SH快特みやっち

旅する鉄ちゃんが気が向いた時に作品を上げるページ。

7ヶ月後の被災地・じっくり沿岸編~4日目山田線沿線編~

2012-03-07 02:10:00 | 長編
10月19日
はいはいそうですね、例によって朝食は食べれませんよ。

幕一ノ関になっとるで。




まあ、釜石までいつもの列車ですわね。

相変わらずガラガラです。
ガラガラだから3月の改正で1両減車になっちゃうね。

紅葉がベストだなぁって思いながら釜石到着。

大槌行きのバスに乗換。
ここまではいつもと一緒。
同じこと書くのもめんどい(笑)


車内から両石駅を隠し撮り(笑)
3月に行きます。

でもって、今回は鵜住居で途中下車。

駅は当然跡形もなく。

ホームへ上がろうと地下道から行こうとしたら立禁のロープが。

なんでやねんと思いながらよく見たら地下道冠水。
そりゃいかんわってことで、法面を上がってホームへ。

土台だけ残して上っ面はなくなってました。


ホーム上には袋に入ったままの真新しい中学校のジャージが。


駅前の片隅には、流されてきたのか、和泉さんの表札が残っていました。


駅前のタクシー会社の前にはバンパーだけが置き去りに。
このバンパー、MOVEかプレオか?

一本入った消防署の裏手には、津波に流された廃車体が集められていました。



やっぱりここでもうんざりしました。


半年も経つと草も生えます。
ナウシカ?


旧型のシビック。
渋いなぁ。
昔の車ってこんなになっても原形をしっかり留めとるのは流石だね。

うんざりしながら撮っていたら、地元の方に声をかけられました。
「どっから来たの?こういうの珍しい?」って言われたので、
「名古屋から来て、かくかくしかじかで」って、4月に初めて被災地に来て愕然としたこと、各地で見る同じような光景にうんざりしていること。
感じたこと、思っていることをなぜか自然に話していました。
逆にその方は、当時のことをいろいろ話してくださいました。
「また明日っから後始末大変だなあ」って思いながら逃げたら、こんなことに。
鵜住居川は、4mある堤防に6mの津波が来たそうです。
釜石の市街地は、1,200億円かけた沖堤防のおかげで、津波の到達時間を6分遅らせ、被害を7割に抑えたそうです。
7割で済んであの映像だよ・・・。
釜石港に押し寄せた波高は約8m前後なので、沖堤防が無かったら15m近くの津波が来ていたことになります。
1,200億かけて7割で済んだと思うか、1,200億もかけたのにたった3割しか抑えることができなかったと思うか。
どちらも正しいね。
7割で済んだから、釜石駅は無事だったんだと思うし。

もう一つ、悲しい話も聞きました。

消防署に併設されている防災センター。
ここでは70人もの人が亡くなったそうです。
「平地にあるにもかかわらず、防災センターなんて言うからそんなことになるんだよ」っておっしゃっていました。
うん、その通り。
女川もそう、志津川もそう、このあと出てくる大槌も、消防署や防災センターが海に近かったり、平地にあったり、過去に何度も津波の被害にあっとるんだからそれはおかしい。
志津川だって高台に防庁があれば、命を落とさずに済んだかもしれんし。
名ばかり庁舎はただの税金の無駄遣い。

最後にしっかりと手を合わさせてもらいました。

鵜住居では片岸地区にも行きたかったから、バスを一本落として歩いていきました。

まだ室内に物が散乱している建物もありました。

柱に貼ってある家族の写真、無事ってことでいいですか?

歩道には幟が。

支援に対する感謝の気持ち。
ちょうどバスが来たから一緒に。

鵜住居川の左岸には、堤防より高く積まれた瓦礫が。

分かりにくいけど、堤防の上から見た自分の目線より高いです。
てことは、津波の高さはこれぐらいだったってことか。

目的地の近くにガソリンスタンドがありました。

ここはちゃんと建物が残ってました。

目的地に到着。

片岸地区にある片岸神社。
お社は鳥居をくぐって階段を登った上にあるので、当時はここにも多くの人が避難して難を逃れました。
押し寄せた津波で鳥居は倒れてしまいました。
今建っている白木の鳥居は、地区の人たちが建てたものです。


