SH快特みやっち

旅する鉄ちゃんが気が向いた時に作品を上げるページ。

ワゴンR・テイクオフ?

2007-08-31 03:34:49 | 戦争と戦争遺跡
さあさあ今日で沖縄もおさらばですよ。ってことでホテルで朝食を食べて10時前にチェックアウトしましてね、まずはすぐ近くにある対馬丸記念館へ行ったのですよ。でもね、ホテルの駐車場から出るのに一苦労(+o+)
そいで対馬丸記念館に着いたのが10:10頃なんですよ。
ここは2階に入口がありましてね、入って展示室へ行くとまず目につくのがプロジェクターで壁に映し出される生存者の証言映像です。この対馬丸という船はね、地上戦を展開する沖縄から本土へ疎開するための輸送船で、乗っていた人のほとんどが小学生ですが、一部の一般の家族も乗っていたので、死亡者の中には0才の赤ちゃんもいます。
航行時の船団は対馬丸ともう1隻の輸送船に護衛艦3隻が付く5隻の船団でした。ですが、対馬丸は大正時代に建造された船なので、他の船に比べると性能はかなり劣りました。実際は対馬丸は船団に付いて行くのがやっとという状況で、敵艦の魚雷攻撃を受けても思うように回避行動ができず、あえなく轟沈したわけです。対馬丸は元々貨物船だったので、ちゃんとした船室もなく児童たちは換気の悪い船倉で過ごしていたそうです。

1階に降りると2つのジオラマが組んであります。1つは対馬丸の船倉、もう1つは当時の教室です。うちのじいちゃんは戦前から教師をしていましたのでね、戦争中でも招集令状がくることはなかったのですがね、ここで教室のセットを見たとき、じいちゃんもこんな教室で授業をやってたんかなぁって思いました。
そんなことも思いながら1周して外に出ましたらね、すでに11時半・・・。あぁダメですなぁ、こういう資料とかを見だすと時間を忘れて見いってしまいますからなぁ。てことでお次は読谷か平和祈念公園かで迷ってナビで調べたら、平和祈念公園は55分、読谷は90分、普通なら平和祈念公園へ行きますけどね、あそこは資料館が2つあってとても14時返車は無理なのでね、読谷なら飛行場跡だから滑走路と誘導路を撮るだけだからこっちにしようってことで、ナビをセットしていざ出発です。
記念館を出てから泊港に架かる橋を渡ったんですけどね、すんごい勾配なんですよ。でね、登りはじめてすぐにキックダウンしたんですけどね、それでもダメでベタ踏みしたけどやっぱり唸りまくりでした。もうこのまま空飛んでくんじゃないかってぐらいですよ。そいでそのまま那覇新港の手前で信号を右折するんですけどね、右折車は6台ぐらいしかいないのに3回ぐらい切られたんですよ。でね、すごいのはその先なんですよ。R58の交差点で左折するんですけどね、・・・出ました、左・直レーン。相変わらず先頭が直進車なのはいいんですけどね、2台目がすごかった。あのね、トレーラ車だからね隙間からヒョイって曲がることができないんですよ、結局先頭の車が前に出てトレーラ車が行ったら、後続が雪崩の如く全部左折して自分も左折したんですよ。やっぱりね沖縄の交通はおかしいね。てゆうか普通は矢印無しか左折専用レーンにするだろ?
そのままR58を普天間のエアベース付近まで走ってったけど、あまりにも混どるから西原から高速に乗ることにして曲がってったんですがね、ちょっと道幅の狭い道だったんですよ。でね、左カーブで対向車が行った後に右からタクシーが飛び出してきたんですよ、ブレーキ踏んでね、初めてプーって鳴らしましたよ。んでね、あまりにもムカついたから、ちとニュートラ入れてふかしてあおってやったのですがね、それでもイライラするので高速で110km/hでブッ飛ばしてやったら、ん~すっきり爽快!でもノンターボで110km/hはきつい・・・。
そいで沖縄南で降りましてね、嘉手納エアベースをぐる~ってまわって行きましてね、結局読谷飛行場跡には1時間で着いたので誘導路跡と滑走路跡をこれまた離陸するんじゃねぇかってぐらい爆走したのですよ。

