前回はNZとインドネシアのバリ島(の山村のウブド)という、私にとっての"二大楽園"の共通点から、みこと流楽園の定義を探ってみましたが、脱線ついでに再度バリの話を。
「今度はバリ移住ですか?」
という感想も寄せられましたが(笑)、今しばしお付き合い下さい。
(※バリの原風景)
今回のウブド再訪で何よりも嬉しかったのは、「変わっていなかったこと」です。ウブドにもこの5年間でラグジュアリー系ホテルがいくつかできましたが、幸いどこも隠れ家のようにひっそりとした佇まいのため、ほとんど目立たないのは幸いです。
メインストリートの街並みはほとんど変わりなく(スパが増え、ブランドショップができてたのはちょっとご愛嬌。なんと似合わないんでしょう!)、前に絵葉書を買った店、コーヒーを飲んだカフェのテーブルの位置まで思い出せるほどでした。この懐かしさという親しさに裏打ちされた、過去・現在・未来が1本につながるような安心感に心から安らぎを覚えました。
有名なライステラス(棚田)はバリ全体では年々縮小しているそうですが、宿泊したホテルから見渡せる棚田の美しさは、私が初めてそこを知った15年前と同じものでした。それからも何年か置きに、同じ場所から瑞々しい水田を眺めて午後のひと時を楽しんだものですが、今回は初めて下まで降りてみました。そこで目にした青々とした稲、水草の鮮やかさ、その上を渡っていく風の清々しさは身を置いて初めて知るものでした。
子どもたちは初めての田んぼにワーワーキャーキャー。
「足が汚れた!」
「虫がいた!」
と言っては大騒ぎ。でも自然の中にすっぽりと抱かれる心地良さから不平はすぐに感嘆に変わり、池のように豊かな水をたたえた水田に挟まれた、幅30センチ足らずの畦道の固さに驚き、美しい稲に一生懸命ファインダーを覗き込んでいました。私の子ども時代には横浜の端っこでもこんな田園風景が広がっていたものですが、今となっては懐かしさとそれらを完全に失ってしまった喪失感とで、甘酸っぱい思い出でしかありません。
ウブドで一番気に入っているレストラン「ミロ」で、バリ料理に舌鼓。ミロは手入れの行き届いたガーデンで食事ができ、夜は木々や石像がキャンドルやランプの炎に浮かび上がり、昼は鮮やかな花々と緑と水との調和が見事で、滞在中についつい2回は行ってしまいます。
1日はレンタカーでキンタマーニ高原に繰り出し火口湖バツー湖を遠くに眺め、行き帰りにはたくさんのギャラリーや道端で黙々と彫刻を彫る人、茅葺の家々を写真に収めます。夜は何度見ても見飽きることのない合唱舞踏劇ケチャ(ケチャックダンス)に出かけ、魂に届くような原始のリズムを堪能。何度訪れても私たちがするのは同じことの繰り返しですが、その普遍さが言葉にし難い寛ぎであり、それを可能にしてくれる変わらない場所に限りない愛着を感じます。
NZにも同じことが言え、今年の南島旅行では9年前の1993年に泊ったクライストチャーチのB&B(もうB&Bではなく普通の民家になっていましたが張り出し窓、庭の感じはそのままでした)を始め、以前宿泊したいくつかのモーテルを見つけ出し、周囲の風景とともに変わっていないことを確認しては、遠い親戚にでも再会したような懐かしさと親しみ覚えたものです。
"楽園"はあらゆる面で一定水準に達した場所で、コロコロとは変わらず、その必要もないはずです。そうは言っても経済という化け物を前に、開発と言う名の強制的な変化が四方から押し寄せてくるのに、抗していくのは並大抵のことではありません。人気がある場所であればあるほどそれは難しく、目先の利益から安易に変化を受け入れてしまい、取り返しのつかないものを失ってしまう例は枚挙に暇がないことでしょう。
ですからそれを水際で食い止め、自らの来し方と行く末にこだわる暮らしに限りない慈しみを覚えるのかもしれません。山を下りてビーチへ向かう道すがら、遠ざかっていく緑を眺めつつ、いつか同じ道を戻っていく日に早くも思いを馳せていました。
=============
「マヨネーズ」
「バリどうだったぁ?」
と声をかけてくれる日本人の女友だちのほとんどが期待しているのは、
「○○のスパは良かった~♪」
「◇◇で△△を買ってぇ~♪」
という最新情報でしょう。
ですから、
「何も変わってなくて最高~。ライステラスは三毛作かしらねぇ」
なんて、トンチンカンな答えをもらっても、
「アレ?どこ行ってたんだっけ?」
と会話が成立しません。空港から街中まで至るところで「スパ」「マッサージ」「エステ」というカタカナを目にしたので、かなりの日本人がこれらを求めてやって来ているようです。でも私のバリにはスパもショッピングもありません。あるのは"何もしない贅沢"だけ。
とっっっころが、どっこい!