隣にはこちらも津波で倒れた石碑。


傍らには倒壊した元の鳥居が寄せ集めてあります。

大槌湾方向。

あの日の光景は想像もできんくらい穏やかだ。

バスまでちょっと時間があるから付近を徘徊。

山田線の築堤は、所々崩壊していて歯抜け状態。
バス停の向こうには、打ち上げられた船もありました。

バスに乗って次は大槌。



バス停の横の建物は郵便局だったんだね。
ATMは隣で移動車で営業中。

でも、看板の矢印逆でっせ。


大槌小学校の前にあった歩道橋の脚と階段。
まだ残ってた。

とりあえず駅へ。

線路は全部剥がされていました。


6月にも撮ったはまゆりの乗車位置。
周りも乗車位置もきれいになっとる。


大槌町は、12時になるとお昼のサイレンの代わりにひょっこりひょうたん島の音楽が流れます。
これは、大槌湾に浮かぶ蓬莱島がモデルになっているからです。
でも、その音源は津波で行方不明になってしまいました。
今は新たに寄贈されたジャズアレンジのひょっこりひょうたん島が流れています。
新しい音源もなかなか良いですよ。
今回の大槌はそれを聞くのが目的の半分でした。

でもって今回は、赤浜地区まで行くつもりだったから、役場の方へ行ってみました。


4月にもこんな状態の建物をたくさん見たけど、今の状態はあの時とは全く違います。
あの時はどの建物を見ても、周りは一面瓦礫で、むき出しになった鉄骨には漂流物がまとわりついとったもんなぁ。


でも、辺りには粗大ゴミがたくさんありました。
奥の消防車は粗大ゴミじゃないね。


水道管から水が垂れ流し。
水は大切な資源。

少し行くと消防署がありました。
・・・。

ね、大槌もこんなだよ。
川すぐ近くだしね。
やっぱダメだよね。

消防署の手前に役場があります。

確か大槌町は町長さんが亡くなったんだよね。

このあとは、赤浜へ行ってから山田へ寄って宮古で泊まって、翌朝田老へ行く前に津軽石へ行くつもりだったけど、この日に津軽石も寄ろうと思って次のバスで山田へ行くことにしました。
てことで、旧病院前バス停まで軽ダッシュ

途中、山の斜面に墓地があったからちょっと一枚。

津波がどこまで来たか一目瞭然。


お墓の面倒が見れなくなった人は、お寺で撤去してくれるそうです。

あ、最後にはちゃんと合掌です


ギリギリバスに間に合いました。


吉里吉里で再び隠し撮り。

今回は道の駅で乗継。

時間があるからお昼にしました。

三陸産ワカメのわかめラーメン。
ラーメンにアイスコーヒーの組み合わせはつっこむな!

でもって県北バスで山田へ。

4分も遅れて来よったで。

織笠は、織笠大橋で工事の片側通行の信号待ちの間に隠し撮り。
またか!


山田駅はきれいさっぱり無くなりました。
ロータリーの真ん中の木、黒焦げになったけどちゃんと生きてるんだって。


ホームは相変わらず無惨な姿をさらしていました。

今回は港の方を歩いてみることに。


家は土台しかないですけどね。
防潮堤も壊れてしまったので、土嚢で仮堤防が作られています。


堤防のすぐ向こうは港です。
この堤防って、押し寄せた波で破壊されたのか、引き波で破壊されたのかどっちだ?