↑こっちが誘導路で↓こっちが滑走路ね。

てことで撮って走ったので帰ることにして、帰りはひたすらR58を走っていったのです。んでね、ずう~っと3車線なのでね、ほとんど右側を走っていたんですよ。そしたらね途中で3台がヨコイチでどっこも抜けないんですよ、したらね左が抜けて後ろがいなかったからぐわ~って初めて名古屋走りしたのですよ。あとね、信号で先頭で停まった時にね隣りにユーノスがいたんですよ、だからね、もちろんキーンて行くと思うでしょ?うんにゃ、甘かった・・・。こっちはねノンターボだからをりゃ~って行くでしょ、んでふと横を見てもユーノスがいないんですよ。どこ行ったかというとね、バックミラーを見たら遥か後方にいるんですよ。・・・。ほんとにユーノスかい?って思いましたけどね。
んでね、那覇市内に入るとラッシュでもないのに渋滞してるんですよ、なんかね常に渋滞してるらしいんですよ。そいで渋滞の間を2輪がウロチョロしてうっとおしいし、後ろの車は停まる度に車間空けずにぴた~ってくっついてうざいしね、そういうやつはミッションで坂道発進エンストの刑です。でもって途中のエネオスで給油して営業所に戻ったのですよ。リッター138円でした。んで今回の走行㌔はね・・・、わかりません。なぜかって?普通営業所で返車の手続きしたら領収書をもらうんですけどね、なぜか受取ったのは貸渡証・・・、???なぜ?∑(?Д?)多分今回は160㌔ぐらいですよ。
そうして送迎バスで空港へと行きましてね、とりあえず荷物はロッカーにほってカメラバッグだけ持って出かけたのです。
どこへ行ったかといいますとね、中華航空機の残骸を見に行ったのですよ。ほんと中華航空機はええ加減にせぇって感じですよね。着陸に失敗してあお向けになったり飛行中に空中分解って何?って感じですよね。
国際線ターミナルの先かANA側の展望デッキから丸見えです。

↑は国際線ターミナルの先で、↓はANAの出発ロビーからの画像です。

さてさて、散々飛行機を撮りましたのでね、ちょっとゆいレールに乗りに行ったのですよ。空港駅で発車待ちしてましたらね、急に空が暗くなったかと思ったらいきなりスコールに遭いましてね、かと思ったらすぐ止んじゃうしね、わかりませんなぁ。
てことでこれから鹿児島へ向かいますのでね、そろそろ空港に戻りますよ。チェックインして荷物を預けてからお土産を買って、手荷物検査場を通過して出発ロビーへ歩いてましたらね、使用機材の延着で出発が10分遅れるということなのでちゃっかり沖縄そばを食べて行きました。
機材はエアネクストの735で座席は8Aなんですけどね、ちょうどエンジンの真横だったんですよ。

離陸して上に上がりましたらね、夕日がとても綺麗でした。そして桜島も綺麗に見えて鹿児島空港に南側から着陸しましたよ。そしてこっちでもニッポンレンタカーさんで予約をしてますのでね、手荷物を受取ってから空港営業所に電話して送迎をお願いしたのですがね、うっかり送迎車の場所を聞くのを忘れましてね、あっちへウロウロこっちへウロウロしてましたらね、営業所から電話がかかってきましてね、指定車乗降場へ来て下さいってことで無事営業所へ着いたんですよ。
でもね、営業所に着いたら事件ですよ、前代未聞級じゃないですかね?KAクラスで予約を入れていたんですよ、KAとBHは料金が同じなんですよ。でね、受付のお姉さんが言った衝撃の一言はね、軽でご予約頂いてますが全部出てまして、同じ料金で後ろに停めてある普通車でもよろしいでしょうか?ってオイオイ。と思いながらもいいですよと、ということで今回の車はスズキのシボレークルーズです。そして出発点呼をして出発しましてね、とりあえず下道で鹿児島向かいましてね、姶良の手前で日豊本線と並走する道に出たのですよ。途中で本屋へ寄ってまたまた地図を買いましてね、ひた走って竜ヶ水付近を走ってましたらね、急にバケツをひっくり返した雨が降ってきましてね、ワイパー最速でもおっつかんぐらい降っててね、でもね、仙巌園を過ぎて少し行ったらねもう止んでるんですよ、しかも路面はドライなんだよ。で、みずほ銀行と西駅に寄ってから加世田方面に向かったんですけどね、まあとりあえずいろいろありましてね、ええもちろん続きはまた次回ですよ。


といったところで次回も楽しみにお待ちくだされ。
では解散!

