10月19日
はいはいそうですね、例によって朝食は食べれませんよ。
幕一ノ関になっとるで。
まあ、釜石までいつもの列車ですわね。
相変わらずガラガラです。
ガラガラだから3月の改正で1両減車になっちゃうね。
紅葉がベストだなぁって思いながら釜石到着。
大槌行きのバスに乗換。
ここまではいつもと一緒。
同じこと書くのもめんどい(笑)
車内から両石駅を隠し撮り(笑)
3月に行きます。
でもって、今回は鵜住居で途中下車。
駅は当然跡形もなく。
ホームへ上がろうと地下道から行こうとしたら立禁のロープが。
なんでやねんと思いながらよく見たら地下道冠水。
そりゃいかんわってことで、法面を上がってホームへ。
土台だけ残して上っ面はなくなってました。
ホーム上には袋に入ったままの真新しい中学校のジャージが。
駅前の片隅には、流されてきたのか、和泉さんの表札が残っていました。
駅前のタクシー会社の前にはバンパーだけが置き去りに。
このバンパー、MOVEかプレオか?
一本入った消防署の裏手には、津波に流された廃車体が集められていました。
やっぱりここでもうんざりしました。
半年も経つと草も生えます。
ナウシカ?
旧型のシビック。
渋いなぁ。
昔の車ってこんなになっても原形をしっかり留めとるのは流石だね。
うんざりしながら撮っていたら、地元の方に声をかけられました。
「どっから来たの?こういうの珍しい?」って言われたので、
「名古屋から来て、かくかくしかじかで」って、4月に初めて被災地に来て愕然としたこと、各地で見る同じような光景にうんざりしていること。
感じたこと、思っていることをなぜか自然に話していました。
逆にその方は、当時のことをいろいろ話してくださいました。
「また明日っから後始末大変だなあ」って思いながら逃げたら、こんなことに。
鵜住居川は、4mある堤防に6mの津波が来たそうです。
釜石の市街地は、1,200億円かけた沖堤防のおかげで、津波の到達時間を6分遅らせ、被害を7割に抑えたそうです。
7割で済んであの映像だよ・・・。
釜石港に押し寄せた波高は約8m前後なので、沖堤防が無かったら15m近くの津波が来ていたことになります。
1,200億かけて7割で済んだと思うか、1,200億もかけたのにたった3割しか抑えることができなかったと思うか。
どちらも正しいね。
7割で済んだから、釜石駅は無事だったんだと思うし。
もう一つ、悲しい話も聞きました。
消防署に併設されている防災センター。
ここでは70人もの人が亡くなったそうです。
「平地にあるにもかかわらず、防災センターなんて言うからそんなことになるんだよ」っておっしゃっていました。
うん、その通り。
女川もそう、志津川もそう、このあと出てくる大槌も、消防署や防災センターが海に近かったり、平地にあったり、過去に何度も津波の被害にあっとるんだからそれはおかしい。
志津川だって高台に防庁があれば、命を落とさずに済んだかもしれんし。
名ばかり庁舎はただの税金の無駄遣い。
最後にしっかりと手を合わさせてもらいました。
鵜住居では片岸地区にも行きたかったから、バスを一本落として歩いていきました。
まだ室内に物が散乱している建物もありました。
柱に貼ってある家族の写真、無事ってことでいいですか?