バスまでそんなに時間が無いから、街中の方へ。

6月のとは違う蔵。
やっぱり蔵は頑丈だ。


仮設交番の裏。
この木は炭化しちゃってる。


泥棒はダメです。

そろそろバスの時間だから、バス停へ。

バス停の近くには、電柱がアタマが折れたまま建っていました。

ほんとはこのまま宮古へ行くんだったけど、津軽石へ寄りました。

この時はすでに車両は撤去済みだったけど、線路は微かに砂を被っていました。
でも、パッと見津波が来たことを感じさせません。


改札口や窓は、ベニヤで目隠ししてありました。


宮古方では線路内にコスモスが。
モロ廃線跡を思わせます。


暫くすると日が暮れてきれいな夕焼け空になりました。
あ、色はいじってないからね。
ほんとこんな感じ。

1時間弱で次のバスに乗って、やっとこ宮古に到着。



この日は宮古ステーション古窯に泊まりました。
4月は沿岸は久慈しか泊まれんかったけど、今は宮古でも釜石でも泊まれます。
でもって、ここに泊まった理由は↓コレね。

楽天トラベルで、宮古市商工会議所発行の、宮古の津波の記録の写真集付きのプランがあったから。
何回見ても当時の映像や写真はすさまじい。

あ、ホテルはね、みやっち的に気に入りました。
久慈と並んで宮古の定宿になると思います。

で、マックでビックマックセット食べて、5日目へつづく。



7ヶ月後の被災地・じっくり沿岸編~5日目田老編~

2012-03-07 02:05:00 | 長編
10月20日

いつも東横インだとおにぎり・パン・味噌汁の軽いものだから、ホテルでこういう朝食は久しぶりです。

この日は田老へ行くけど、行きは11時台のバスで行くからバスの時間まで閉伊川まで行ってきました。

まずは大通。

未だに信号は復旧してません。
この先の交差点では、群馬県警が交通整理してました。

4月に来た地区。
あの飲み屋さんね。



取り壊されていました。

そして閉伊川橋梁へ。
4月はこんなだった。

↓10月。

流された桁や線路などはきれいに撤去されていました。


橋台に佇むうみねこ。
なんだか悲しげな表情。

そして、宮古大橋へ。

左側は市役所。
あの日は閉伊川の堤防を乗り越えて津波が押し寄せました。
津波が来る前には水が引くってのは間違ってるって言うけど、閉伊川の川底が見えるぐらい水が引いて10分もしないうちにどば~っと。
ちゃんと引いてからやってきます。

ちょうどいい時間になってきたから駅へ戻りますか。


小本行きのバス満員。




ほい着いた。

いやぁ~、きれいに片付いたぞ。


4月はあれほど瓦礫だらけだった観光センターの中も、すっきりきれいになっていました。


駅前もきれいになりました。


↑4月ね。
↓10月。

スッキリ。
瓦礫も堤防を越えてきた船も片付きました。

堤防の外、田老港側。

津波防災の象徴だったのに、破壊されたそれを見るのはやっぱり衝撃が大きい。

何も無くなった街を走る三鉄と県北バス。





たとえ街が無くなってしまっても、鉄道やバスが走ってるだけでホッとします。

ちょっと市街地まで行ってみることに。


診療所の周りは未だに物が散乱していました。

こうやって見ると4月のデジャヴ。

一通り見て回ったので、防潮堤を歩いて駅へ戻ることに。


↑田老港側
↓市街地側

まさか田老の街が消えるとはね、自分も思わんかったし、当然田老に住んでる人たちもそんなこと思わんかっただろうね。
震災当時田老に住んどったら、俺100%死んどったよ。
防潮堤があるから200%安心だと思っちゃうからね。
でもやっぱそれじゃあダメなんだよね。
備えがあってもとりあえず逃げる。
「てんでんこ」です。

まあ、いろいろ考えながら駅へ戻りました。

おっ、水が無くなってライトが点いた。
↓4月に来た時は真っ暗で水浸しだったもね。


宮古行きが来ました。

修学旅行生が乗るからか、2両つなぎです。
でも、前日の夜も2両だったべ?


小本からで速度制限のかかった運転時刻表。
4月からは信号が復旧するみたいだから、制限も解除されて本数も増えるみたいですな。
それに伴って、運賃も通常運賃に戻りますよ。


今は45km/hだからね。
やっぱアナログな運転台っていいね。

宮古に着いたら、切り離しをしました。

窓口には、南線で陸自が撤去作業をした際に作ったレールのオブジェがあります。
今回は忘れんと、スローガン入りエコバックを買ってきました。


相変わらずぽっぽさんは眼光鋭くいらっしゃいますな。


入口横の自販機の上には、三鉄だるまがいます。

この日は盛岡泊まりなので、今回は山田線に乗っていきました。
ローソンで弁当を買って、山田線の夕方の決め列車653Dに乗って行きます。


改札前にホームを覗いていると、構内の向こうに桁が置いてありました。

もしやと思って窓口で聞いてみたら、やっぱり。
第34閉伊川橋梁の桁でした。
夏休みまで現場にあったんだって。

山田線沿線も、紅葉はベストですな。

車内から無理矢理大峠を。
ISO3200。
かなり無理矢理。

さりげなく山田線も乗りつぶして、盛岡到着。



この日は駅前の方に泊まりました。

明日はいよいよ陸前高田です。




7ヶ月後の被災地・じっくり沿岸編~6日目陸前高田からの撤収編~

2012-03-07 02:00:00 | 長編
10月21日
最終日は陸前高田です。

が!




朝食は7時からだけど、バスは7:10だから、ア・ウ・ト
なんでハートやの。

4月に乗ってった臨時直行便は、7月で運行終了したから、今は特急盛岡大船渡線と一般路線の陸前高田住田線を乗り継いでいきます。
乗り継ぎは不便だけど、2往復あるし、有効期限なしの往復割引もあるから、プラマイゼロだね。

米田交差点で途中休憩です。

盛岡駅のバス乗り場の窓口がまだ開いてなかったから、停車中に往復券を買いました。

盛岡~世田米が2,480円で、世田米~陸前高田が700円ぐらいだったから、往復で4,000円てかなり激安だよね。

世田米駅前で鳴石団地行きに乗り換え。

10月はまだ鳴石団地が起点だったけど、今は米崎小学校が起点になってます。

4月と6月に来てるから、街の様子は分かってるんだけど、何故か陸前高田に近付いてくるとだんだん落ちつかんくなってくるのね。

でもって、今回は西側から攻め込むから、竹駒駅前で降りました。
攻め込むってあんた(笑)

