鉄橋下のお蕎麦屋さん「美舟」で天ざるを食した後、
来た道を少し引き返すと 鉄橋の下に・・・
釈迦堂入口 という石の道標が見えました。
白糸川の方へ下りていくと・・・
橋があり・・・
(↑2つ上の写真を撮った橋と その上に架かる根府川鉄橋)
渡った先にお堂が見えました。
おや? お堂は空っぽ?
・・・地下へ続く階段がある・・・
下りきったところにトンネルが うがたれています(???)
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格子の向こうにはお釈迦様を刻んだ 岩が
足元には花と果物が供えられていました
堂内の説明版によると・・・
1656年に根府川の旧家 広井家の宗左衛門が、 彼の代に立て続けに起こった地震や津波の被害から 世の安泰を祈願して、 岩泉寺の境内の岩盤にこの像を彫らせた。 岩泉寺は1659年に洪水の被害を受けて対岸の高台へ移ったが、釈迦の像は自然石に彫られていたため元の場所に残された。
1923年の関東大震災の折、根府川は甚大な被害に見舞われ・・・(以下は説明版からそのままの文をご紹介します)
「お釈迦さまは 上の鉄橋が落ちた其の上に 山津波の土砂で埋没してしまいました。お釈迦さまは目の高さより上に拝むように刻まれて居ったのですが、土砂に埋まったので現在の洞の中のお釈迦様となったのです。(中略)お釈迦さまを掘った人々が、落ちた鉄橋と土砂の中から指一本損じないお姿を見て 如来のあらたかさを驚嘆したとのことで、如来信者も多く、村内始め県西地方の人々の信仰厚く 四月八日のお釈迦さまの誕生日には善男善女の参詣者多くにぎあいます。(内田一正 記)」
元々は見上げる形で拝まれていたお釈迦様が 今は地下3mの所にいらっしゃる・・・。 災害の大きさと恐ろしさを 肌の近くに感じました。
調べてみたら 関東大震災の時の神奈川の被害は大きく 特にここ片浦村の根府川地区は山津波にのまれ ほぼ壊滅状態だったそうです。 (Wikiで読みましたが __ 運悪くこの時 根府川駅に入ろうとしていた真鶴行きの列車があり、駅もろとも海に沈んでいます。この列車は1932年に海中より引き上げられましたが 戦時中の金属回収で供出させられてしまったそうです。。。)
小さなお堂を訪ねて 小さな村の重く大きな歴史を(ちょっとだけ)知りました。
来た道を少し引き返すと 鉄橋の下に・・・
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釈迦堂入口 という石の道標が見えました。
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白糸川の方へ下りていくと・・・
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橋があり・・・
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(↑2つ上の写真を撮った橋と その上に架かる根府川鉄橋)
渡った先にお堂が見えました。
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おや? お堂は空っぽ?
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・・・地下へ続く階段がある・・・
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下りきったところにトンネルが うがたれています(???)
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格子の向こうにはお釈迦様を刻んだ 岩が
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堂内の説明版によると・・・
1656年に根府川の旧家 広井家の宗左衛門が、 彼の代に立て続けに起こった地震や津波の被害から 世の安泰を祈願して、 岩泉寺の境内の岩盤にこの像を彫らせた。 岩泉寺は1659年に洪水の被害を受けて対岸の高台へ移ったが、釈迦の像は自然石に彫られていたため元の場所に残された。
1923年の関東大震災の折、根府川は甚大な被害に見舞われ・・・(以下は説明版からそのままの文をご紹介します)
「お釈迦さまは 上の鉄橋が落ちた其の上に 山津波の土砂で埋没してしまいました。お釈迦さまは目の高さより上に拝むように刻まれて居ったのですが、土砂に埋まったので現在の洞の中のお釈迦様となったのです。(中略)お釈迦さまを掘った人々が、落ちた鉄橋と土砂の中から指一本損じないお姿を見て 如来のあらたかさを驚嘆したとのことで、如来信者も多く、村内始め県西地方の人々の信仰厚く 四月八日のお釈迦さまの誕生日には善男善女の参詣者多くにぎあいます。(内田一正 記)」
元々は見上げる形で拝まれていたお釈迦様が 今は地下3mの所にいらっしゃる・・・。 災害の大きさと恐ろしさを 肌の近くに感じました。
調べてみたら 関東大震災の時の神奈川の被害は大きく 特にここ片浦村の根府川地区は山津波にのまれ ほぼ壊滅状態だったそうです。 (Wikiで読みましたが __ 運悪くこの時 根府川駅に入ろうとしていた真鶴行きの列車があり、駅もろとも海に沈んでいます。この列車は1932年に海中より引き上げられましたが 戦時中の金属回収で供出させられてしまったそうです。。。)
小さなお堂を訪ねて 小さな村の重く大きな歴史を(ちょっとだけ)知りました。