プールサイドでは子どもたちが5分置きに、
「ママ~、見て。泳げるようになった」(次男の単なるホラ)
「チェスやろう!」
「何か飲みたい!」
「ビーチサッカーやろう!」
「ゴーグルがなくなった~」
「何で泳がないの?競争しようよ!」
「お腹すいた~」
と代わる代わるやって来て、もうヘトヘト。絶対読み終えようと持って行った本も半分読んだだけ(涙)
=============
後日談「ふたこと、みこと」(2021年1月):
日付を見てビックリ&ニッコリ
この丸2年後の2004年7月24日にNZに移住しました。
その前にもう1度バリを訪ねていました。今のバリはもう見覚えがないほど変わってしまったことでしょうが、コロナが終息したらぜひ再訪したいです。
「今度はバリ移住ですか?」
という感想も寄せられましたが(笑)、今しばしお付き合い下さい。
(※バリの原風景)
今回のウブド再訪で何よりも嬉しかったのは、「変わっていなかったこと」です。ウブドにもこの5年間でラグジュアリー系ホテルがいくつかできましたが、幸いどこも隠れ家のようにひっそりとした佇まいのため、ほとんど目立たないのは幸いです。
メインストリートの街並みはほとんど変わりなく(スパが増え、ブランドショップができてたのはちょっとご愛嬌。なんと似合わないんでしょう!)、前に絵葉書を買った店、コーヒーを飲んだカフェのテーブルの位置まで思い出せるほどでした。この懐かしさという親しさに裏打ちされた、過去・現在・未来が1本につながるような安心感に心から安らぎを覚えました。
有名なライステラス(棚田)はバリ全体では年々縮小しているそうですが、宿泊したホテルから見渡せる棚田の美しさは、私が初めてそこを知った15年前と同じものでした。それからも何年か置きに、同じ場所から瑞々しい水田を眺めて午後のひと時を楽しんだものですが、今回は初めて下まで降りてみました。そこで目にした青々とした稲、水草の鮮やかさ、その上を渡っていく風の清々しさは身を置いて初めて知るものでした。
子どもたちは初めての田んぼにワーワーキャーキャー。
「足が汚れた!」
「虫がいた!」
と言っては大騒ぎ。でも自然の中にすっぽりと抱かれる心地良さから不平はすぐに感嘆に変わり、池のように豊かな水をたたえた水田に挟まれた、幅30センチ足らずの畦道の固さに驚き、美しい稲に一生懸命ファインダーを覗き込んでいました。私の子ども時代には横浜の端っこでもこんな田園風景が広がっていたものですが、今となっては懐かしさとそれらを完全に失ってしまった喪失感とで、甘酸っぱい思い出でしかありません。
ウブドで一番気に入っているレストラン「ミロ」で、バリ料理に舌鼓。ミロは手入れの行き届いたガーデンで食事ができ、夜は木々や石像がキャンドルやランプの炎に浮かび上がり、昼は鮮やかな花々と緑と水との調和が見事で、滞在中についつい2回は行ってしまいます。
1日はレンタカーでキンタマーニ高原に繰り出し火口湖バツー湖を遠くに眺め、行き帰りにはたくさんのギャラリーや道端で黙々と彫刻を彫る人、茅葺の家々を写真に収めます。夜は何度見ても見飽きることのない合唱舞踏劇ケチャ(ケチャックダンス)に出かけ、魂に届くような原始のリズムを堪能。何度訪れても私たちがするのは同じことの繰り返しですが、その普遍さが言葉にし難い寛ぎであり、それを可能にしてくれる変わらない場所に限りない愛着を感じます。
NZにも同じことが言え、今年の南島旅行では9年前の1993年に泊ったクライストチャーチのB&B(もうB&Bではなく普通の民家になっていましたが張り出し窓、庭の感じはそのままでした)を始め、以前宿泊したいくつかのモーテルを見つけ出し、周囲の風景とともに変わっていないことを確認しては、遠い親戚にでも再会したような懐かしさと親しみ覚えたものです。
"楽園"はあらゆる面で一定水準に達した場所で、コロコロとは変わらず、その必要もないはずです。そうは言っても経済という化け物を前に、開発と言う名の強制的な変化が四方から押し寄せてくるのに、抗していくのは並大抵のことではありません。人気がある場所であればあるほどそれは難しく、目先の利益から安易に変化を受け入れてしまい、取り返しのつかないものを失ってしまう例は枚挙に暇がないことでしょう。
ですからそれを水際で食い止め、自らの来し方と行く末にこだわる暮らしに限りない慈しみを覚えるのかもしれません。山を下りてビーチへ向かう道すがら、遠ざかっていく緑を眺めつつ、いつか同じ道を戻っていく日に早くも思いを馳せていました。
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「マヨネーズ」
「バリどうだったぁ?」
と声をかけてくれる日本人の女友だちのほとんどが期待しているのは、
「○○のスパは良かった~♪」
「◇◇で△△を買ってぇ~♪」
という最新情報でしょう。
ですから、
「何も変わってなくて最高~。ライステラスは三毛作かしらねぇ」
なんて、トンチンカンな答えをもらっても、
「アレ?どこ行ってたんだっけ?」
と会話が成立しません。空港から街中まで至るところで「スパ」「マッサージ」「エステ」というカタカナを目にしたので、かなりの日本人がこれらを求めてやって来ているようです。でも私のバリにはスパもショッピングもありません。あるのは"何もしない贅沢"だけ。
とっっっころが、どっこい!
プールサイドでは子どもたちが5分置きに、
「ママ~、見て。泳げるようになった」(次男の単なるホラ)
「チェスやろう!」
「何か飲みたい!」
「ビーチサッカーやろう!」
「ゴーグルがなくなった~」
「何で泳がないの?競争しようよ!」
「お腹すいた~」
と代わる代わるやって来て、もうヘトヘト。絶対読み終えようと持って行った本も半分読んだだけ(涙)
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後日談「ふたこと、みこと」(2021年1月):
日付を見てビックリ&ニッコリ
この丸2年後の2004年7月24日にNZに移住しました。
その前にもう1度バリを訪ねていました。今のバリはもう見覚えがないほど変わってしまったことでしょうが、コロナが終息したらぜひ再訪したいです。