待合室は取り壊されたけど、ホームと線路はなんとか残っていました。

で、竹駒と言えば、駅前のシェル石油。

建物も給油機も直って、至って普通に営業している日常の風景がありました。
良かった良かった。

良かったところで市街地方面へ。


4月はタンクローリーも埋まってた辺りね。
向こうではボランティアの人たちが作業してます。


4月の時にプーさんが泥まみれになってた辺り。
クマさんが座り込んでたのは、もうちょっと竹駒寄りね。
仮設のお店が並んでいました。

その先にあったお寺は、きれいさっぱり取り壊されていました。


4月に建物だけ残ってたローソン屋敷。



営業再開してました
ローソンの裏には、街中にあったマイアも仮設だけど営業を再開しています。

国道の反対側には、ファミマもあります。

見世前付近。

相変わらずおまわりさんが交通整理しとるけど、後ろの景色は4月から思えば随分変わりました。

線路沿いの道は進入禁止になっていたから、そのまま国道から行くことに。


復興の湯は、ひとまず役目を終えました。

酔仙酒造の敷地には、今も多くの廃車体が。


4月にも撮ったガラスの道。



瓦礫は撤去され、周りは草が生えていました。

4月に来た時はまだマンションが建っていました。

確かこの辺だよ。


線路を跨ぐ跨線橋の上では、制限標識が倒れたまま。

道路標識ってね、意外と大きいんだよ。

6月に異様だと思った電柱ね。



軽トラが埋まったままだけど、電線が張られていました。
もっと異様だぞ。

松原へ行く前に、仮設橋が架けられた気仙大橋へ。

元の位置より河口側に架けられました。
これで大型もR45経由で高田と気仙沼を行き来できるようになりました。

でもって、ようやく松原へ。

6月の時点ですでに葉が茶色くなっていたから、ダメだと思っていたけど、やっぱりダメだった。
残念だけど仕方ない。
んでも、生きていようが死んでいようが、こうしてしっかりと立ってるだけで十分ですね。

ちらっと浜辺へ。

・・・。

!!!

堤防ができとる。
6月は広田湾が見渡せたよ。


ありゃりゃ~、ってとこで駅へ向かいました。

今回も高田病院の方から行きました。


6月は木が刺さってたマンションね。


木は無くなったけど、建物はまだ残っています。
下が抜けとるから、早く解体しな危なくないかえ?

そうして駅に着くと。

6月は駅舎の脇ら辺にJRの資材が寄せ集めてあったけど、今は撤去されています。
それよりも、駅前薬局も取り壊されていました。
あれがあったから、遠くからでも駅の場所が分かったのにねぇ。
だから、この日は国道の陸橋から探しても分からんかったんだね。


駅は、折れた木の幹だけを残して、跡形もなく消えてしまいました。


少しだけ休憩をして、鳴石団地へ向かいがてら見ていきました。

駅の大船渡方。

4月は、ポイントのテコが倒れていました。
↓10月。

線路は切断されて、すぐ脇には瓦礫の山があります。


市役所の近辺は、多くの瓦礫が集められ、未だ処理されないでいます。


市役所の近くで、供えてあったお花。
その横にある板に何か書いてあります。

せつないです。


6月に鯉のぼりが泳いどった竹。
流石に10月じゃ鯉のぼりもおらんわな。

と、この辺でお時間です。
鳴石団地から仙台行きの高速バスに乗ってもいいんだけど、やっぱり始発から乗りたくなるのがバっちゃんの性。
ってことで、盛まで行くことに。

小友と細浦の様子を見るために一般路線で行きました。
様子を見るためにね。

・・・。

まあ寝たね(爆)


一般路線に乗った意味もなく、仙台行きの高速バスに乗って仙台へ。

高速路線は三陸道経由だから、細浦と小友は通らないの。

でもって、気仙大橋を渡っていきます。


橋を渡る時に車内から一枚。

次は3月に来ますよ。

一ノ関から高速に乗って、仙台に到着。


帰りは夜行高速青葉くんです。

この日は名鉄便。
フェイスカーテン付けてから初乗りだけど、合わせたわけじゃなくたまたま名鉄便だったの。

翌朝恵那峡で休憩中に新宿さんと並んだから、仕方なく一枚。



名鉄BCは15分の早着。

このあとは、大阪の教授の写真展を引っかけつつキャナルハロウィンへ。一旦稲沢へ荷物を入れ替えに戻ったら、雨ザーザー
なんでやねん。

ま、このあとは省略。

ってことで、なんとか節目を前に書き終えたぞ(^。^;A

よし、ほいじゃあ今週末また集合!
ほい、解散。




3ヶ月後の被災地~岩手沿岸縦断編~1日目陸前高田編~

2011-10-09 22:18:00 | 長編
はいはい、お待たせしておりますよ。
今回はね、6月の岩手沿岸縦断編ですよ。
震災から3ヶ月目、陸前高田は2回目の訪問です。
今回は6月18日から23日まで。
18・19のプチ合宿1日目を引っかけて、22日のGTYに合わせた半弾丸でした。