南部戦跡

2007-08-30 00:53:26 | 戦争と戦争遺跡
ということで旧海軍司令部壕へと向かったんですよ。
バンヤンからはだいたい30分ちょっとぐらいで行けるんですよ。でもね、ナビがアホなんですなぁ、あのね、GPSがちょっとずれてましてね、曲がらないかんとこでそこを通過する時にまもなく左折ですとかね・・・。遅ーよ・・・。おかげで司令部壕へ行くまで1時間近くかかりました。この先が思いやられますなぁ・・・。

旧海軍司令部壕は豊見城の丘に掘られた地下要塞です。丘の上からの見晴らしはとても良かったです、でも62年前はこの景色が一変して焼け野原だったと思います。
資料室が併設されていて、そちらを見てから司令部壕内へ入ります。言ってみれば資料室はウォーミングアップみたいなものですな。壕の入口ではなぜか自然に敬礼をしてました。壕全体の長さは450mあるのですが、公開されているのはそのうちの2/3にあたる300m程です。
中には司令官室・作戦室など多くの部屋がありましてね、その中に太田司令官が自決した部屋もあり、当時の状態で保存・公開されているので手榴弾の破片が飛び散った跡などがしっかり残っているのですよ。そして奥の狭い通路では露天掘りでなぜか水が漏れていましてね、当時の状況を感じることができ病傷兵がいたり他の将兵がいたりと言うような雑然とした光景が自然と目の前に浮かんできたのですよ。
そして出口へ向かい、外の光が見えてきて外へ出て戦火ではない平和な景色を見たときはなんか嬉しくて涙が出そうでしたよ。そして出口ではこれまた自然と合掌していましたね。最初っから重かったです、だからね、写真撮るの忘れてましてね・・・、ん~重い。
そんな重い空気の中お次は喜屋武岬へと行きましてね、ここは沖縄戦も行き詰った後期の頃、追詰められた兵士や多くの住民がこの岬から身投げをした場所です。
で、糸満を通って行くんですけどね、いやぁ~長い道のりだった。なんせ車線の幅がちと狭いんですなぁ、あのね、ダンプとかがね道幅ギリギリでライン踏みそうなんですよ。でね、いい風に言えばみんなの~んびりなんですけどね、まあようするにトロイんですよ。でもね、右折する時だけはサッと行くんですなぁ、普通ね、対向車との間隔が30mぐらいしかないのに曲がるかい?30mってね、50km/h以上で走ってたらねこれ完璧事故ですよ。
あのね本土のみなさんね、黄色い警戒標識でね事故多発って言う標識見たことあります?衝突をイメージさせる画に事故多発って書いてあるんですよ。ねぇ本土じゃ見たことないよね。そりゃねあんな運転じゃあっても当たり前かぁって思いますけどね、標識見たとき一瞬目を疑いましたからね。
まあそんなこんなで喜屋武岬に着きましたよ。

ここは岬に平和の塔が建っているだけなんですよ、でもね、この断崖で逃げ場が無くなれば選択肢は無いかもしれませんね・・・。景色はとても綺麗なところです、でもそんな状況じゃないですよね、こんな断崖で追詰められれば誰でも身を投げたくなるのだと思います。こんな悲劇さえなければごく普通の景色のいい岬なんですけどね・・・。
でね、ここへ来る道は狭くて周りが草が生えてて見通しがきかないので数箇所カーブミラーがあるんですけどね、見にくくてどれもあんまり役に立たないんですよ。おまけに一番岬よりのミラーは鏡の部分が剥がれてミラーの役目を果たしてないしね・・・。
でもってお次はショートカットをしつつひめゆりの塔へ参りますよ。
でね、ひめゆりの塔に着いたのが14:45頃なんですよ。だから16時までには余裕で平和祈念公園へ行ける予定だったので、そう思いながらひめゆりの塔を見に行ったのですよ。

