limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

高齢運転者交通戦争-2

2017年02月21日 16時27分11秒 | 日記
高齢者ドライバーの暴走事故を防ぐのは容易ではない。何しろ「信じて踏んだペダルがアクセルだった」が実に多いからだ。認知症になっているにも関わらず、ハンドルを握ると言う「狂気」を止めるには、余程思い切った「策」を取らなければ事故を減らす事は不可能に近い。いわゆる「団塊の世代」が、後期高齢者になる2020年以降を見据えて、大胆な施策を取らなくては、今次「交通戦争」を終結させることは困難になる。改正道路交通法が施行されても、今、医療機関が危惧を抱いている。「認知症」と診断するには、医師が足りないのだと言う。診断そのものにも時間が必要となれば、病院機能のマヒも懸念されている。往生際の悪い高齢者に「引導」を渡すには、医師の診断書以外に何か別の方法も考慮しなくてはならない。もっとも手っ取り早いのは「軽微な違反でも免停」にしてしまう方法だろうか?速度超過・一旦停止不履行・信号無視・携帯使用など、危険に直結する違反は「即座に免停」にして高齢者から車を取り上げる。しかも、通常は「短縮講習」に参加すれば、1日限りで「免停解除」となるが、それを認めない方向にする。つまり、高齢者が「免停」になったら、半年から最長2年間「運転させない」ようにしてしまうのだ。車と言う「凶器」から引き離して「引導」を渡せば、自主返納率も向上するかも知れない。法改正は必要になるが、最も確実に事故を減らすにはこれしかない。
もう一つは、車そのものの「改良・開発」である。高齢者は基本的に「AT限定免許」ではなくMTで運転を始めた人が多いはずだ。「高齢者専用車」、すなわち「特定の年齢に達した場合は、この車でなくては運転を認めない」と言う車両を開発するしかない。以前にも記したことだが、チーム日本、すなわち「全メーカーが共同開発」することでコストを削減し、各メーカーの「安全技術」の粋を集めて「生体異常を感知した場合は、安全に停止するか、車そのものが発進しない。動かない」ようにするしかない。ATではなくMTベースとして「ちゃんとクラッチを踏まないとエンストするように」仕向ける。自動ブレーキは勿論、高速道路へ侵入出来ないようにナビゲーション連動の「危険回避システム」を乗せる。今の我が国の「自動車技術」をもってすれば、開発は比較的容易ではないだろうか?車そのものが「暴走」を抑止する。究極の対策はこれしかない。
車両そのものを新規に開発して「展開」するには時間が必要であり、当面は法改正や制度改革で「暴走」を封じ込めるしかないが、躊躇しているヒマはあまりない。集団登校中の小学生の列に「認知症」の高齢者が突っ込むような事故はあってはならないのだ。もちろんコンビニや駐車場での暴走・激突もしかり。ともかく「走る凶器」を1台でも減らす対策を速やかに実施しなくてはならない。今次「交通戦争」に勝利するためには、高齢者を「あらゆる手段で車から引き離す」しかないのだ。教習所で「客観的視点」で自分の運転を「直視」させる取り組みなどをもっと進めなくてはならない。高度成長期に起こった「交通戦争」と、今次勃発している「交通戦争」は些か内容が異なるが、尊い命が「情け容赦なく奪われる」と言う点では同じこと。何もしなければ、もっと声を挙げていかなければ犠牲者は増え続け、「認知症」を盾に加害者は何も責任を取ることなく「ぬくぬく」と余生を送り続けるのだ。こんな「理不尽」がまかり通る国にしてはならない。とにかく高齢者がハンドルを握るには「恐ろしく高いハードル」を設けなければ、事故は減らないし暴走は止まらない。犠牲者には「何の罪も無い」のだ。思い上がりの激しい高齢者ほど「暴走事故」を起こす。その危険を摘み取るための対策は、待ったなしなのだ。