3ヶ月も経つと、復旧作業の進み具合も大きな差が出ていました。
陸前高田・大槌・山田・田老なんかはすっかり片付いてそれなりにきれいになっていたけど、細浦や両石なんかは未だ片付かない現場の実情がありました。
そして、3ヶ月目にしてようやく高田松原に残った一本松に逢うことができました。

後半かなりグダグダだけど、それじゃあ行ってみよー!

あ、長編だからPCで見てね。



6月18日
いつも通り軽子ちゃんは稲沢でお留守番。

合宿にさりげなく参加するために、わざわざスーパーライナー4号に乗っていきます。


合宿は江ノ島界隈だから、東名大和で下車。

江ノ島の件は長いからざっくり割愛
簡単に言えば、教授が雨降らせたから呑んだくれたと、まあいつもの感じ。

でもって池袋の駅前の松屋でごはん食べてから西口BTへ行って、やっとここから本題ね。
今回は行きは夜行高速けせんライナーに乗っていきました。
池袋~一ノ関・気仙沼・陸前高田・大船渡経由の釜石行きね。

震災以降は一ノ関・気仙沼線と陸前高田・大船渡・釜石線に系統分割して運行しています。
気仙沼線はマル貸車両で早くから再開していたけど、釜石線の再開には結構時間がかかりました。
気仙沼線はこの時でもマル貸車だったけど、釜石線はHDの3列シート車でした。
今回乗ったのは3列シートの釜石系統ね。

でもって、発車オ~ライネットで予約したんだけど、やっぱり出てくるのは1列目なのね。

6月19日
翌朝最初に停車するのは、陸前高田市のサンビレッジ高田です。

10分の早着。
おぉ、天気えぇなぁ、流石みやっち。
さあ、そそくさと市街地へ下りてくか。

市内へ下りてく途中で一枚。

高台のこの辺りは田植えもされて何も変わらない景色だけど、変わったのは遠くに見える市街地の様子。


中心部から西側は結構片付いているけど、東側はまだ多くの瓦礫が残っています。


線路も橋台はしっかり残っているけど、桁は対岸の堤防に打ち上げられています。
津波で流された路線て復旧する時には上路式のプレートガーター橋は無くなるんだろうねぇ。
全部PC橋梁になっちゃったら撮影ポイント減っちゃうねぇ。
宮古の閉伊川とか織笠とかね、もったいないねぇ。

その近くには切断して集められたレールが。


国道沿いには流された家。

これ2階建ての家の2階だけ。
別に1階が埋まったわけじゃあないんですよ。

さらに国道沿いの雇用促進住宅。

やっぱ画像にすると分からんなぁ。
現場でこれを見た時は圧倒されました。
5階建ての4階までがごっそり持っていかれとるわけですよ。
こっちから裏まで貫通しとるんですよ。
4階の高さって言うと15mぐらいか?想像できんよね。
津波の全てを物語っています。
取り壊さずに残してほしいなぁ。

国道を挟んだ向かいにあるのは海洋センター。

津波で流された廃車体が集められていました。

コメリがあった場所は瓦礫の仮置き場になっています。



その隣にはJAのスタンドがあったんだけど・・・。

給油機も事務所も根こそぎ持ってかれとる・・・。
耐震設計ではあるけど、津波に耐えれるかどうかは分からんわね。
石巻のスタンドが奇跡だったのかもね。

ここから少し線路の方へ行ってみました。
道はちょっと水浸し。
あれ?写真撮ってねぇ・・・、なんでやねん。

線路があったとこまで来たわいいけど・・・。

踏切が分からん。


踏切の先で切断されたレール。
レールが途切れるってやっぱり寂しい。


ここにも切断して集められたレールが。
後ろの建物は市民体育館と博物館。

線路の周辺はまたまだ瓦礫が残っていました。

この踏切は砂畑踏切だったんだ。


高田松原と広田湾を目の前に望んだキャピタルホテル。
建物は残っているけど、館内はいろんな物が散乱していました。


同じく高田松原を望んだ道の駅高田松原。
こちらも何もありません。

道の駅の向かいにはガソリンスタンドがあったけど、跡形もなくごっそり持っていかれてます。


スタンドの向こうは一面水浸し。
ここは一面田んぼだったところです。
リアスシーライナーに乗った時に駅から見たここの風景が強く印象に残ったから、陸前高田を訪れている自分がいます。
ほんとは、何度も被災地へ行く自分に自分が驚いてもいるけど、それはいろんな要素が複雑に絡み合った結果の自然なことだと思っています。

