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【滋賀・近江の先人第107回】プロ野球専属解説者の元祖・中沢不二雄(彦根市)

中澤 不二雄(なかざわ ふじお、1892年〔明治25年〕11月25日 - 1965年〔昭和40年〕6月9日)は、滋賀県彦根市出身の野球選手(内野手)・監督・野球解説者。パシフィック・リーグ初代会長。明治大学卒。


ヒストリー
神戸中学校を経て荏原中学校に進む。
明治大学野球部時代、現在のアジア競技大会の原点である「極東オリンピック・マニラ大会」1913年(大正2年)の日本代表に選ばれ優勝、名遊撃手として活躍。

その後、石川島播磨造船へ就職したが、野球を忘れられず、1922年(大正11年)には、翌年プロ野球球団であることを宣言する天勝野球団の一員として活動。
1923年(大正12年)には満州(現・中国東北部)の満州鉄道会社(満鉄)に就職し、
1927年(昭和2年)、第1回都市対抗野球退会に、社会人野球チーム「大連満州クラブ」(満鉄の社員を中心に編成)でプレイングマネジャー(選手兼任監督)を歴任した。

戦後は野球解説者としてプロ野球を中心として活躍。1951年(昭和26年)、新日本放送(現・毎日放送)のラジオ中継、並びに1953年(昭和28年)から数年間、日本テレビ放送網のプロ野球専属解説者として活躍した。

その後1959年(昭和34年)2月に太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)の専任会長第1号に就任
同年6月に開かれた天覧試合(巨人対阪神戦)において昭和天皇・皇后への解説を担当した。

2002年(平成14年)、野球殿堂特別表彰者に選ばれた。

<Wikipedia引用>

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