でね、みなさんの中にはひめゆりの塔が奥に写っている慰霊塔だと思っている人がほとんどじゃないですか?あのね、ひめゆりの塔ってのはね手前に写っている小さな石碑なんですよ。戦後の混乱期の物資が乏しい中で建てられたようでこのような小さな塔になったらしいのです。供養するのに大きい小さいなんて関係ありませんよね、大切なのは気持ちです。そうして資料館へ入りましたらね、今回は行けなかった南風原の陸軍病院壕の実物大ジオラマが作られていたのですよ。そして、館内ではひめゆり学徒隊の生存者の方が当時の証言者として語り部をしているんですよ。

その証言を後ろの方から聞いていたんですけどね、体験した人が語ることなので生々しくてとても聞くに堪えないもので涙を堪えながら聞いてました。でね、その方が米軍のこの壕へ最後の砲撃を開始する直前のことを語っていた時にね、とても心に響いた言葉がありました。
この生存者の方もそうだったそうですが、引率の先生や仲間と共に手榴弾で自決するつもりだったそうです。でも引率の先生はこうおっしゃったそうです、「命を粗末にするな」と、そして、「お前たちはしっかり生きるんだ」と、そうして壕が堕ちる前にみなさんは脱出して生延びたそうです。これを聞きましたらね、もう我慢できなくなりましてね、もうこれ以上聞くことができなかったので申し訳なく思いながら先へ行ったわけです。やはりね、当時の尊皇愛国の軍国教育の中でもこのように思われていた方もおられたのですね。
と、資料館を出ましたらね、16:15・・・、・・・?。あれ?じゅうろくじじゅうごふん?これはダメですなぁ、車に戻ってるるぶを見たらね、やっぱりダメですよ。何がダメかって?いやね、平和祈念公園自体は夜まで開門してますけどね、資料館は17時までで16:30で入館終了なんですよ。そりゃああかんね。とまあ仕方ないから今日はこれで終了ですわなぁ、ということでホテルへ向かいますよ。
今日のホテルはゆいレールの旭橋駅前の東横インです。そいで331号線かそこらを走って行ったんですけどね、途中でまたまたビックリしましてね、2輪車がセンター寄りを走ってるんですよ。一つ確認ですけど沖縄って日本ですよねぇ?道交法って日本全国どこへ行っても同じですよねぇ?なのになぜ真ん中を走るだ?ほりゃぁやっぱり事故多発の警戒標識は必要だね。
そうしてそのまま那覇市内に入りますとね、意外にも急な坂が多いんですよ。でもね、1台としてエンブレを使う車がいないんですよ、みんなブレーキ踏みまくりでね、ミッション車のバスでさえも踏みまくり・・・、なんなんだ沖縄!
那覇市内では渋滞に巻込まれ、ホテルの駐車場に入るのに15分・・・オイオイ・・・。そうしてチェックイン後しばらくしてからちょっと出かけましてね、県庁前で銀行へ行った後ゆいレールのロケハンしがてら牧志へ行って、国際通りにある沖縄そば博物館へ夜ご飯を食べに行ったんですよ。でもね、なんかハズッた感大なんですよ。キャナルシティのラースタとか他のラーメンミュージアムと比べてね、なんか超が付くぐらい活気がないんですよ。おまけにソーキそば食べたら思ったよりこってりしとってすんごい胃が壁に寄りかかってきたんですよって普通に言えば胃がもたれるってことね。んで帰りに牧志駅の近くのマックスバリューでビールとかを買ってホテルへ戻ったのですよ。あとから思い出しましてね、どうせなら泡盛にしろよって感じですよ。でね、風呂に入ったあとで一杯やってそのあとでコーヒー飲んでましたらね、途中で寝てまってふと目が覚めた時にはまあ冷めてますわな。コーヒーはアイスでも飲めるからまあいいんですけどね。


とまあ重い1日でしたね。
明日はそんなに重くない1日ですけどね、まあそれなりに思うことがある1日なのでね、次回もお楽しみにぃ。
ある意味沖縄で運転することの方が気が重いかも・・・。

♪行こうよおいでよ沖縄~

2007-08-27 04:35:49 | 戦争と戦争遺跡
はいどうもこんばんわ。
ということで沖縄から帰ってまいりましたのでね、ちょこっと書きましょうね。

今回はゆいレールは名目でほんとの目的は戦跡巡りです。はいそこの鉄ちゃん!せんせきって聞いて今仙石線が浮かんだでしょ!罰としてスーパーベルズの仙石線の歌の刑です。
仙石線ぢゃないですね、戦跡です。