さて、一本松はすぐそこです。
でも、道がよく分からんかったから、気仙大橋の交差点で架橋工事現場の人に聞いたら、野外活動センターの方から行けると言うことだからそっちから行ってみました。
ダンプが通ると砂ぼこりが(×o×)

野外活動センターは瓦礫の仮置き場になっていました。

その瓦礫の中を歩いていくと・・・。


居ました。

3ヶ月目にしてようやく逢えました。
元気そうで何よりだけど、足下では土が海水を被っちゃったから水抜きしてます。



周りはみんな流されちゃったけど、一本だけ残ったことに自然のたくましさを感じるし、ありがたささえ感じます。


近くにはその時まで一緒に植わっていたであろう松の株や残骸が。

きれいな砂浜と穏やかな広田湾。

それがあの日牙を剥いた。
もう忘れとったんだろうねぇ、過去の惨禍を。
やっぱりね、忘れた頃にちゃんとやって来るんですよ、今回の台風15号では氾濫した庄内川もその周辺も、東海豪雨の教訓を活かせなかったから今回も痛い目にあったんだよ。
多分庄内川は次も同じことになると思うけどね。


波は普通に寄せて返すだけなのに・・・。


どれだけの歳月がかかっても、高田松原は元のきれいな松林ときれいな砂浜を取り戻してほしいです。

一本松にもごあいさつできたから、そろそろ駅へ向かいましょうかね。
高田病院の方から行くのに国道を歩いていくと、ここにも被災地の奇妙な光景が。

何もないところに建て直された新しい電柱。
いつ見ても、何回見ても気持ち悪い光景です。

高田病院の近くのマンション。

4階建てのこのマンション、3階に流されてきた木が刺さり、地盤が抜けて周りが堀のようになっています。

そうしてようやく駅に着きました。

さっぱりしてます。
ちなみに、↓4月はこんな感じ↓。


駅事務室は土台だけが残り、花が供えられていました。

あとで知ったのですが、津波で駅員さんが一人殉職していたそうです。
おそらくは駅員さんのご家族が供えられたんじゃないかと思います。

列車の来ないホームに座りこんで、いろんなことを考えながら暫しコーヒーブレイク。
あ、空き缶はちゃんと持ち帰りましたよ、当然。

約1時間半。
何も考えずただただボケ~っとしてました。
ずっといたいとこだけどこの辺でおいとますることに。

市役所の隣、市民会館はえぐられて野外ステージみたいになってました。



市役所の前には廃車体が集められていますが、ここは児童公園でした。

機能を失った市役所。



玄関脇には市民憲章があります。
ごく当たり前のことだけど、いい言葉が書いてあります。

市街地はきれいに片付いていました。

きれいで見通しが良すぎて、車校の所内コースみたい。

少し行くとこいのぼりが立っていました。

でも、吹き流しと子どもだけ。

まだ日常が残っているものも。

スティッチがいました。
待ち人来たらず・・・。

山車の足回り。

これが動く七夕の山車だと知るのは後のこと。
他の地区では流された山車もあるなか、市街地でほぼ津波直撃だったにもかかわらずよく残ったと思います。
あとからテレビで見た時はこみ上げるものがありました。

竹駒方面へ向かうのに、線路沿いから行きました。
↓4月に見た流された県交のバスね。

この時もまだありました。
あったけど、なぜか写真撮ってな~い。

踏切があったとこから線路を歩いてみることに。
線路は高い位置にあるのに、築堤やトンネル内にも瓦礫や土砂が流れ込んでいました。

線路も錆びてます。

でもって、トンネルを出てちょっと歩いたとこで事件が・・・。
なんかねぇ、右足のかかとが痛いのね。
なんじゃいって見たらね、木材から出た釘が軽くプスって。
!!!
うを~い!

高速バスとか近鉄特急とかね、ああいうおしぼりってねこういう時に役に立つのね。
とりあえず釘抜いてね、錆びた釘だからヤバイかなぁって思ったけど、取りあえずおしぼりで拭きましょうと。
ああいうおしぼりって殺菌消毒されてるからね。
血を抜きながらおしぼりで拭いて、バンドエイド貼って、はいOK。
その後もなんともなく。

ただね、駅でボケ~っとしすぎたもんだからね、また時間切れですよ。

国道のローソン付近。





↑上3枚は4月の時ね。
↓でもって今はこう。

お寺もきれいさっぱり無くなっています。
木だけはしっかり立っています。
4月は一面あらゆる物が散乱してました。

機能を失った市役所は、鳴石団地のすぐそばに仮設で建てられました。

他の自治体の支援も受けていますが、名古屋市は市職員を大量に派遣してまるごと支援をしています。
名古屋市自体は大丈夫なのか?

