7月5日(金)午前、初めて「弘誓寺」を訪れた。
かつて、近江の浄土宗の総本山と言うべき安土の浄厳院と競った雄寺が建部の「弘誓寺」だったことは最近まで知らなかった。
元禄2年(1689年)まで32ヶ寺の末寺を有する大寺だった。
なぜこの地に大寺が存在したかは不詳だが、中世、この地は観音寺城主・近江の守護佐々木六角氏の領地で、配下の豪族建部氏が居を構えていた地域である。よって何らかの形で建部氏との関係があったに違いない。
元禄2年(1689年)まで32ヶ寺の末寺を有する大寺だった。
なぜこの地に大寺が存在したかは不詳だが、中世、この地は観音寺城主・近江の守護佐々木六角氏の領地で、配下の豪族建部氏が居を構えていた地域である。よって何らかの形で建部氏との関係があったに違いない。
【滋賀・近江の先人第150回】近江守護佐々木・六角部下/近江建部郷の武士・建部寿徳(東近江市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/d/20201225
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勝者織田は安土の「浄厳院」を庇護し、敗者の佐々木氏の「弘誓寺」は多くの末寺を失い、結果的に同じ7つの末寺だけになったのだろう。
東近江市には瓦屋寺、生願寺も大寺で多数の末寺、僧坊を持っていたが中世の戦乱でことごとく焼失している。織田の勢力拡大の過程の裏には多くの負の歴史もあったのである。
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弘誓寺
所在地 東近江市建部下野町282(旧八日市市)
■宗派 浄土宗
■開基 延暦10年(791年)法然上人
■寺歴 近江七弘誓寺の一つ(本院)。文永7年(1270年)音阿が開創。
元禄2年(1689年)までに32ヶ寺の末寺を有する大寺だった。
織田信長により近江一国の浄土宗総本山は安土の浄厳院とされたが、享保20年(1735年)7寺が弘誓寺の末寺に復帰した。
「近江七弘誓寺」
1.弘誓寺(浄土宗): 東近江市建部下野町282
2.弘誓寺(浄土真宗大谷派): 東近江市五個荘金堂町615
3.弘誓寺(浄土真宗本願寺派): 東近江市瓜生津町1314-1
4.弘誓寺(浄土真宗大谷派): 東近江市中一色町380
5.弘誓寺(浄土真宗本願寺派): 東近江市躰光寺町990
6.弘誓寺(浄土真宗本願寺派): 東近江市小田苅町413
7.宝蔵寺(浄土真宗本願寺派): 彦根市川瀬町1195 *元弘誓寺(1472年(文明4年) - 寺名を法蔵寺に改名)
1.弘誓寺(浄土宗): 東近江市建部下野町282
2.弘誓寺(浄土真宗大谷派): 東近江市五個荘金堂町615
3.弘誓寺(浄土真宗本願寺派): 東近江市瓜生津町1314-1
4.弘誓寺(浄土真宗大谷派): 東近江市中一色町380
5.弘誓寺(浄土真宗本願寺派): 東近江市躰光寺町990
6.弘誓寺(浄土真宗本願寺派): 東近江市小田苅町413
7.宝蔵寺(浄土真宗本願寺派): 彦根市川瀬町1195 *元弘誓寺(1472年(文明4年) - 寺名を法蔵寺に改名)
弘誓寺は彦根藩の保護を受け、代々井伊家の尊牌を安置し、井伊家の家紋を許されている。
■本尊 阿弥陀如来
■梵鐘は元禄6年(1693年)製
付近の寺院
常徳寺 徒歩 5分(321m)
正福寺 徒歩 11分(857m)
浄光寺 徒歩 11分(862m)
円光寺 徒歩 12分(939m)
吉祥院 徒歩 12分(950m)
小松寺 徒歩 13分(1km)
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↑修復中の釣り鐘堂