でね、朝から雨なんですなぁ。

広州線は欠航するしグァム線は延発で、他の路線も続々と延発してましてね、結局那覇線も15分延発したんですよ。

さて今回は行きはJAL便を使ったのですよ、でね、沖縄→鹿児島と鹿児島からの帰りの便は旅割と先得にしたんだけど、行きのセントレア→那覇は株主優待券を使うことにしたのですよ。先得と比べてもそんなに変わらなかったんですよ。何でJALかってゆうとね、金券ショップで見たときにANAよりJALの株主券の方が安かったからなんですよ。
それにね、機材がANAは772だけどJALは744だからね、せっかくなら744にしましょってことでJALになったのですな。それでクラスJにしようか2階席にしようか迷って結局2階席にしたのですよ。
チェックインして手荷物を預けてから、時間があったのでって元からスタバでお茶する予定だったので3階にあるスタバでお茶をしたのですよ。いつもね、飛行機に乗るときってギリギリに行くのが嫌だから、出発時刻の1時間半前ぐらいには空港にいるんですよ、だから最低でも1時間前にはいるのでね、ギリギリに行ってバタバタするよりも優雅にのんびりとお茶をしたいわけですよ。そうして8:50のフライトだから30分前ぐらいになったのでね、そろそろ行こうかいねぇってことで手荷物検査場へと向かいましたらね、みやっちビックリですよ。チェックインしたときはね手荷物検査場の前は人っ子一人いなかったのにね、いざ行ったら長蛇の列なんですよ。抜けるのに15分ぐらいかかりましてね、搭乗口へ行ったら7分前ぐらいでしたよ。
でね、乗込むときに通路から面白いものを見つけましたよ。
それがこれね↓。

わかります?ハイブリットでもCNGでもありませんよ。
あのねこれね、愛知万博の時に長久手会場で運転してたIMTSなんですよ。こんなとこにいたんですね。愛知万博はアホくさて行ってないので初めて見ました。あの時は万博のくせにアクセスが不便すぎて、団体や臨時などのバスすらも撮りに行かなかったぐらいです。まあ裏技で名鉄BCから基幹バスで長久手車庫まで行ってそこから歩くのが一番空いてて早い行き方だったんですけどね、値段的にも・・・。だいたいああゆうやつの直行便の運賃ってのはアホみたいに高いんですよ、確か名鉄BCから直行で1000円ぐらいしたと思うんですよ、でもね、名鉄BCから長久手車庫まではたったの550円なんですよ。ねぇ、ボッタクリですねぇ。はまった人いますぅ?結構いますよねぇ。みなさん気を付けてくださいね。
ってことで話を戻しますとね、通路を進んで行きますと二手に分かれているんですなぁ、左へ行くと前方キャビン(クラスJ)、右へ行くと後方キャビンと2階席という風になっているのですなぁ。

そうして右側の通路を進んで機内に乗込みましたらね、もう目の前に階段があったのですよ。でね、座席に座って窓を見ますとね、窓側なのに窓との間にスペースがあるんですなぁ、不思議に思いましてね開けてみますとね、ラゲッジスペースだったのですよ、ワ~オって感じです。

そして2階席だからエンジンも横じゃなくて斜め下に見えるのね。

で指定した座席が73Kなんですけどね、74番からはオーバヘッドが無いんですね、だから荷物は座席下か窓側のラゲッジに入れるしかないんですね。
静かな機内で約2時間のフライトを楽しみ那覇空港には11時に定着しました。

