SH快特みやっち

旅する鉄ちゃんが気が向いた時に作品を上げるページ。

とこしえに・・・

2007-09-03 03:05:11 | 戦争と戦争遺跡
さあ万世から車を飛ばしまして知覧までやって参りましたよ。
相変わらず途中で通り雨に遇いましたけどね。
そしてここも館内は撮禁なので外に展示してある一式隼を撮影しておいたのですよ。


特攻会館に入りましてね、まずは引揚げられた零式52丙が展示してある方から見たのですけどね、そこだけで1時間使ってしまったのですよ。でね、52丙をどうしても撮りたかったのでね、人がいなくなったところでまたまたこっそり撮ったのですよ。でもね、載せるのは小さいモザイク付ですよ。

そのあと特攻隊員の遺品の展示室を見て回ったのですよ。
やはりね、万世と同じです。家族や親類に宛てた手紙や遺書は読んでいると自然と涙が出てしまいます、だから小泉前首相があれほど泣いた理由がよくわかりました。
でもね、遺品を見てたときにあれ?っと思ったんですよ、特攻隊員の方に授与された叙位叙勲なんですけどね。うちのじいちゃんは永年教師をしていて校長まで勤めて、愛知県では立派な教育者として名が通っていたそうです、そして5年前に亡くなった時に叙位叙勲を頂きました。叙位:従五位、叙勲:勲五等双光旭日章です。でも隊員の方はほとんどが正七位で瑞宝章か単光旭日章でした。教師をだったので徴兵を免除され戦場に行かなかったじいちゃんよりも、若くして特攻という死への道を逝った人の方が位が低いというのは現行制度での授与ならこの階級で仕方ないのかもしれませんが、当時の制度だったらどうだったのかと少し疑問が残ってしまいました。
結局この展示室でも1時間以上使ってしまい、外へ出たら14時半頃でした。それでなぜか四式疾風だけ見てくるのを忘れてしまったので、また来ないといけません。

会館の裏には特攻隊員が寝泊まりをしていた三角兵舎を復元したものがあります。これは敵機に発見されないように竪穴式住居のように穴をほり、屋根だけが見えるような感じの建物です。そして周囲は偽装するために林になっています。実際は固い布団で風通しも悪く、居心地は良くなかったそうです。
そうして外へ出て最後の儀式(?)をやるんです。儀式って言ってもただ空を見上げるだけなんですけよ。今の時代はねいつ見ても平和な空が見れますけどね、戦争の時代も同じ空だったんだろうかと、そして今この平和な空を見上げることができるのは戦争を戦った多くの人のおかげなんだなぁと、そんなことをいつも見上げる空に思うわけですよ。
その後ほんとならすぐ近くにある富屋食堂に行く予定だったんですけどね、この時点ですでに14時半を回ってたんで、今回は諦めてまた次回ということにして鹿児島空港へ戻ることにしたのですよ。
帰りは指宿スカイライン・九州道経由で帰ることにしたのですけどね、知覧インターから乗ったらいきなり連続上り勾配でちとビビリましたけどね。山田ゲートから九州道へ乗換えて鹿児島ゲートで九州道の通行券を取ったんですけどね、発券所名を見てビックリです、鹿児島バリア、バリアって書かれた通行券は初めて見ました。
桜島SAで途中休憩して薩摩揚げ丸天うどんを食べたんですけどね、残念ながら桜島は雲の中でした。んで、溝辺鹿児島空港まで行かずに加治木で降りて、下道で鹿児島空港まで行ったんですよ。そいでお金を下ろそうと思ったんですけどね鹿児島もコンビニATMがないんですよ、もう盛岡再びって感じですよ。んで仕方ないから鹿児島空港内の鹿児島銀行のATMで下ろしてから営業所へ戻ったんですよ。んでね、ここの営業所は給油所併設なので満タンにしずに戻りましてね、精算したらリッター149円・・・。でも鹿児島の相場が145円ぐらいだから、まあそんなもんかぁって感じですな。でもね、今回のシボレークルーズは微妙でしたね。あのね、平坦で均衡するのは1500回せばちょうどいいんですよ。でもね、アクセルペダルの感覚がね1500だと保持できないんですよ、かと言って少し踏込むとすぐ1800いってまうし逆に少し戻すと1400ぐらいでもう速度低下するしで、まあ運転しにくかったですな。そいで、225キロ走行21リッター給油でリッター10.5キロでした。相変わらず普通車では燃費が悪い。