歩道には幟が。
支援に対する感謝の気持ち。
ちょうどバスが来たから一緒に。
鵜住居川の左岸には、堤防より高く積まれた瓦礫が。
分かりにくいけど、堤防の上から見た自分の目線より高いです。
てことは、津波の高さはこれぐらいだったってことか。
目的地の近くにガソリンスタンドがありました。
ここはちゃんと建物が残ってました。
目的地に到着。
片岸地区にある片岸神社。
お社は鳥居をくぐって階段を登った上にあるので、当時はここにも多くの人が避難して難を逃れました。
押し寄せた津波で鳥居は倒れてしまいました。
今建っている白木の鳥居は、地区の人たちが建てたものです。
隣にはこちらも津波で倒れた石碑。
傍らには倒壊した元の鳥居が寄せ集めてあります。
大槌湾方向。
あの日の光景は想像もできんくらい穏やかだ。
バスまでちょっと時間があるから付近を徘徊。
山田線の築堤は、所々崩壊していて歯抜け状態。
バス停の向こうには、打ち上げられた船もありました。
バスに乗って次は大槌。
バス停の横の建物は郵便局だったんだね。
ATMは隣で移動車で営業中。
でも、看板の矢印逆でっせ。
大槌小学校の前にあった歩道橋の脚と階段。
まだ残ってた。
とりあえず駅へ。
線路は全部剥がされていました。
6月にも撮ったはまゆりの乗車位置。
周りも乗車位置もきれいになっとる。
大槌町は、12時になるとお昼のサイレンの代わりにひょっこりひょうたん島の音楽が流れます。
これは、大槌湾に浮かぶ蓬莱島がモデルになっているからです。
でも、その音源は津波で行方不明になってしまいました。
今は新たに寄贈されたジャズアレンジのひょっこりひょうたん島が流れています。
新しい音源もなかなか良いですよ。
今回の大槌はそれを聞くのが目的の半分でした。
でもって今回は、赤浜地区まで行くつもりだったから、役場の方へ行ってみました。
4月にもこんな状態の建物をたくさん見たけど、今の状態はあの時とは全く違います。
あの時はどの建物を見ても、周りは一面瓦礫で、むき出しになった鉄骨には漂流物がまとわりついとったもんなぁ。
でも、辺りには粗大ゴミがたくさんありました。
奥の消防車は粗大ゴミじゃないね。
水道管から水が垂れ流し。
水は大切な資源。
少し行くと消防署がありました。
・・・。
ね、大槌もこんなだよ。
川すぐ近くだしね。
やっぱダメだよね。
消防署の手前に役場があります。
確か大槌町は町長さんが亡くなったんだよね。
このあとは、赤浜へ行ってから山田へ寄って宮古で泊まって、翌朝田老へ行く前に津軽石へ行くつもりだったけど、この日に津軽石も寄ろうと思って次のバスで山田へ行くことにしました。
てことで、旧病院前バス停まで軽ダッシュ
途中、山の斜面に墓地があったからちょっと一枚。
津波がどこまで来たか一目瞭然。
お墓の面倒が見れなくなった人は、お寺で撤去してくれるそうです。
あ、最後にはちゃんと合掌です
ギリギリバスに間に合いました。
吉里吉里で再び隠し撮り。
今回は道の駅で乗継。
時間があるからお昼にしました。
三陸産ワカメのわかめラーメン。
ラーメンにアイスコーヒーの組み合わせはつっこむな!
でもって県北バスで山田へ。
4分も遅れて来よったで。
織笠は、織笠大橋で工事の片側通行の信号待ちの間に隠し撮り。
またか!
山田駅はきれいさっぱり無くなりました。
ロータリーの真ん中の木、黒焦げになったけどちゃんと生きてるんだって。
ホームは相変わらず無惨な姿をさらしていました。
今回は港の方を歩いてみることに。
家は土台しかないですけどね。
防潮堤も壊れてしまったので、土嚢で仮堤防が作られています。
堤防のすぐ向こうは港です。
この堤防って、押し寄せた波で破壊されたのか、引き波で破壊されたのかどっちだ?
バスまでそんなに時間が無いから、街中の方へ。
6月のとは違う蔵。
やっぱり蔵は頑丈だ。
仮設交番の裏。
この木は炭化しちゃってる。
泥棒はダメです。
そろそろバスの時間だから、バス停へ。
バス停の近くには、電柱がアタマが折れたまま建っていました。
ほんとはこのまま宮古へ行くんだったけど、津軽石へ寄りました。
この時はすでに車両は撤去済みだったけど、線路は微かに砂を被っていました。
でも、パッと見津波が来たことを感じさせません。
改札口や窓は、ベニヤで目隠ししてありました。
宮古方では線路内にコスモスが。
モロ廃線跡を思わせます。
暫くすると日が暮れてきれいな夕焼け空になりました。
あ、色はいじってないからね。
ほんとこんな感じ。
1時間弱で次のバスに乗って、やっとこ宮古に到着。
この日は宮古ステーション古窯に泊まりました。
4月は沿岸は久慈しか泊まれんかったけど、今は宮古でも釜石でも泊まれます。
でもって、ここに泊まった理由は↓コレね。
楽天トラベルで、宮古市商工会議所発行の、宮古の津波の記録の写真集付きのプランがあったから。
何回見ても当時の映像や写真はすさまじい。
あ、ホテルはね、みやっち的に気に入りました。
久慈と並んで宮古の定宿になると思います。
で、マックでビックマックセット食べて、5日目へつづく。
はいはいそうですね、例によって朝食は食べれませんよ。
幕一ノ関になっとるで。
まあ、釜石までいつもの列車ですわね。
相変わらずガラガラです。
ガラガラだから3月の改正で1両減車になっちゃうね。
紅葉がベストだなぁって思いながら釜石到着。
大槌行きのバスに乗換。
ここまではいつもと一緒。
同じこと書くのもめんどい(笑)
車内から両石駅を隠し撮り(笑)
3月に行きます。
でもって、今回は鵜住居で途中下車。
駅は当然跡形もなく。
ホームへ上がろうと地下道から行こうとしたら立禁のロープが。
なんでやねんと思いながらよく見たら地下道冠水。
そりゃいかんわってことで、法面を上がってホームへ。
土台だけ残して上っ面はなくなってました。
ホーム上には袋に入ったままの真新しい中学校のジャージが。
駅前の片隅には、流されてきたのか、和泉さんの表札が残っていました。
駅前のタクシー会社の前にはバンパーだけが置き去りに。
このバンパー、MOVEかプレオか?