でもって、鳴石団地からバスに乗るんだけど、すぐそばに仮設ローソンがありました。

国道にあったローソンですか?
ちゃんとロッピーもあってどうでしょうDVDも予約できますよ。

お昼ごはんを買って大船渡行きのバスに乗ります。

今は有料に戻ったけど、この時はまだ無料運行でした。

途中の小友や細浦は未だ瓦礫で溢れていました。

盛駅に到着。
サンリアへ寄って、駅前から釜石行きのバスに乗ります。

乗り場が分からんかったけど、ロータリーから発着です。
駅舎に時刻表が貼ってあるからロータリーからなのか?
この大船渡釜石線は、この時はまだ一乗車500円だったけど、今は区間別の運賃になってます。
サンリアへ行ったのはいいんだけど、クレープ屋さんへ行くのをすっかり忘れてました。
また今度。

バスは途中、起喜来や唐丹を通るけど、それはまた今度。
多分3月だなぁ。

釜石駅に到着。

釜石も駅周辺は片付いてるんだけど、海沿いはまだ荒れ果てたままでした。

釜石ではどうしても行きたい場所があったから、ぶらぶら歩いていくことに。

川を渡って大町ら辺は、道路は片付いていたけど、建物の中はまた足の踏み場もないぐらいでした。




車はたくさん行き交うけど、通りに人影はまばらで信号も消えたまま。

西日が差してできる陰陽の感じが廃墟を思わせます。
あ、実際はね車やバスが結構行き交ってたんだけどね、雰囲気を出すために車が一台もいないタイミングで撮っただけですよ。

でも、一本裏道へ入ると・・・。



周りは高く積まれた瓦礫ばかりでした。

こんな風にしたらなんか寂しい感じだよね。


ブーさんと拳を交えてきました(笑)
今日のところはこれぐらいにしといてやりました。

で、釜石で来たかった場所はここ。

おそらく全国民が一度は目にしているであろう景色です。
岩手放送釜石支局のカメラマンが、カメラを担いでここへ避難して押し寄せる津波の映像を撮っていた場所です。

だけど、みやっち的に衝撃的だったのは押し寄せる津波の映像の直後、カメラをパンした時の映像です。

この場所。

そこにはお母さんにしがみつき泣き叫ぶ女の子が映っていました。
今まで平和に過ごしてた街がどんどん破壊されて行くんだもん。
そりゃあ子供にしたら怖いよね、大人だって怖いんだで。
多分あの映像は何年経っても忘れないと思います。
でも、今回の津波はこれぐらい高い場所に避難しんと助からんかったんだね・・・。

そろそろ日も落ちる頃だから、宿へ向かいます。

この日泊まったのは北上の東横イン。
着いたらすぐ寝たかったから、ローソンで弁当買って列車の中で食べていきました。

おや?また余分な缶があるで・・・。

てなことで、釜石線に2時間揺られて花巻に到着。

東北線に乗り換えて、ようやく北上に着きました。

チェックインしたら風呂入ってそそくさとお休みなさい。


2日目につづく。


3ヶ月後の被災地~岩手沿岸縦断編~2日目弾丸沿岸北上編~

2011-10-09 22:15:00 | 長編
6月20日

北上は6時半から朝食をやっとるけど、乗る列車が6:31だからいかんわね。

花巻で釜石線に乗り換えて来た道を戻ります。

4連だで。
また2時間長いなぁ。



釜石に着いたら、すぐ大槌行きのバスに乗り換え。


両石や鵜住居はほとんど手付かずな感じだったけど、逆に大槌はスッキリしていて、さらに、火災の被害も受けていたことを初めて知った。

沿岸地域では鉄道の復旧の目処が立たない今、バスは被災者の大切な足です。


大槌駅

・・・。
駅舎の基礎が分からん。

ホーム脇にはレールが山積み。


構内を見てみると・・・。

ホームの柵もガタガタ。
なぜか傘が掛かっとる。


快速はまゆりは朝一本だけ宮古始発の列車があります。
昔は循環急行とか普通に走ってたけど、今は唯一の優等列車です。


跨線橋の土台。
上は当然撤去済み。
ホームは崩壊してます。


跨線橋の土台の裏は完全に崩壊していて、路盤が沈下して枕木は浮いています。
周りは水溜まり。

映像で見た気仙沼の燃え方も酷かったけど、大槌も相当激しく燃えたんだと思います。









蛇口もひん曲がっていました。

今回の予定の立て方は完全に失敗でした。
大槌で1時間しか時間を取れなかったのは、完全な読み違いです。
たった1時間じゃ駅の周辺をぶらぶらして終わり。
街の様子も見たい、でも、公共交通の現状も見たい。
二兎追うものは・・・。