そうして手荷物受取場に行ったのですがね、荷物が流れてくるまでに15分ぐらいかかりましてね、セントレアで預ける時に三脚は手渡しでいいですか?って聞かれてハイって言ったんだけど、手渡しって受取場の出口でもらうんだね・・・。
でもって12時からレンタを予約してますのでね、那覇空港前バンヤン営業所まで送迎バスに乗って行くので、空港ビルを出てバス乗り場で受付票をもらって送迎バスに乗ってったんですけどね、このときに気付くべきでしたね・・・、
沖縄の運転はトロイと・・・。おかげであんなことやこんなことになるとは・・・。
でもって営業所に着いたらもう人、人、人・・・。受付と待合室が人であふれてるんですよ、さすがシーズンの沖縄ですなぁ。でね、今回はKSクラスで予約してたんですよ、車種でゆうとアルトやミラみたいなのね。でもね、やって来たのはワゴンRなんですよ、そうこの人はねKAクラスなんですよ。前にね盛岡でKSで予約した時もKAのライフがやって来たんですよ。いつになったらKSの車に乗れるんでしょうね・・・。それでね、この新型ワゴンRノンターボさんはね、とにかく走らなくて有名なんですよ。知り合いの女の子も乗ってるんですけどね、その子が名神走って琵琶湖へ行ったんですよ。名古屋方面から名神を走ってきますとね関ヶ原越えが待構えていらっしゃるんですよ、ターボ車や普通車ならO/Dでも余裕で登れますけどね、ノンターボでは無理らしいのですよ。なんかね速度が落ちてきたからキックダウンしたらしいんですけどね、それでも速度が上がらんからベタ踏みしても速度低下するほどらしいのですよ。なんか先が思いやられますなぁ・・・。
とまあそうして出発点呼(みやっちは手続きと車両チェックを合わせてこう呼んでます)してとりあえず出発進行です。
まずはね、地図を買うのに小禄駅の近くにあるジャスコへ行きましてね、それからがほんとに出発です。
まずは豊見城にある旧海軍司令部壕へ行くためにナビをセットしたんですけどね、まあまあそれがすんごいことになりましてね、もうもういっぱいいっぱいです。
でこの後は司令部壕へ行ったあと、喜屋武岬・ひめゆりの塔・平和祈念公園をまわってからホテルへ行く予定だったのですがね、あんなことになるとは・・・。


さあさあようやく出発いたしましたのでね、この続きはまた次回ということで暫しお待ちくだされ。

今回の戦跡めぐりの記事について

2007-08-27 00:24:00 | 戦争と戦争遺跡
みなさんこんばんわ

さて今回は8月23日~25日まで、沖縄・南薩戦跡巡りツアーへ行って参りました。
そこで今回の旅の記事を書く前に少し書いておきます。

自分は高校生の頃から太平洋戦争の真相について疑問を抱くようになり、少しずつ調べ始めもう15年ぐらい経ちますが、未だ真相にたどり着くことはできません。一生かかっても真相にたどり着くこともできないかもしれません。
そしてここ数年誰かに呼ばれているような気がしていましたが、どうやらその声の主は戦没者の御霊や戦争遺跡だったようです。
全国にはたくさんの戦争遺跡があります。前々から沖縄の戦跡へ行きたいと思っていたので、ようやく行けたのは良いことでした。
ですがそこで見てきたものは文字や言葉では表現し難いものでした。それはショックでもあり心の奥底にもずっしりとくるものです。実はそのショックを受けた状況は旧海軍司令部壕の部分で見られます、今回行った中で唯一ここだけ写真がありません。おそらく最初にまわった場所なので、あまりにも生々しくカメラを持って中に入ったにもかかわらず撮影を忘れるほどショックを受けたからだと思います。対馬丸記念館も写真がありませんがここの場合はカメラを持っていくのを忘れただけです。
ということで、生半可な気持ちで戦争と向き合ってほしくないので、今回の旅は戦争に興味が無い人はいつも通りの旅の事件をお楽しみください、今回もいろいろ事件を取り揃えてありますからね。とはいっても戦跡については記事が重くなってしまうので簡単にしか書かないつもりです。そんな気持ちで向き合われても得るものも無く、心にも記憶にも何も残らないと思いますからね。
また時間があるときに戦跡について見てきたことを詳しく書こうと思いますので、戦争に興味がある方はそれまで暫しお待ちください。
では順番に記事を書いていきますのでまた後ほど。
ここはこんな感じで書きましたがこのあとの記事ではいつもの調子です。

マーシャラーって・・・。

2007-08-25 18:47:08 | 鉄道
はいはいどうも。
ただいま鹿児島空港で搭乗待ちですよ。てことでいつ見てもマーシャラーってかっこいいですな、あの大きな機体を自分で誘導するんだからたまりませんなぁ。
でね帰りの機材はねMD81なんですよ。
↓のやつね。

てことでもうすぐ帰りますのでね、暫しお待ちなされ。
じゃまた後ほど。