一本入った消防署の裏手には、津波に流された廃車体が集められていました。
やっぱりここでもうんざりしました。
半年も経つと草も生えます。
ナウシカ?
旧型のシビック。
渋いなぁ。
昔の車ってこんなになっても原形をしっかり留めとるのは流石だね。
うんざりしながら撮っていたら、地元の方に声をかけられました。
「どっから来たの?こういうの珍しい?」って言われたので、
「名古屋から来て、かくかくしかじかで」って、4月に初めて被災地に来て愕然としたこと、各地で見る同じような光景にうんざりしていること。
感じたこと、思っていることをなぜか自然に話していました。
逆にその方は、当時のことをいろいろ話してくださいました。
「また明日っから後始末大変だなあ」って思いながら逃げたら、こんなことに。
鵜住居川は、4mある堤防に6mの津波が来たそうです。
釜石の市街地は、1,200億円かけた沖堤防のおかげで、津波の到達時間を6分遅らせ、被害を7割に抑えたそうです。
7割で済んであの映像だよ・・・。
釜石港に押し寄せた波高は約8m前後なので、沖堤防が無かったら15m近くの津波が来ていたことになります。
1,200億かけて7割で済んだと思うか、1,200億もかけたのにたった3割しか抑えることができなかったと思うか。
どちらも正しいね。
7割で済んだから、釜石駅は無事だったんだと思うし。
もう一つ、悲しい話も聞きました。
消防署に併設されている防災センター。
ここでは70人もの人が亡くなったそうです。
「平地にあるにもかかわらず、防災センターなんて言うからそんなことになるんだよ」っておっしゃっていました。
うん、その通り。
女川もそう、志津川もそう、このあと出てくる大槌も、消防署や防災センターが海に近かったり、平地にあったり、過去に何度も津波の被害にあっとるんだからそれはおかしい。
志津川だって高台に防庁があれば、命を落とさずに済んだかもしれんし。
名ばかり庁舎はただの税金の無駄遣い。
最後にしっかりと手を合わさせてもらいました。
鵜住居では片岸地区にも行きたかったから、バスを一本落として歩いていきました。
まだ室内に物が散乱している建物もありました。
柱に貼ってある家族の写真、無事ってことでいいですか?
