”スローライフ滋賀” 

【滋賀・近江の先人第187回】心学者石田梅岩の弟子・慈恩尼(草津市)

 慈音尼兼葭(じおんにけんか)、1716年(享保元年)-1778年(安永7年)年 江戸時代中期の心学者。
近江(滋賀県)草津市出身。俗姓は白井。号は蒹葭(けんか)。

ヒストリー
 近江国栗太郡吉田村(草津市)の造り酒屋「白井半兵衛」の娘として生誕、裕福な暮らしを送っていた。
しかし、8歳の時、母と死別。その母の供養にやってきた坊主のお経がきっかけで、母が幸せになるならとお経を読むようになり、出家願望が沸く。

 14歳の時、縁談を断りを自分で断髪し、16歳に念願かなって出家。しかし親類には反対されていたため、家出同然の覚悟で京都西賀茂、尼寺楽師山の自秀尼のもとで修行。
更に近江国沢山(彦根正法寺村)の曹洞宗、南泉庵桃谷尼の弟子となる。

 次いで、石田梅岩の「石門心学」にめぐり合い、講座に通うようになり、弟子入りし、悟りを開く。石田梅岩の門弟「木村南冥」に師事し心学を研鑽。
延享元年(1744年)、梅岩の病死後(慈音尼29歳)、江戸で布教活動を単身行う。
手島堵庵」(とあん)(儒学者でもあった)らとともに石門心学隆盛の基礎をつくった。

 10年ほど布教活動や講義を行ったが、京都に帰ると「兼葭反古集」を執筆する。これはのちに改名されて「道得問答」と呼ばれることになる。
常に好奇心と向上心に溢れ、挑戦し続けた慈音尼だが、体が丈夫ではなかったため、志半ばにして琵琶湖畔へと帰郷し、その生涯を静かに閉じた。
1778年(安永7年)7月12日死去。63歳。

石門心学(せきもんしんがく)
日本の江戸時代中期の思想家・石田梅岩(1685年 - 1744年)、現京都府亀岡市出身を開祖とする倫理学の一派で、平民のための平易で実践的な道徳教のことである。 単に、「心学」ともいう。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「滋賀・近江の先人」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事