そして空港まで送ってもらって、帰りはJEX便で帰ります。機種はねMD81なんですよ。座席は3Eで右側の座席なので、プッシュバックでエプロンへ出た後整備士の人が手を振って見送るのでね、両手でワァーって振り替えしました。あれ一回やってみたかったんだよねぇ。結構楽しかったよってガキンチョかい!んでね、MD機ってエンジンが後ろだから前の方はすんごい静かなんだよね、でも離陸のタイミングがいまいち読めんかった。
それでこの便のチーフパーサが激美人だったのですよ。綺麗な人でも滅多に美人という言葉を使わないみやっちなのでね、本物の美人ということです。まあみやっちの女性を見るときは何よりも指ですけどね。あっ別にフェチぢゃないですよ。まぁみやっちの場合いろいろと細かいんですよ・・・。
そうしてようやく帰って来たんですけどね、セントレアの滑走路は南北向きなので北側から着陸する時は自分の家の上らへんを飛んでくんですよ。だからずっと外を見てたんですよ、でもねなかなか見覚えのあるとこが見えてこなかったんですけどね、ようやく見覚えのあるとこが見えたんですよ。どこかと言いますとね、なんと鳥羽なんですよ。そう御木本真珠島や水族館があるところね。てことはね、もう南側からの着陸決定なんですよ。もうテンションガタ落ちのまま着陸したけどセントレアの夜景はきれいでした。そうして3番スポットに到着したのはいいんですけどね、手荷物受取場まで行くのが超遠い・・・。

そして荷物が流れてくるまでが行きの那覇よりも長かった。んでまたまた三脚は梱包無しって言ったのに梱包されとるもんだから出口で係りのお姉さんが外すのに超苦労しとった・・・、どうもすいません。おかげで21:20のμがギリギリだからカート押してダッシュで窓口へ行ったら、そんなに並んでもおらんのにつまっとる・・・。そいでハザを買って出てきたのが7号車・・・、前かい!でもね、この中部国際空港駅の自改はカートごと通過できるから楽チンなんですよ。ということでそのまま金山まで出て、そこから乗換えて帰ったのです。
ちなみに帰ってからそのまま連れと会って結局のとこ家に帰ったのは夜中の1時半頃でした。ということで今回もお疲れ様でした。
もう沖縄では運転したくないけど、最低でもあと1回は行かないかんからなぁ・・・。次に沖縄へ行くときはヤンバルクイナに会いに行くってことにしときましょうかねぇ。


ささ今日はこれで閉店ですのでね、また気が向いた時にでもお寄りくださいね。
ではまたそのうちお会いしましょう。

よろずよに・・・

2007-09-02 02:48:35 | 戦争と戦争遺跡
ということで、西駅から加世田方面へ走りましてね、やっぱり途中で雨が降ったり止んだりでね雷まで鳴ってたんですよ。
そうして夜中の1時頃に途中にある道の駅に着いたんですよ、最初はそこで寝るつもりだったのでね、車内をガンガンに冷やしてからエンジンカットして横になったんですけどね、すぐ暑くなってなかなか寝れなかったので仕方なく加世田へ行くことにしたのですよ。まあね、加世田へ行ったからなんだ?って感じですけどね、結局のとこ加世田バスターミナルの隣の駐車場に停めてちょっとだけシート倒してましたらね、知らん間に寝てたんですよ、アイドリングしたまんま・・・。3時間ぐらい寝てたみたいで起きたら6時頃だったので、吹上浜へ行くために万世へ戻ったのですよ。

でね、この万世という町(現在は合併して南さつま市です)はね戦時中特攻隊の基地が置かれた町なんですよ。南薩の特攻基地というとね、後から出てきますが知覧が有名ですが、ここ万世にも基地が置かれていたのです。ですが知覧の方が有名になってしまい、万世はほとんど知られることもなく幻の基地と言われるようになったのです。本来万世は太刀洗航空学校の分校になるはずでしたが、完成後の戦局悪化と沖縄戦の展開で、知覧の備蓄燃料を万世に分割したことから基地として使用されるようになったのです。そして現在の基地跡は吹上浜海浜公園と万世特攻平和祈念館になっていて、海浜公園内には滑走路跡がそのまま残っています。