歩道には幟が。
支援に対する感謝の気持ち。
ちょうどバスが来たから一緒に。
鵜住居川の左岸には、堤防より高く積まれた瓦礫が。
分かりにくいけど、堤防の上から見た自分の目線より高いです。
てことは、津波の高さはこれぐらいだったってことか。
目的地の近くにガソリンスタンドがありました。
ここはちゃんと建物が残ってました。
目的地に到着。
片岸地区にある片岸神社。
お社は鳥居をくぐって階段を登った上にあるので、当時はここにも多くの人が避難して難を逃れました。
押し寄せた津波で鳥居は倒れてしまいました。
今建っている白木の鳥居は、地区の人たちが建てたものです。
隣にはこちらも津波で倒れた石碑。
傍らには倒壊した元の鳥居が寄せ集めてあります。
大槌湾方向。
あの日の光景は想像もできんくらい穏やかだ。
バスまでちょっと時間があるから付近を徘徊。
山田線の築堤は、所々崩壊していて歯抜け状態。
バス停の向こうには、打ち上げられた船もありました。
バスに乗って次は大槌。
バス停の横の建物は郵便局だったんだね。
ATMは隣で移動車で営業中。
でも、看板の矢印逆でっせ。
大槌小学校の前にあった歩道橋の脚と階段。
まだ残ってた。
とりあえず駅へ。
線路は全部剥がされていました。
6月にも撮ったはまゆりの乗車位置。
周りも乗車位置もきれいになっとる。
大槌町は、12時になるとお昼のサイレンの代わりにひょっこりひょうたん島の音楽が流れます。
これは、大槌湾に浮かぶ蓬莱島がモデルになっているからです。
でも、その音源は津波で行方不明になってしまいました。
今は新たに寄贈されたジャズアレンジのひょっこりひょうたん島が流れています。
新しい音源もなかなか良いですよ。
今回の大槌はそれを聞くのが目的の半分でした。
でもって今回は、赤浜地区まで行くつもりだったから、役場の方へ行ってみました。
4月にもこんな状態の建物をたくさん見たけど、今の状態はあの時とは全く違います。
あの時はどの建物を見ても、周りは一面瓦礫で、むき出しになった鉄骨には漂流物がまとわりついとったもんなぁ。
でも、辺りには粗大ゴミがたくさんありました。
奥の消防車は粗大ゴミじゃないね。
水道管から水が垂れ流し。
水は大切な資源。
少し行くと消防署がありました。
・・・。
ね、大槌もこんなだよ。
川すぐ近くだしね。
やっぱダメだよね。
消防署の手前に役場があります。
確か大槌町は町長さんが亡くなったんだよね。
このあとは、赤浜へ行ってから山田へ寄って宮古で泊まって、翌朝田老へ行く前に津軽石へ行くつもりだったけど、この日に津軽石も寄ろうと思って次のバスで山田へ行くことにしました。
てことで、旧病院前バス停まで軽ダッシュ
途中、山の斜面に墓地があったからちょっと一枚。
津波がどこまで来たか一目瞭然。
お墓の面倒が見れなくなった人は、お寺で撤去してくれるそうです。
あ、最後にはちゃんと合掌です
ギリギリバスに間に合いました。
吉里吉里で再び隠し撮り。
今回は道の駅で乗継。
時間があるからお昼にしました。
三陸産ワカメのわかめラーメン。
ラーメンにアイスコーヒーの組み合わせはつっこむな!
でもって県北バスで山田へ。
4分も遅れて来よったで。
織笠は、織笠大橋で工事の片側通行の信号待ちの間に隠し撮り。
またか!
山田駅はきれいさっぱり無くなりました。
ロータリーの真ん中の木、黒焦げになったけどちゃんと生きてるんだって。
ホームは相変わらず無惨な姿をさらしていました。
今回は港の方を歩いてみることに。
家は土台しかないですけどね。
防潮堤も壊れてしまったので、土嚢で仮堤防が作られています。
堤防のすぐ向こうは港です。
この堤防って、押し寄せた波で破壊されたのか、引き波で破壊されたのかどっちだ?
バスまでそんなに時間が無いから、街中の方へ。
6月のとは違う蔵。
やっぱり蔵は頑丈だ。
仮設交番の裏。
この木は炭化しちゃってる。
泥棒はダメです。
そろそろバスの時間だから、バス停へ。
バス停の近くには、電柱がアタマが折れたまま建っていました。
ほんとはこのまま宮古へ行くんだったけど、津軽石へ寄りました。
この時はすでに車両は撤去済みだったけど、線路は微かに砂を被っていました。
でも、パッと見津波が来たことを感じさせません。
改札口や窓は、ベニヤで目隠ししてありました。
宮古方では線路内にコスモスが。
モロ廃線跡を思わせます。
暫くすると日が暮れてきれいな夕焼け空になりました。
あ、色はいじってないからね。
ほんとこんな感じ。
1時間弱で次のバスに乗って、やっとこ宮古に到着。
この日は宮古ステーション古窯に泊まりました。
4月は沿岸は久慈しか泊まれんかったけど、今は宮古でも釜石でも泊まれます。
でもって、ここに泊まった理由は↓コレね。
楽天トラベルで、宮古市商工会議所発行の、宮古の津波の記録の写真集付きのプランがあったから。
何回見ても当時の映像や写真はすさまじい。
あ、ホテルはね、みやっち的に気に入りました。
久慈と並んで宮古の定宿になると思います。
で、マックでビックマックセット食べて、5日目へつづく。