)(神名・ヤハラヅカサ潮バナツカサの御イベ)…昔、アマミキヨ(島始の神)がギライカナイ(海の彼方の理想国)からヤハラヅカサ(前方五〇mの海中にある。ギライカナイへの遙拝所となっている。)に上陸し浜川御嶽にしばらく仮住まいをした後、今のミントングスクに、安住の地を開いたという。この地は霊域として東御廻りの拝所である。昭和五二年七月二一日指定 南城市教育委員会」
18-0103-1211
受水走水
21-0103-1215
「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)(神名・ホリスマスカキ君ガ御水御イベ)…ここは沖縄の稲作発祥の地として伝えられている。『琉球国由来記』(1713年編)によれば、阿摩美久(アマミキヨ)がギライカナイ(海の彼方の理想国)から稲の種子を持ってきて玉城親田、高マシノシカマノ田に植えはじめた。又、伝説によると昔、稲穂をくわえた鶴が暴風雨にあって新原村の「カラウカハ」という所に落ちて死んだ。種子は発芽してアマミツによって受水走水の水田(御穂田)に移植されたという。この地は東御廻りの拝所として霊域になっていて、旧正月の初午の日には、田植えの行事『親田御願』が行われている。昭和五二年七月二一日指定 南城市教育委員会」
22-0103-1215
23-0103-1215
25-0103-1256
26-0103-1215
27-0102-1756
28-0103-1215
参照(受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ) 南城市公式Webサイト
http://www.city.nanjo.okinawa.jp/about-nanjo/movie_ja/2012/02/post-35.html)
30-0102-1835
丘の上に灯りが見えました。文字が描かれています(1月2日)。
31-0102-1836
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