万世に戻って特攻基地営門跡を撮ってから、海浜公園が開園するのが8時半なので開門を待って中へ入り、滑走路跡と零式が引揚げられた浜辺の方へ行きます。
まず↓こっちが滑走路から東シナ海方向を見た風景です。

そしてこちらは浜辺にあるデッキから見た滑走路跡と吹上浜です。
↓ここから見ると滑走路は林の中に埋もれてますね。

で↓こちらは多くの隊員が飛び立った空と零式が引揚げられた吹上浜です。

そしてね、このデッキから眺めていて一つ思ったことがありましてね、それはね赤とんぼがたくさん飛んでることなんです。赤とんぼならどこでも飛んでるぢゃんて思いますよね?そう、赤とんぼならどこにでも飛んでます。でもね、ちょっと違うんですよ、沖縄の戦跡でもそうでしたが単体じゃなく群れを成して飛んでるんですよ。でね思ったんですよ、この赤とんぼたちは戦争で亡くなった人や特攻隊員の御霊じゃないかと。なくなってもなお空から懐かしんで眺めたり、今に生きる人たちを見守ってくれているんじゃないかなぁってね。いえね、ただそんな風に感じただけなのでなんの確証もありませんよ、たまたま群れを成していたのかもしれませんしね、だけどそんな風に考えると亡くなった方々が浮かばれる気がします。
そうしてそんなことを思いながら祈念館へ行ったのですよ。先に書きましたけどここには引揚げられた零式が展示されているんですよ。ここのやつは3人乗りの水上偵察機で、祈念館に入ると目の前に鎮座しておられるのですけどね、残念ながら撮禁なのですよ・・・。でもね、今回はたまたま職員の方が2人とも2階へ上がっていったのでその時にこっそり撮ったもの貼ります。が、本来は撮禁なのでモザイク付のちっちゃいやつにしときます。


ちなみに資料館の外には永年自衛隊の練習機として使用されていた飛燕の実物のプロペラが展示されています。
1階を見たと2階へ上がったのですがね、ここに展示してあった遺品や資料に関してはちょっと言葉では表現できないので、省略させて頂きますね、ごめんなさいね。
展示内容は隊員の遺影や遺書、家族に宛てた手紙や遺品などです。でもね、その中でも一番心を打たれたのは、一人の隊員の方がお母さんに宛てた手紙です。

 お母さん此の頃は如何ですか
 私はまだ活気盛んなる青年です如何なる苦労も出来無理もききます
 然しお母さんは其れが出来ない体です
 今までいろいろ御苦労されて居られますので他の事には手を出さず
 心安らかにお暮らし下さい
 飛行機一機で軍艦を沈める事は如何に大戦果であるか

           中 略

 国あっての我々です、家です
 覚悟はもとより出来て居ます待ちに待った命令です征きます
 よろこんで大命になるべく大いに頑張ります
 お父さんお母さん御長寿お祈り致します

というものでした。これを読んでる途中から涙が溢れてきましてね、読み終わったときにはもうポロポロとこぼれていました。感動しました。今の若い人が戦争に行って生きて帰れないという時に、こんなすばらしい手紙を両親に残すことができるでしょうか?自分にはできないと思います。如何に昔は両親を敬っていたかということです。親を敬い、先生を敬う、今の日本に一番欠けているものですね。戦争をする必要は無いですが、自衛隊という生ぬるいものではなくもう一度軍隊を編成して、徴兵制にしたらどうですかねぇ?もう一回軍国主義で行きませんか?正しい軍国主義で。あ、でもね、安倍内閣でそんなことやられたらやつは確実に戦争しますよ。ありゃ戦争の恐ろしさがわかってないからね。その点ね、久間前大臣は戦争を体験されてるからあの発言が出たんだと思いますよ。
で、旧軍は陸・海だけでしたから、今度はちゃんと空軍も編成してね。
ということで結局ここでも1時間半ぐらいいて、途中で雨の音が聞こえたけど外に出た時は止んでましたけどね。
そうして次は知覧へと向かったのですよ。
まぁまぁまぁ、知覧の方でも色々と考えさせられることばかりでした。


ということで次は知覧編ですのでね、引続き気を引締めておいでくだされ。
ではまた次回まで解散です。