高齢運転者交通戦争

2017年02月21日 13時29分29秒 | 日記
“2月20日午前10時、仙台市太白区の「みやぎの生協柳生店」の駐車場で、84歳の高齢女性が運転していた乗用車が暴走。乗用車3台・自転車2台と接触の上、クリーニング店の壁に激突して停止した。現場にブレーキ痕はなく、警察は女性がブレーキとアクセルを踏み間違えた可能性があると見ている。”
またしても高齢者が運転する車両が暴走した。お得意の「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」が原因とされているが、疾走する「凶器」を止める手立ては無いのだろうか?本当にこれは「交通戦争」である。正式には「高齢運転者交通戦争」と言わねばなるまい。常に全国民が四方八方に神経を使い、怯えながらに街を歩かなくてはならない「恐怖」の時代の幕開けは昨年。今年は更に悪化すると思っていたが、憂慮は「現実」になった。4日前「ある決定」があった。
“昨年10月、横浜市南区で小学生の集団登校の列に軽トラックが突込み、7人が死傷した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)で逮捕された合田政市容疑者に対して、横浜地検は「認知症との自覚がなかった」などとして「不起訴処分」にした。”
遺族・被害者の家族の心中は、決して穏やかではあるまい。「認知症」を理由として刑事責任を問わないことになったのだから、検察当局の「怠慢」は非難されて当然だ。「認知症」であろうとなかろうと「立件して起訴」しなくては、昨今の「交通戦争」に対して「闘う意志なし」と白旗を掲げたに等しい。容疑者を刑事告訴しないとなれば、遺族・被害者の家族は民事訴訟で容疑者の家族を訴えなくてはならない。ましてや「不起訴」である。7人が死傷した事故を起しながら「のほほん」とされているのでは、道理が立たないではないか!!「認知症を理由として刑事責任を問わない」と言う「前例」をわざわざ作ってしまったら、認知でなくても「認知症を装えば不起訴」と言う逃げ道を用意してやった罪は、限り無く重い。高齢者と言えども7人が死傷した事故の容疑者である。「認知症」があろうとなかろうと司法の場でキッチリと責任を追及して監獄へ送るのが筋だ。そうしなくては「免許の自主返納」も進まないし、高齢者にハンドルを握らせるのを「諦めさせる」理由が崩れてしまう。「交通戦争」を終結させるには、高齢者であろうとなかろうと「情状酌量なし」「厳罰」で臨まなくてはならない。例え84歳であろうとも「相応の刑事罰と行政処分」を科さなくては社会が納得しないだろう。後期高齢者になった時点で、軽度の違反でも「免停」とするなどの「厳しい姿勢」を示さなくては、つけあがっている高齢者どもの暴走を食い止めることすら不可能になりかねない。
ある調査によれば、認知症患者約7300人のうち11%が認知症の診断を受けた後も運転を止めず、16%に当たる130人が人身・物損事故を起していたという。更に警察庁によれば2012年8月までの2年間に高速道路で起きた“逆走”447件のうち約7割が65歳以上の運転者だったという背筋も凍るデーターもでている。まさに「待ったなし」の対応が求められているのだ。認識もあやふやなまま「走る凶器」のハンドルを握り続ける高齢者。これから春先になり「子供を連れてお散歩」と言うお母さん方も増えるかと思うが、昨今の日本の道路に「安全な場所」など無いことを付記して置こう。こうしている今この瞬間にも高齢者が運転する「走る凶器」は、暴走を続けているのだ。最後に身を護れるか否かは、もはや「運」でしかない。歩道も公園もいついかなる場所でも、高齢者は容赦をせずにアクセル全開で暴走する「死神」だ。彼らを止めるだけの法律も警察力も社会インフラも無い。司法も「認知症」を理由に立件を見送る「ヘタレ」になってしまった。今のところ狂人達から身を護るのは、私達の感覚しかない。五感を研ぎ澄まし、常に周囲に非常線を張り巡らす。登下校が心配ならば、市町村の教育委員会等へ直訴する。自分達で出来る限りの手立てを打つしかない。悲しい現実だが、これが「高齢運転者交通戦争」の実態だ。長引かせる訳にはいかないか、高齢者が「自分が如何に危険か」を認めて免許を「自主返納」していかない限りは、根本的な解決は図れそうも無い。ただ、戦い抜くしかないのか?座して死を待つことは無い。高齢者に対して厳しい視線で相対する必要かあるだろう。