うしろ髪を引っ張られながら、やまだ行きのバスに乗っていきました。

バスは道の駅まで行くけど、船越駅で下車です。


次の宮古行きのバスまで時間が空くから、無謀にも山田まで歩いていくことに。

ところがだ、織笠大橋まで来たところで問題発生です。
なんと、織笠大橋に歩道が無いぢゃん!
仕方なく、駅の方から遠回りすることに。


とりあえず駅。
ホームは笠石がはがれて、線路は路盤ごと崩壊。
でも、奥の築堤の先は無事なのよ。


織笠川橋梁も桁が流されていました。
奥の築堤は崩れることなく残っています。

で、これだけ回り込んでさらに問題発生。
川を渡れん。
仕方なくさらに上流へ。
もうバス乗れんで。

なんとか渡れそうなとこを見つけてようやく対岸へ。

織笠の集落も燃えたみたいで。

車は黒焦げで、築堤にも焦げた跡がありました。


集落はほぼ全壊。
奥の高い高架橋は三陸自動車道(山田道路)。
山田線は全壊だけど、あっちは無傷、高さがものを言うんですな。

国道に向かって集落を歩いていると、竹の棒で掲げられた国旗がありました。

陸前高田にあった鯉のぼりといい、こういうのを見るとちょっとだけ気持ちが和みます。


国道の手前には信号機が倒れていました。
青が無い。

織笠大橋のバス停で時刻表を見ていると、ちょうど山田病院ら辺まで行くバスが来ました。

乗った。

山田に着いた。

なんもない。


根岸踏切だったらしい。


構内のポイントは不転換の状態。


なぜか車止めのところにデジカムが。
どんな思い出が詰まっとるんだろう?

山田駅構内も酷い状況。

ホームは完全に崩壊していて、軌道には瓦礫と土砂が、土砂って言うよりは砂利?



レールがグニャってなるってどういう風?
非現実的な光景。


ホームの上屋も燃えてボロボロ。
駅舎も黒焦げ。
大槌もそうだったけど、なんか街全体が空爆を受けたみたいな感じ。
爆風でレールが曲がったって言うんなら納得だけど、そうじゃないし。

駅舎内。



券売機だけは残っているけど、事務室も待合室も足の踏み場がないぐらい物が散乱しています。

宮古方の構内の外れ。

構内は撤去、本線は残し。
てことは、今のところ山田町付近の線形を変更するつもりはないってことだね。
沿岸地域の路線は、ほとんどが街の復興計画が決まらないからなかなか復旧作業ができんのだよね。
その点八戸線沿線は、自治体と協議した結果、早々に移転計画無しの結論に至ったから早期の全線復旧へと進むことになったわけですよ。
沿岸地域での全線復旧第一号になりますな。

バスの時間までまだあるから、街をぶらぶらすることに。
国道から見ると駅の周りは何もないです。


どこもそうだけど、蔵だけはしっかり残ってるのね。

地震で揺れても、津波が来ても、火事で燃えても、それでも何もなかったかのようにどっしりと構えています。

バス停の近くにある山田交番。

中は物が散乱していました。
今は役場のすぐ近くに仮設交番があります。

交番があるだけで安心できますな。


ちょっと遅れてきたバスに乗って宮古へ行きます。


遅れてきたのに宮古には定着。
これから八戸まで弾丸で縦断です。
みどりの窓口で久慈から先のきっぷを買ってから三鉄へ。

まだ鯉のぼり泳いどるで。

券売機が使えるようになってます。

待合室には鋭い眼光で三鉄の未来を見据える「お鷹ぽっぽ」がいます。

笹野一刀彫職人の戸田寒風さんから贈られたそうです。
コシアブラという木だそうで。
いやぁ、堂々としていらっしゃる。

宮古にも2両停まってます。

田老にも寄りたかったけど、今日は小本まで直行です。


小本から県北観光の臨時バスで野田まで行きます。

なんだかんだで野田には定着したから50分も待ちぼうけ。

三鉄の駅はきれいな花がいっぱいですな。

アテンダントさんがこまめに手入れされてるたまものです。


夕焼け小焼け。


みやっちが乗ってなかったら高校生だけでした。
でもって久慈から階上まで代行バスです。

満席。


階上から列車に乗り換えて八戸へ。
3両だけどガラガラ。

この日は八戸の東横インで泊まり。



3日目につづく。