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【滋賀・近江の先人第248回】余自信・倭国亡命の百済の王族(滋賀県蒲生郡)

 余 自信(よ じしん、名は自進とも、生没年不詳)は、百済の王族、官吏。官位は佐平。故国の滅亡に伴い、白村江の戦いの後に倭国(日本)へ亡命した。

『日本書紀』によれば、斉明天皇6年(660年)7月、百済の滅亡に際し中部(ちゅうほう)の久麻怒利城(くまのりのさし)あるいは都々岐留山(つつきるのむれ)に拠って新羅と戦い、その功績によって「佐平自進」と称された。

白村江の戦いで敗北した天智天皇2年(663年)9月24日(甲戌)に木素貴子、谷那晋首、憶礼福留ら百済の民と倭の船師達と共に弖礼城に至り、翌日倭国へ向けて出航した。

天智天皇8年(669年)、同じく佐平の「鬼室集斯」含む男女700人あまりとで近江国蒲生郡へ移住し、天智天皇10年(671年)1月に大錦下の冠位を授けられ、法官とし仕えた。鬼室集斯よりも位が高く渡来人の中でも大物中の大物だった。
『新撰姓氏録』によると、高野造の祖先(滋賀県栗東市高野)とされるが、消息がはっきりせず、謎に包まれている。高野造が住んだといわれる高野郷も東近江市永源寺高野をゆかりの地とする説もある。 

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